刑事事件の専門誌などを読むと、刑事弁護を専門とする弁護士さんたちの熱い思いが伝わってくる。
テレビで注目を浴びているのも刑事件を担当する弁護士さんである。
冤罪とかだと、「正義」がかっこよく映える。
だが、先日図書館で借りた『刑罰』を読み、早くも刑法や関連法の勉強自体に気が進まなくなってしまった。
作者のフェルディナント・フォン・シーラッハはベルリンで刑事事件弁護士として活躍している。かかわった事件は700件以上。作家デビューは2009年。
『刑罰』は短編で、刑罰が科せられなかった罪の真相が描かれている。
児童虐待で無罪放免となった男が帰宅するなり2歳の息子を洗濯機に入れてスイッチを押す。
赤ん坊を壁に叩きつけて殺害した夫の罪をかぶって服役する妻。出所後、バルコニーでテレビのアンテナを修理している夫を足掛けを蹴って転落させ殺害するが、検察官は証拠を出せず、妻は無罪となる。
妻への度重なる暴力で捕まりながらも夫は釈放され、妻はその半年後にハンマーで殴り殺される。
日常茶飯事なのかもしれない。
でも真相など神様と当人以外にどうやってわかるのだろうか。
犯行を確信しているが証明はできない。
刑事訴訟法の教科書の中の、次の記述を読み、自分はとんでもないカン違いをしていたのだと知った。
弁護人は、被告人に不利益な主張をしたり、不利益な証拠を提出することは、たとえそれが真実を発見するためであるとしても許されない。弁護人は、被告人の利益を害してまでも真実発見に努める義務はない。
依頼人の利益がまず先にあり、真実発見はそのあとに来る。
ここのところが今ひとつはっきりしていなかった。
思えばどの仕事においても、こういった部分が曖昧だったように思う。
正義とは、酔いしれるものや憧れるものではなく、探究するものなのかもしれない。
テレビで注目を浴びているのも刑事件を担当する弁護士さんである。
冤罪とかだと、「正義」がかっこよく映える。
だが、先日図書館で借りた『刑罰』を読み、早くも刑法や関連法の勉強自体に気が進まなくなってしまった。
作者のフェルディナント・フォン・シーラッハはベルリンで刑事事件弁護士として活躍している。かかわった事件は700件以上。作家デビューは2009年。
『刑罰』は短編で、刑罰が科せられなかった罪の真相が描かれている。
児童虐待で無罪放免となった男が帰宅するなり2歳の息子を洗濯機に入れてスイッチを押す。
赤ん坊を壁に叩きつけて殺害した夫の罪をかぶって服役する妻。出所後、バルコニーでテレビのアンテナを修理している夫を足掛けを蹴って転落させ殺害するが、検察官は証拠を出せず、妻は無罪となる。
妻への度重なる暴力で捕まりながらも夫は釈放され、妻はその半年後にハンマーで殴り殺される。
日常茶飯事なのかもしれない。
でも真相など神様と当人以外にどうやってわかるのだろうか。
犯行を確信しているが証明はできない。
刑事訴訟法の教科書の中の、次の記述を読み、自分はとんでもないカン違いをしていたのだと知った。
弁護人は、被告人に不利益な主張をしたり、不利益な証拠を提出することは、たとえそれが真実を発見するためであるとしても許されない。弁護人は、被告人の利益を害してまでも真実発見に努める義務はない。
依頼人の利益がまず先にあり、真実発見はそのあとに来る。
ここのところが今ひとつはっきりしていなかった。
思えばどの仕事においても、こういった部分が曖昧だったように思う。
正義とは、酔いしれるものや憧れるものではなく、探究するものなのかもしれない。