Wさんのブログを読んでいて、自分のことを「ジジイ」と書いている個所で、思わず笑ってしまった。「そうか、Wさんは独身だから、お孫さんから『ジイジ』と呼ばれることはないのだナ」と気づいた。孫からは「ジイジ」や「バアバ」、孫の存在を考えなければ「ジジイ」や「ババア」。「イ」や「ア」の位置が一つ違えば、語感はこんなに違う。
何年か前、上の娘が何かの拍子に筆者を「ジジイ」と呼んだ。小学校で教師をしている上の娘は、2人の息子(筆者には孫)の言葉遣いにウルサく、2人が保育園児の頃から「ジイジじゃなくて、オジイチャンと呼びなさい」と教えていた。だから「ジジイ」と呼ばれた筆者は、かえって新鮮な語感が楽しく、怒るより笑ってしまった。言い間違えに気づいた娘は弁解せず、ただ顔を赤らめていた。
幼児は誰でもそうだろうが、上の娘は幼児の頃、よく言い間違いをした。何かの拍子で慌てたり興奮したりすると、コトバが変化する。ある夏の宵に「ボンドロリへ行きたい。ボンドロリ!」と頻(しき)りに、せがんだ。ボンドロリ? 「盆踊り」の言い間違えだと気づいたのは、広場の方角から太鼓の音が聞こえて来たからだ。
また、ある時、テレビを指さしながら「ニュース、ニュース!」と叫ぶ。テレビはニュース番組を流していたから、「そうだね、ニュースだね」と答えつつ、さすがは新聞記者の娘、ニュース番組が好きらしい、と感心した。ところが、依然として娘は「ニュース、ニュース!」と叫び続ける。一瞬の後、裏番組で『ニルスのふしぎな旅』という人気アニメを放送していることに気づいた。チャンネルを変えてやると、満面の笑顔になった。舌が回らない娘は「ニルス」のつもりで「ニュース」と言っていたのだった。
【じいじ】=「ジジの長音化。祖父を親しんで呼ぶ幼児語」(『広辞苑』第7販)。さすが広辞苑には載っていた。同じ意味の方言は無いようだから、語源は幼児語、つまり言い間違いから。しあわせな気分にさせてくれる言い間違いである。
何年か前、上の娘が何かの拍子に筆者を「ジジイ」と呼んだ。小学校で教師をしている上の娘は、2人の息子(筆者には孫)の言葉遣いにウルサく、2人が保育園児の頃から「ジイジじゃなくて、オジイチャンと呼びなさい」と教えていた。だから「ジジイ」と呼ばれた筆者は、かえって新鮮な語感が楽しく、怒るより笑ってしまった。言い間違えに気づいた娘は弁解せず、ただ顔を赤らめていた。
幼児は誰でもそうだろうが、上の娘は幼児の頃、よく言い間違いをした。何かの拍子で慌てたり興奮したりすると、コトバが変化する。ある夏の宵に「ボンドロリへ行きたい。ボンドロリ!」と頻(しき)りに、せがんだ。ボンドロリ? 「盆踊り」の言い間違えだと気づいたのは、広場の方角から太鼓の音が聞こえて来たからだ。
また、ある時、テレビを指さしながら「ニュース、ニュース!」と叫ぶ。テレビはニュース番組を流していたから、「そうだね、ニュースだね」と答えつつ、さすがは新聞記者の娘、ニュース番組が好きらしい、と感心した。ところが、依然として娘は「ニュース、ニュース!」と叫び続ける。一瞬の後、裏番組で『ニルスのふしぎな旅』という人気アニメを放送していることに気づいた。チャンネルを変えてやると、満面の笑顔になった。舌が回らない娘は「ニルス」のつもりで「ニュース」と言っていたのだった。
【じいじ】=「ジジの長音化。祖父を親しんで呼ぶ幼児語」(『広辞苑』第7販)。さすが広辞苑には載っていた。同じ意味の方言は無いようだから、語源は幼児語、つまり言い間違いから。しあわせな気分にさせてくれる言い間違いである。