木の芽
「ビールには、これが最高なんだよ!」
地域新聞編集長の山田サンが、小さな顔には不釣り合いな大きな目をさらに大きく開き、言ってから小鼻をうごめかせた。食卓の大皿には初めて見る山菜が豪勢に盛られ、冷やっこい汗を滴らせた瓶ビールも2本。古い民宿兼食堂の大きな広間を、気持ちの良い初夏の風が吹き抜けて行く。新聞社の六日町通信部へ赴任して間もない頃、山好きの山田サンに誘われて新潟県塩沢町(現・南魚沼市)の巻機山(まきはたやま、1967メートル)へ日帰り往復で登り、明るいうちに麓の清水集落へ下りて来たところだった。
「何ですか、これ?」
「木の芽だよ。東京では木の芽と言ったらタラノメのことだけど、新潟の魚沼じゃ、木の芽はこれのこと。ミツバアケビの若芽、ツルの先っぽサ。まずは食ってみなよ!」
ハシで大づかみにして口へ放り込む。苦いが、それゆえ野趣味は満点かつ絶妙。醤油とかつお節の素朴な味付けが実によく合う。ビールとの相性も抜群だった。まだ20代の筆者は以後かぜん山菜好きになるが、どんな種類の山菜を口にしても、あの日の大盛りの木の芽と山田サンの丸い目と、民宿の広間を吹き抜けた5月の風を思い出す。
ミツバアケビは五葉のアケビとは別種。ツル性の落葉樹で、ツルの新芽14,5センチくらいを採取する。軽く折り採れる長さで摘むのがコツで、その部分のみ柔らかく苦味も少ない。関東でも採れるが、新潟など雪国の木の芽の方が太くて柔らかく、味は格段に良い。土地の人は囲炉裏の灰でアク抜きをして、ほどほどに残す苦味の加減が上手。すっかり抜いてしまってはスーパーの野菜と変わらなくなるので、野趣味を感じさせる適度の苦さが山菜の生命である。筆者も自分で採って来た木の芽を何度となく重曹でアク抜きしてみたが、清水集落で食べた木の芽の味ほどに仕上がったことは一度もない。
フキノトウ
旧守門(すもん)村(現・新潟県魚沼市)の農民詩人、岡部サンを訪ねると、お茶うけにいつも出してくれたのがフキの酢味噌和えだった。咲き始めの花(フキノトウ)と若葉を細かく刻んで酢味噌で仕上げる。おばあちゃんの特製で、この味も後々思い出に残る絶品。いつもマイカーで訪ねるのでアルコールはダメ、いただく時は文字通りの「お茶うけ」だが、ある時お願いして自宅へ持ち帰り、日本酒をチビリチビリやりながらつまんでみた。予期した通り、ほろ苦さと独特の香りが理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。次に訪れた時に作り方をおばあちゃんから教えてもらい、以後は自分でも作った。おばあちゃんの酢味噌和えには遠く及ばないが、そこそこの味は出せるようになった。
フキノトウは関東でも採れるが、雪解けのしずくの下から顔を出す雪国のそれと、日当たりの良い野山に咲く関東などのそれとでは、味も香りもだいぶ違う。色からして雪国のフキノトウは黄色が淡い、というか白っぽく、関東のそれは黄色が濃い。陽光を浴びたぶんだけ苦味も関東の方が強いようだ。料理法は酢味噌和えのほか、てんぷら、味噌汁の具など。他に具を用意したうえで、摘みたてを細かく刻んで薬味代わりに少量味噌汁に入れると、春の香りが楽しめる。丸ごと具にすると苦くて食べられない。
雪国の新潟では、木の芽やゼンマイ、ワラビといった山菜は、雪解けを待たなければ食卓に上らない。その意味でこれらの山菜は、正確には初夏の味である。ところがフキノトウだけは雪解けとともに道端や田の畔の、黒い土が真っ先に表れるような場所に顔を出す。正真正銘、春到来を告げる味だから、雪国の人は、最初のうちは大いに歓迎する。ところが雪解けが進み、あちこちにフキノトウが咲きあふれるようになると、もう見向きもしない(ように思えた)。雪解けの後はゼンマイやヤマタケノコなど市場に出荷しても高価で買い取ってもらえる山菜類が豊富になるので、あるいは、そのせいかもしれない。保存しやすい酢味噌和えにして食べ続ける岡部サン家(ち)のおばあちゃんは、だから、真に雪国の春の味を大事にする人なのである。
ヤマタケノコ
山地に大群落を作っているネマガリタケ(根曲がり竹)のタケノコ。山の雪が消え始める頃、地上へ長さ10センチから20センチほど伸びた、鉛筆より少し太いくらいの部分を採集する。苦味は少なく、独特の春の香りが素晴らしい。数ある山菜のなかで筆者が美味ナンバーワンに推するのは、このヤマタケノコである。
前出の山田サンは名がタケオで、親しい人たちは「やまたけサン」と呼んでいた。山好きの「やまたけサン」はヤマタケノコ採りの名人でもあった。朝早くから小ぶりなズック地のリュックを背負い、鉄サビの浮いた愛車に飛び乗ると、いつも夕方にはリュック一杯にヤマタケノコを詰めて帰ってきた。「どこで採ったのですか?」と尋ねても教えてくれず、何度同行をお願いしても、はぐらかされた。総じて土地の人は春の山菜、秋のキノコの採集場所を、自分だけの“秘密の場所”にしていて他言しない。ケチなようにも思えるが、ヤマタケノコには「まッ、独占したがるのも無理はないか!」と思わせるだけの味がある。
初めて食したのも山田サン宅、というか自宅を兼ねた地域新聞の編集室。自由民権運動華やかなりし頃、激こうして刀を振り回した壮士の付けた刀傷の跡が、天井の梁に残る小部屋だった。夕方、仕事が一段落したところで呼ばれて行くと、採ってきたばかりのヤマタケノコをご馳走してくれた。皮付きのまま台所で焼いたホクホクのヤマタケノコを、招かれた何人かでワイワイやりながら皮をむいて食べる。そのままでも美味しかったが、味噌や醤油をつけてもイケた。こちらも理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。ご理解いただくには自分で食べてもらうしかない。
筆者が好きなのは、皮をむいたヤマタケノコを1・5センチほどの長さで輪切りにし、味噌汁の具にする食べ方である。フキノトウを味噌汁に使う時と同様アク抜きはせず、苦味の強弱は量の多少で調節する。その方が苦味や香りといった野趣味を生かせる。タラノメやフキノトウは天ぷらにしても美味しいが、てんぷらにすると苦味が抜け過ぎてしまいがちだ。もちろん好みの問題ではあるが――。
他にもゼンマイやワラビなど山菜は多種あり、限られた行数では書き尽くせない。分野を野草にまで広げると、雪のない関東でも日当たりの良い土手に茂るカラシナやノビルなど、個性的な味の野草はさらに増える。季節を実感するには桜花に限らない。口の中に広がる春を味わってみては、どうだろうか。
「ビールには、これが最高なんだよ!」
地域新聞編集長の山田サンが、小さな顔には不釣り合いな大きな目をさらに大きく開き、言ってから小鼻をうごめかせた。食卓の大皿には初めて見る山菜が豪勢に盛られ、冷やっこい汗を滴らせた瓶ビールも2本。古い民宿兼食堂の大きな広間を、気持ちの良い初夏の風が吹き抜けて行く。新聞社の六日町通信部へ赴任して間もない頃、山好きの山田サンに誘われて新潟県塩沢町(現・南魚沼市)の巻機山(まきはたやま、1967メートル)へ日帰り往復で登り、明るいうちに麓の清水集落へ下りて来たところだった。
「何ですか、これ?」
「木の芽だよ。東京では木の芽と言ったらタラノメのことだけど、新潟の魚沼じゃ、木の芽はこれのこと。ミツバアケビの若芽、ツルの先っぽサ。まずは食ってみなよ!」
ハシで大づかみにして口へ放り込む。苦いが、それゆえ野趣味は満点かつ絶妙。醤油とかつお節の素朴な味付けが実によく合う。ビールとの相性も抜群だった。まだ20代の筆者は以後かぜん山菜好きになるが、どんな種類の山菜を口にしても、あの日の大盛りの木の芽と山田サンの丸い目と、民宿の広間を吹き抜けた5月の風を思い出す。
ミツバアケビは五葉のアケビとは別種。ツル性の落葉樹で、ツルの新芽14,5センチくらいを採取する。軽く折り採れる長さで摘むのがコツで、その部分のみ柔らかく苦味も少ない。関東でも採れるが、新潟など雪国の木の芽の方が太くて柔らかく、味は格段に良い。土地の人は囲炉裏の灰でアク抜きをして、ほどほどに残す苦味の加減が上手。すっかり抜いてしまってはスーパーの野菜と変わらなくなるので、野趣味を感じさせる適度の苦さが山菜の生命である。筆者も自分で採って来た木の芽を何度となく重曹でアク抜きしてみたが、清水集落で食べた木の芽の味ほどに仕上がったことは一度もない。
フキノトウ
旧守門(すもん)村(現・新潟県魚沼市)の農民詩人、岡部サンを訪ねると、お茶うけにいつも出してくれたのがフキの酢味噌和えだった。咲き始めの花(フキノトウ)と若葉を細かく刻んで酢味噌で仕上げる。おばあちゃんの特製で、この味も後々思い出に残る絶品。いつもマイカーで訪ねるのでアルコールはダメ、いただく時は文字通りの「お茶うけ」だが、ある時お願いして自宅へ持ち帰り、日本酒をチビリチビリやりながらつまんでみた。予期した通り、ほろ苦さと独特の香りが理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。次に訪れた時に作り方をおばあちゃんから教えてもらい、以後は自分でも作った。おばあちゃんの酢味噌和えには遠く及ばないが、そこそこの味は出せるようになった。
フキノトウは関東でも採れるが、雪解けのしずくの下から顔を出す雪国のそれと、日当たりの良い野山に咲く関東などのそれとでは、味も香りもだいぶ違う。色からして雪国のフキノトウは黄色が淡い、というか白っぽく、関東のそれは黄色が濃い。陽光を浴びたぶんだけ苦味も関東の方が強いようだ。料理法は酢味噌和えのほか、てんぷら、味噌汁の具など。他に具を用意したうえで、摘みたてを細かく刻んで薬味代わりに少量味噌汁に入れると、春の香りが楽しめる。丸ごと具にすると苦くて食べられない。
雪国の新潟では、木の芽やゼンマイ、ワラビといった山菜は、雪解けを待たなければ食卓に上らない。その意味でこれらの山菜は、正確には初夏の味である。ところがフキノトウだけは雪解けとともに道端や田の畔の、黒い土が真っ先に表れるような場所に顔を出す。正真正銘、春到来を告げる味だから、雪国の人は、最初のうちは大いに歓迎する。ところが雪解けが進み、あちこちにフキノトウが咲きあふれるようになると、もう見向きもしない(ように思えた)。雪解けの後はゼンマイやヤマタケノコなど市場に出荷しても高価で買い取ってもらえる山菜類が豊富になるので、あるいは、そのせいかもしれない。保存しやすい酢味噌和えにして食べ続ける岡部サン家(ち)のおばあちゃんは、だから、真に雪国の春の味を大事にする人なのである。
ヤマタケノコ
山地に大群落を作っているネマガリタケ(根曲がり竹)のタケノコ。山の雪が消え始める頃、地上へ長さ10センチから20センチほど伸びた、鉛筆より少し太いくらいの部分を採集する。苦味は少なく、独特の春の香りが素晴らしい。数ある山菜のなかで筆者が美味ナンバーワンに推するのは、このヤマタケノコである。
前出の山田サンは名がタケオで、親しい人たちは「やまたけサン」と呼んでいた。山好きの「やまたけサン」はヤマタケノコ採りの名人でもあった。朝早くから小ぶりなズック地のリュックを背負い、鉄サビの浮いた愛車に飛び乗ると、いつも夕方にはリュック一杯にヤマタケノコを詰めて帰ってきた。「どこで採ったのですか?」と尋ねても教えてくれず、何度同行をお願いしても、はぐらかされた。総じて土地の人は春の山菜、秋のキノコの採集場所を、自分だけの“秘密の場所”にしていて他言しない。ケチなようにも思えるが、ヤマタケノコには「まッ、独占したがるのも無理はないか!」と思わせるだけの味がある。
初めて食したのも山田サン宅、というか自宅を兼ねた地域新聞の編集室。自由民権運動華やかなりし頃、激こうして刀を振り回した壮士の付けた刀傷の跡が、天井の梁に残る小部屋だった。夕方、仕事が一段落したところで呼ばれて行くと、採ってきたばかりのヤマタケノコをご馳走してくれた。皮付きのまま台所で焼いたホクホクのヤマタケノコを、招かれた何人かでワイワイやりながら皮をむいて食べる。そのままでも美味しかったが、味噌や醤油をつけてもイケた。こちらも理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。ご理解いただくには自分で食べてもらうしかない。
筆者が好きなのは、皮をむいたヤマタケノコを1・5センチほどの長さで輪切りにし、味噌汁の具にする食べ方である。フキノトウを味噌汁に使う時と同様アク抜きはせず、苦味の強弱は量の多少で調節する。その方が苦味や香りといった野趣味を生かせる。タラノメやフキノトウは天ぷらにしても美味しいが、てんぷらにすると苦味が抜け過ぎてしまいがちだ。もちろん好みの問題ではあるが――。
他にもゼンマイやワラビなど山菜は多種あり、限られた行数では書き尽くせない。分野を野草にまで広げると、雪のない関東でも日当たりの良い土手に茂るカラシナやノビルなど、個性的な味の野草はさらに増える。季節を実感するには桜花に限らない。口の中に広がる春を味わってみては、どうだろうか。