斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

53 【ゴーンショック】

2018年12月02日 | 言葉
 遅れて来たコトバ
 平成最後の「流行語大賞」候補には「そだねー」や「半端ないって」など30語が11月7日にノミネートされたが、ここへ来て「ゴーンショック」が俄然クローズアップされている。もとよりカルロス・ゴーン氏が近年の日本経済に果たした役割は大きく、氏の逮捕だけでも十分なインパクトがある。加えて現在進行形のコトバなので、今後どれほど大きな意味を持つに至るかは未知数。こうした可能性も無視しがたい。

 輝ける経営者
 言うまでもなく、かつてのゴーン氏は輝ける経営者だった。詳細は省くが、1999年に日産自動車のCOO(最高執行責任者)に就任するや、同社が抱えていた有利子負債2兆円を2003年までに全額返済し、以後自動車メーカーとしてV字回復を果たした。手法はもっぱらコストカットであり、骨格は2万人超える従業員削減や工場封鎖だから、日本人の感覚からすればダーティーな印象も残る。しかし、リーマンショック(2008年)後の不況でリストラ策を強いられる企業が多くなったことで、先行者ゴーン氏の人気は強まりこそすれ衰えることはなかった。当時のゴーン氏が「日産社員同士では年賀状も出すな」との節約令を出したという逸話が、コストカッターぶりを示すものとして語り伝えられている。

 筆者の当時の知り合いに東京・村山工場に勤めるHさんがいた。定年まで1、2年を残すだけだったこともあり、他工場への異動命令には応じず、多くの仲間と一緒に退社した。
「ニッサンの名前が残るなら、辞めてもいいサ。もう年齢(とし)だしな。ゴーンさんの『わたしにも(リストラされる人の)痛みが分かる』という演説に感激したんだ!」
 工業高校を卒業以来、日産村山工場一筋に働き、愛社精神も人一倍だったHさんは、さっぱりした顔で周囲にそう話していたという。しかし間をおかずしてHさんは胃がんで亡くなられた。リストラのゴタゴタが一因かどうかは不明だが、家族によると「さっぱりした顔」とは裏腹に、かなり悩んでいたらしい。当然だろう。

 堕ちた偶像との落差
 もともと金銭欲の強い経営者だという噂は本国フランスにもあった。日本国内でも高額報酬が話題に上り始めた頃から「自分だけを例外にするコストカッターだ」との評価が流れるようになった。「わたしにも痛みは分かる」は舌先三寸だったわけだ。だから今回のように2011年から2018年までの8年間で約80億円分の役員報酬を有価証券報告書に過少申告していたと聞いても、多くの日本人にとって、さほどの意外感はなかったかもしれない。むしろ呆れさせられるのは、その後ボロボロと出てくる事々の方である。
 まず、公私混同した会社経費の乱費ぶり。ブラジル・リオ、レバノン・ベイルート、パリ、オランダ・アムステルダムの豪華私邸。「現地のホテル代がかさむので住宅を買った」と言い訳するなら、他の役員の海外出張にも供用すれば良いものを、実際は姉や家族が住むばかりだという。みずからの再婚式をベルサイユ宮殿で挙げて費用を日産に肩代わりさせたり、娘の留学先の米大学へ日産の出費で寄付金を出したり‥‥。高給取りのくせに、やっていることはミミッチイ。私的投資の損失17億円分を日産に肩代わりさせるなどは、特別背任行為以外の何ものでもあるまい。

 日本の陰謀? フランスの陰謀?
 次に驚かされたのはフランス国内で起きた「日本の陰謀」説だ。さすがにゴーン氏の乱費ぶりが次々に明るみに出るに従い、影をひそめつつあるようだが、すっかり消えたわではないらしい。陰謀の中身は「フランス・マクロン大統領がゴーン氏へ、日産のルノー子会社化を説き、ゴーン氏も最近はその気になりかけた。そこで、危機感を抱いた日本側が日産子会社化を阻止すべく、ゴーン氏逮捕を検察に働きかけた」というものだ。
 少し冷静に考えれば、こんなヘンな理屈はない。日本側の日産子会社化阻止とゴーン氏逮捕は陰謀でも、フランス側の日産子会社化は陰謀でない、というのだろうか。どちらも企業戦略であるから、モラル面だけで良し悪しを論じるのはナンセンスだが、アトサキを言うなら「日産子会社化案」がサキであって「子会社化阻止」は対抗措置、つまりアトなのである。サキの陰謀ゆえの、アトの陰謀。加えてゴーン氏は金銭面でスキだらけだったから、陰謀の有無以前の問題として、日産経営陣には決着をつけておくべき責任があった。
 どれほど優秀な功労者であれ、どれほど大きなグローバル企業の経営者であれ、会社のカネを不当に使い込んでも許される社会や団体など、地球上には存在しない。

 日本からの視線、フランスからの視線
 フランスのルノー社は日産株式の43パーセントを握るが、日産はルノー株の15パーセントを持つにとどまる。ところが会社としての規模は、販売台数面でも技術力でも日産の方が上だ。いわゆる逆転現象で、ここにアンバランスが生じる。かくしてゴーン氏逮捕後にフランス政府が気に掛けるのは3社連合の力関係で、ルノー社優位を保つことが至上命令になったようだ。というのも日産車に使われる自動車部品の多くはフランスで生産されているため。もともと失業率の高いフランスは、日産側が部品を自国生産へ切り替えてしまうことを恐れるのである。
 Hさんのように、かつてゴーン氏のらつ腕によりリストラされた日本人は2万人強。そのおかげで今、フランスの雇用の一角が支えられているというのは、奇妙な因縁かもしれない。あまり口にしたくはないが、つくづく日本人は人の好い国民であると思わずにはいられない。

 付記 メディアの記事に添えられるゴーン氏の写真が急に悪相になったように思われるが、気のせいだろうか。自動車もイメージや人気に支えられた商品。あの悪相イメージのまま、今後日産のトップとして返り咲くことはできまい。すでに政治生命ならぬ経営者生命は、少なくとも日本では絶たれたと見る方が正解のようだ。