『マララMalala 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』は昨年ノーベル平和賞を受賞したパキスタンの女性マララ・ユスフザイさんの手記です。女性と言ってもまだ17歳の女の子です。日本などの先進国では、高校に通い青春真っ只中といった年頃です。
彼女がどんな試練を神から受けたのかは今や世界中の知るところですが、この手記に描かれているのは、世界中どこにでもいる普通の女の子の姿です。
学校や勉強が大好きで(先進国では珍しいか…)両親に愛され(これも今じゃ珍しいことかも…)毎日のように兄弟ゲンカをして、仲のいい友達と他愛ないおしゃべりをして、お気に入りのテレビ番組を見る、そんな女の子です。
私は高校生の頃に読んだ『アンネ・フランクの日記』を思い出しました。前知識としてナチスに連行され強制収容所で亡くなったことは知っていたので、悲惨な内容を思い描いていたのです。でもそこに描かれていたのは、自分と全く変わらない、今自分の隣にいてもおかしくない、そんな普通の女の子の普通の日常生活でした。
そのことがなによりも悲しくて、どうして?どうして?と、そんな想いばかりが頭の中をぐるぐる回っていました。
マララさんはかなり勇気があり、環境的に恵まれていたとはいえ、10代の女の子がやり遂げたこととしては信じられないほどの快挙です。
信心深い敬虔なイスラム教徒でしたから神の加護もあったかもしれません。それでもマララさんが生き伸びられたのは奇跡だと思います。
今は世界中がマララさんに注目しています。マララという一人の少女が成し遂げた偉業を決して忘れてはいけないと思います。パキスタンという国が国際的にどのような立場になろうと、このような少女を輩出した国であることに変わりはありません。
かつて同じように注目されながら、暗殺されてしまったパキスタンの男の子がいたことを、この機会にまた思い出してほしいと思います。
イクバル・マシ―君は、借金のかたに4歳の時から絨毯工場で週に6日間、1日12時間の労働を強いられていました。10歳の時に、人権団体により労働から解放され、児童労働問題について世界中に訴えました。人権に係る賞をもらい、授賞式にでるためアメリカを訪れ、メディアでずいぶん注目されました。イクバル君もマララさんと同様に教育の機会が欲しいと訴えました。過酷な労働の代わりにペンと紙が欲しいという、子どもとしての真っ当な願いでした。
しかし、帰国後に何者かに銃で撃たれ亡くなりました。
イクバル君の活動に危機感を持った絨毯業界の関与が疑われましたが、事件は解明されていません。
世界の人々は、とりわけ日本人は熱しやすく冷めやすいものです。また、自分の目で確かめる・自分の頭で考えるといった面倒くさいことを避けがちです。注目されているものを追いかけて、メディアが報じなくなれば忘れてしまいます。
マララさんはその手記で、自分たちよりもっと悲惨な目に遭っている女の子たちとして、アフガニスタンの女の子を引き合いに出しています。今日本でアフガニスタンの話などしたら、場違い・時代遅れと言われそうです。
カナダの作家デボラ・エリスさんが、タリバン支配下のアフガニスタンの女の子の生活をシリーズで書いています。そこに描かれているのも、話す言葉や信じる宗教は違えども、おしゃべりが好きで、学校は好きだったり嫌いだったりという普通の女の子の姿です。多くの日本人にとっては過去の、流行らない話かもしれませんが、マララさんが注目されている今、たくさんのマララさんがいることを感じてほしいのです。
今も世界中で子どもや大人が悲惨な目に遭っています。文化遺産が失われて初めてその国の現状を憂えるのではなく、自分と同じ人間が人間として扱われていない現状を直視して、そのうえで自分にできることは何かを考えたいです。
10年程前、インドの児童労働問題を扱うNGOが来日し、現状報告を聞いたことがあります。そのときにあるゲームをしました。貧困家庭に生まれたと仮定し、人生の節目でどのような選択をしたかで結果が分かれるというゲームでした。私は3回やって3回とも10歳前に死んでしまいました。NGOに助けられて貧困から抜け出すことができるのはほんの一握りの子どもだけです。私はまともに働くという選択はせず、いつも盗み・詐欺を働き、制裁を受けて死ぬという結果でした。地道に働くのが正当な選択だと知りながらも、地道に働いても犯罪を犯してもリスクが同じくらいの国では、真面目に働くことが困難であると思いました。
日本はどうでしょうか。今のところはまだ、真面目に働くことが高リスクになるような国ではないと思っています。そして今後もそうであると信じています。
マララさんは手記の中で言っています。
どうしてタリバンは学校をこんなにも恐れるのか。
学校を恐れるのはタリバンだけではありません。日本の教育が混乱をきたすのも同じです。人々が学び、賢くなること、自らの英知を信じて立ち上がること。
これほど為政者にとって恐ろしいことはあるでしょうか。
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