斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(47) 【痛い親指、甘い柿】

2022年12月17日 | 言葉
 庭の柿の実が熟れた。さっそく捥(も)ぎ、ナイフで皮を剝(む)こうとして、左手親指先の指紋のある部分、いわゆる「指の腹」を切ってしまった。包帯を巻くものの、傷が深いらしく血が止まらない。困ったことに、というかアタリマエというか、止まらなければ何もできない。ここは「年齢の割に血液サラサラか・・」と都合良く解釈して、ゴロンと横になる。果報は寝て・・いや、止血は寝て待つことにした。

 とはいえ気になる。見ると、もう包帯に血が滲んでいない。寝転んだために血が止まったらしい。鼻血や生傷の絶えなかった子供の頃のチエを思い出した。<出血が多い時は、傷口を心臓の位置より高くする>。横になったので傷口が心臓の高さになった、ということだろうか。
 
 もっとも、問題は、ここからだった。触覚機能の代名詞たる指先には神経が集中しているのか、とにかく痛い。それに少し力を込めただけで出血する。日常の動作で親指の先を使うことがいかに多いかを、怪我をして初めて文字通り痛感した。
 例えば朝、歯を磨こうと、練り歯磨きのチューブのキャップを回す。左手親指でチューブをしっかり掴まなければキャップは外れない。つい、いつもの調子で掴むと激痛が走る。かくて右手のひら全体でチューブを握り、右手親指と右手人差し指でキャップをつまんで外す、という芸当が必要になる。時間をかけ、ゆっくりやれば意外と簡単だ。何度かの鋭い痛みに耐えつつ覚えた方法である。
 万事がこの調子。朝起きてパジャマのボタンを外し、シャツのボタンを掛ける。ここで最初の激痛が走る。顔を片手で洗う。朝食で目玉焼きを作ろうにも、料理のプロでもあるまいし、シロウトには片手では割れない。さて、食べ終わると食器洗い。独り暮らしゆえ、これも自分で。指先が滑るので洗剤は使えない。

 そんなこんなで本日にいたるまで10日間くらいは不自由した。それにしても親指の先だけで、これほど日常が不自由になるとは! 怪我してみなければ分からぬものだ。そうそう、皮が剝けないので放っておいたカキ。改めて皮を剥き、食べてみると、トロトロの熟柿に変わっていた。その甘いこと、あまいこと。柿が詫びを入れているのかと勘違いするほどに甘く、おいしかった。