1919年10月の労働争議 その2
(読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)
10月 活版印刷各工場労働者2000名連携・呼応して大闘争
印刷労働者で組織された印刷工組合「信友会」は、10月12日、要求書「8時間労働制(週48時間、食事・休憩時間も含む)、保護工・年少者6時間労働制(週36時間、食事・休憩時間も含む)を11月1日より実施」を東京市内160余の全印刷工場主へ提出し、各工場での会員の組織化の調印を求めて一斉に動くことを決議した。
萬月堂は「10月16日より9時間制、正味8時間を実行した」と回答。芝近藤印刷部、福音印刷社、回文堂は「10月26日から実施かる」と答えてきた。
信友会は23日実行委員10数名を選び、印刷業界の社主や資本家10名と会い、近く双方の代表による交渉を約束した。この日すでに築地活版所と同社労働者との交渉が決裂しサボタージュ闘争が開始され、続いて三秀舎と秀英舎の労働者もこれに呼応しだした。25日26日と築地活版所は臨時休業にして争議を食い止めようとしたが、労働者一同は他の印刷労働者と共に月島海岸に集結した。26日午後6時から松本亭で大演説会を開催し決意を固めた。
27日印刷業界側は印刷同業組合有志大会を京橋会館で開催し、「1、東京市内の印刷会社は全て東京印刷同業組合に加入する事、2、東京印刷同業組合加入の会社は、ストライキなど不穏当の理由で解雇された者を決して雇わない事、4、一日10時間労働制の慣例を守ること、5、ストライキが起きて交渉が決裂した場合は、ストライキ参加者全員を同業組合会社は雇用しない事、6、ストライキと交渉決裂の時は、一斉に工場を無期休業とする事、8、この決議に背いた会社は工場の機械その他全部を差し押さえ代償に相当する違約金を徴収する」「8時間制の実施は我が印刷業の現状ではまだその時機ではない」を決議した。そして当日、築地活版所は無期休業の宣言をした。各印刷所の労働者は約2000名は結束し京橋会館前に押しかけ示威闘争をし、この日も松本亭で演説会を開き<万丈の気>を吐いた。
28日には、三秀舎、宮本博信堂、愛善社の各印刷労働者はストライキに突入。三省堂も夜勤よりストライキに。中屋活版所は一日は休業したが、ひとまず妥協が成立した。東京市内全体の印刷労働者のストライキ参加者は2000余名に達した。29日正午より、活版工大会を神田青年会館で開催し、参加したストライキ労働者は1500名に上り、女性、幼年工も演壇に立ち聴衆に多大な感激を与えた。そして『我らは8時間制の即時実施を要求し、誓ってその貫徹を期す』と決議した。この日より丸利印刷所労働者もストライキに入った。
資本家側は新聞に『東京印刷協会は、日本印刷工組合信友会員を雇用しない事を申し合わせた』の広告を出した。
一方、新聞社製版工革進会の労働者は、かつての争議の時に信友会より受けた友情と支援に応えようとカンパ運動を開始し、約300円を集め信友会へ送った。こうした新聞社製版労働者が動きだしたとたんに、各新聞は申し合わせたように印刷労働者の労働争議をほとんど報道しなくなった。
革進会の労働者は、次の新聞広告で世間の同情を集めた。
『社会の同情に訴ふ! 築地活版職工の正常なる要求に対し、頑迷なる工場主は資本家として最も卑劣なる工場閉鎖を断行して戦を宣告したのであります。実に同所職工諸君の死活の問題たるのみならず我ら労働階級の生存権を奪わんとするのでありまして断じて忍ぶ能わざる所であります。我らは我らの生存権擁護の立場よりあくまで暴虐なる資本家と戦わんとするものであります。願わくば我らの義挙に賛し我らの運動費を援助せんが為に応分の寄付をして頂きたい。追て金額は何程でもよろしいのですから特志者は芝区新桜田町十九番地加藤義直方へ願います。』
30日午後6時より芝神山亭において新聞印刷工有志とストライキ参加者の合同演説会が開催されたが、中途で警察の「演説中止」を受けた。同日、信友会の実行委員は45の印刷所の工場主と面会し解決は近づいたかに見えたが、友文社印刷所は31日休業して、丸利、健〇堂、一色各印刷所はそれぞれ多数の労働者をクビにしてきた。各委員は連日各工事用主を訪ね主張を貫徹した。同時に長文の檄文を八方に飛ばし公衆の理解と同情を求めた。各方面より多額の寄付金が寄せられたが、解雇された失業者生活は惨めであった。11月2日、新聞活版労働者らによる「ストライキ職工慰問隊」が計画され、金品・米などを積込んだ車で慰問した。このかん、ストライキ労働者は各所で集会を催して結束を固くし、ほとんど半永久的なストライキすら決意する労働者多数であった。福山、中外、神田、東洋、凸版印刷、博文館の労働者も騒ぎだし、サボタージュ気分をもらし、一方の会社は、凸版印刷と博文館は3割から5割の増給で労働者の騒ぎを抑えようとしてきた。
工場主は、一人5円の奨励金を飴(アメ)としてストライキの結束を切り崩さんとし、または「クビ」で脅かし、さらに東洋印刷のごときは「信友会員を全員解雇する」と宣言し、反って全労働者の反感を買った。工場主は新聞記者を招き宴会を開くなどもしてきた。
ストライキ参加者労働者の中にはストライキの終結のめども立たず、生活の窮迫を訴え戦意を忘れる者も出てきた。築地活版所は約20名のスト破りの就労者も出て、三秀舎は約100名の就労者が出ている。しかし、なお圧倒的多数の労働者は固く砦を守り続けた。11月8日東京印刷同業組合の工場主は、「一つの会社だけ裏切ってかってに8時間制にする事は許さないな。もし一会社でストライキを行われた場合は全部の印刷工場を閉鎖する」と脅してきた。東京印刷同業組合組合長は「8時間制に賛成の意」を表明したが、最終的に11日労資は「8時間制問題は留保、賃金1割5分から2割値上げ」で妥協した。しかも大量の解雇問題への解決はなく信友会の敗北であった。築地・三省堂の欧文科の如きは全滅状態であった。
ここのストライキ中、ことに女性労働者と幼年労働者の団結が強固であった。誠によく戦った。しかし、信友会は多数の会員を失ったようである。11月16日神田青年会館で同盟罷業問題終結報告大会が開催され、途中警官より「中止」を命じられ、喧噪の中散開した。
10/16 築地活版所550余名の闘い
16日築地活版所労働者550余名は「男子8時間制、女子・幼年工は6時間制を10月26日から実行すること、及び給料4割から5割増給を要求した。会社側は「8時間制は早々には実行しない。賃上げは1割程度」とした。労働者側は25日サボタージュ闘争と示威行動を開始したので会社は臨時休業を宣言した。26日は朝から平常通り出勤したが、労働者は全然仕事をしない。のでこの日も臨時休業とし、また騒ぎが落ちつくまで工場閉鎖を行うこととした。労働者一同は他の印刷工場の労働者と共に月島海岸に集結し話し合い、そのまま信友会の旗の下にストライキを継続した。27日夜会社は40余名の男女労働者を「職務怠慢」を理由としてクビにしてきた。労働者は各所に集合し結束を固め11月1日に各印刷所労働者に檄文を配布して応援を求めた。
その後会社はもっぱらストライキ参加者の切り崩しに全力をあげた。1人5円でスト破りの買収策謀をしてきたが、5日工場閉鎖を解いたが、スト破りで就労したのは10数名の労働者のみだった。しかし、徐々に就労者は増し、11月14日に大多数が無条件で職場復帰した。しかし、クビになった100余名と欧文科と女性労働者の強硬論者数十名はなおストライキを続行した。12月26日被解雇者ら160余名は工場主を相手とって東京裁判所に提訴した。
10/16 三秀舎印刷所の闘い
16日神田三秀舎印刷所労働者約300名は「男子8時間制、女子・幼年工は6時間制、残業3時間以内」を要求し、28日ストライキを決議した。その後双方かなり「立憲的」に交渉を重ねたが、労働者側の結束が鈍るや会社は労働者数名をクビにしてきた。11月11日1割から2割5分の増給で無条件復職となった。この日神田松本亭で最後の報告会を開き、250名ストライキ参加者はほとんど全部仕事に戻った。
10/16 三省堂印刷所の労働争議
16日、東京三省堂印刷所の労働約300名は「8時間労働制、保護工・年少者は6時間労働制、最低限度70銭賃上げを10月26日より実施」と要求した。賃金値上げは「成年35銭婦女子20銭」で解決したが、8時間労働制は決裂したため、労働者側は29日一日ストライキを行った。会社は30日より無期限の休業・工場閉鎖を強行し、300名全員の解雇通知を交付してきたため、以後ストライキは継続された。11月12日妥協が成立したが、欧文科の少なくない労働者らは連決辞職をしてしまった。
10/16 丸利印刷所の労働争議
16日、東京神田丸利印刷所の労働者200余名は信友会決議に基づき工場主と交渉を続けていたが、29日、活版部がまずストライキに入り、続いて機械部もストライキに入った。会社は臨時休業を宣言し抵抗してきた。他の印刷所のストライキと歩調を一つにして争議を継続していたが、会社は約20名労働者をクビにしてきた。11月11日労働者側の敗北をもって争議は終了した。
10/16 東京電気局浜松町工場900名の結束
東京市電気局浜松町工場労働者約900名が結束して電気局長、工場長を通して「賃上げ」と「軍籍者は、現在は兵役召集で工場を100日休むと解雇されるが、その間休みとして取り扱い職場復帰を認めよ」その他を要求した。
10月中旬 時間短縮より賃金値上げを!
福岡県大里日本金属会社大里精煉所では「8時間制」実施に関して労働者一同の意見を聞いた。しかるに労働者の大部分は、時間短縮より賃金増額を要求すると答えた。会社は8時間制は適当の時機に延期し、10月21日から賃金3割5分増給とすると発表した。
10月中旬 700余名のサボタージュ闘争
大阪市西区大阪製鉄所労働者700余名は、「8時間制と3割増給」を要求した。会社と交渉したが、妥協ができず、25日からサボタージュ闘争に入った。26日の夜双方の委員協議の結果、庶務課長一任となり、27日は平常通り勤務についた。
10月中旬 8時間制、賃上げ、労働者住宅の建設実現
福岡県遠賀郡安岡電気製作所400余名は賃上げをめぐって労資が協議していたが、労働者側は要求貫徹の手段としてサボタージュに突入する気勢を示した。会社安川社長は「11月1日から従来の9時間半をやめて8時間制を採用し、同時に賃上げをする」と発表した。また、「労働者住宅の建設にも着手する予定だ」と言う。
10月中旬 鍛冶工場労働者は「時間短縮と賃上げ」を要求
兵庫県三木町、久留美、別所の各鍛冶工場労働者は「時間短縮と賃上げ」を要求した。10月25日から「3割増、暫時時間短縮」を行った。
10月中旬 運転手10余名賃金値上げを要求中、二人の運転手が自動車のまま行方不明
箱根宮の下富士屋自動車会社運転手10余名は賃金値上げを要求してサボタージュを挙行した。会社は中々要求に応じない。11月4日朝、及び午後に二人の運転手が自動車のまま行方不明となった。
10/17 京都市電気架線労働者の「8時間労働制」要求
17日京都市事業部電気課の架線労働者は「8時間労働制、賃上げ、年功加俸制、兵役時の特別手当、休日は祭日と年末年始及び一ヶ月に3回の休暇を与える事」を要求した。
10/17 公休日にも賃金を支払えとストライキ
名古屋浅井製材合資会社100余名は「公休日にも賃金を支払うこと、2割の賃上げ」を要求したが、会社から回答が無かったのでストライキを行った。
10/17 小田原郵便局員局長の排斥決議
小田原郵便局の局員と配達労働者その他20余名は、連署の上「賃上げ」を要求した。物価高で現在の給料では到底生活できないと訴えた。騒ぎは一旦は収まったが、11日5日頃より再び騒ぎは大きくなり、事務員も決起した。11月6日夜8時より事務員全員が局内控室で10時頃まで協議し、「増給と土屋局長の排斥」を決議した。この事務員の決起に配達労働者も盛んに声援を送った。
10/18 差別に怒り1600名女性紡績労働者サボタージュ闘争の決起
岡山県味見町山陽紡績株式会社工場男性労働者及び男性雇員400名が「賃上げと通勤手当の値上」を要求した。会社は「1割の手当ては廃止し3割5分増し」を回答したが、労働者は全く納得せず一部にはサボタージュも開始された。一方女性労働者は「男に増給があるのに女性にはないのは不服だ。男と同じ値上げをしろ」と25日の夜勤から1600名女性労働者が一斉にサボタージュ闘争をはじめた。会社は女性に一定の増給を約束したがサボタージュは収まっていない。今後ストライキになるかもしれない。
10/20 岡山駅鉄道員賃上げ運動
鉄道院岡山駅機関車車庫約400名中10数名は賃上げ運動を起こして神戸鉄道管理局の運動に呼応せんと努力している。
10/20 鉄工所65名のストライキ
姫路市福澤町山本鉄工所約65名は賃金5割増給を要求してストライキを行った。親方側では賃金3割5分の値上を回答し妥協が成立した。23日から全員就労する。
10/20 川崎日本鋼管3000名の要求
20日神奈川県川崎日本鋼管株式会社の製鋼、製版、製條、鉛管各課他10余課の労働者は「現在の12時間労働を8時間制へ、賃上げ」要求を提出した。21日午後労働者は大師公園に集結し、「万一要求が拒絶された場合は団体として行動する」と申し合わせた。23日会社は警察に「労働者がストライキの準備をしているので取締られたし」と依頼した。同社は経営不振を理由に大量解雇の計画があった。果して要求は拒絶した。25日労働者の中で、大挙して溶鉱炉や送電線やガス管などを破壊すべしの説が流布され、3000余名のストライキが開始されるのではないか、暴動になるのではとの噂も出て、各新聞は「日本鋼管の職工暴動云々」の記事で報じられたが、労働者の結束はならず、会社が「近く幾分の待遇改善かる」と声明したので27日より全労働者は平常通り就労した。労働者側リーダー6名がクビになった。その後会社は「8時間制は拒絶、賃上げも拒絶、ただし請負制度を採用する」と発表した。
10/20 卑劣な組長排斥の決議
大阪住友●鋼所起重機係労働者は組長某に「8時間制になり、収入は減るので、残業や夜勤を希望するのは当然である。しかるに
他の部署には許可して起重機係に許可しないのはなぜか」と質問したが、組長某は卑劣極まる態度を以って終始したので組長排斥の声となった。25日中心者5名が「危険人物、組長排斥の陰謀者」として辞職勧告を受け、5人中4人が退職させられた。怒った4名は各方面に文書を発送して暴露した。
10/20 車力組合130余名の賃上げ要求
名古屋市瀬戸町間の陶磁器運搬車力組合130余名は賃金3割増給を商工組合に要求した。
10/20 長岡鉄工所賃金値上げ解決
新潟長岡市、長岡鉄工所労働者賃金5割増給を要求して紛争中であったが、10月26日2割5分増で解決し、10月1日に遡って支給することとなった。
10/21 船舶海員やコック、ボーイ賃上げ勝ち取る
5月初旬大阪商船会社船舶司厨(しちゅう、船舶の食事担当や接客係・ボーイ)部員で組織する「同志会」は賃上げを要求したが、会社から拒絶された。10月21日になり、会合を開いた労働者側は会社に対して強硬に詰め寄り、談判した。ついに海員、ボーイ、コックなどに2割の増額、6割の特別手当その他の賃上げを勝ち取った。
10/21 鉄道院兵庫鷹取工場3000名の8項目の要求
21日午後、鉄道院兵庫鷹取工場3000名は代表委員を挙げ「①現在日給の15割増加、②8時間制の実施、③残業と日曜公休出勤には日給の倍額を支給すること、④10年勤続者に恩給を与えること、⑤住宅料を支給すること、⑥山陽線土山よりの通勤者にし無料乗車させること、⑦定期昇給時には一般に昇給すること、⑧慰労金は必ず2か月分を支給すること」の要求を決議し、22日朝、神戸管理局及び工場長に提出した。
10/22 会社の賃上げに「これは姑息なり」と反発
福岡県八幡安田製釘所は最近会社が少しの賃上げを発表したが、労働者側200余名は「これは姑息なり」と連名で要求を提出した。「①給料の8割増給、②現在の11時間労働制を8時間制へ、③住宅料5円の支給、④米を低価格で販売、⑤まきや石炭の補給」。会社の強硬な態度により労働者側は23日よりサボタージュを続けているが、11月5日は同会社の記念日であり、その時には満足なる回答をすることとなった。
10/23 「浪花節」で差別された2500名サボタージュで怒る
呉海軍工廠砲口部第一工場の労働者約2500名全員が昼食後機械の傍に立ち、手を挙げて機械に触らないサボタージュをはじめた。係官の説得でようやく15分後就労した。毎日新聞によると「同工廠では最近慰安のため各工場申し合わせて、30分間浪花節を聞いたり相撲に興じたりしていたのに、当日も第一工場において浪花節語りを招いたのに、組長連中のみが聞いて一般の労働者には聞かさなかったので憤慨した」という。
10/23 満鉄沙河工場貨車職場労働者は突然のサボタージュ
満鉄沙河工場貨車職場労働者は突然サボタージュをはじめ、他の工場労働者との連携も努めたので当局は驚いた。原因は各地に派遣する募集を直前に中止したことや当時満鉄が発表した給与改正の内容に不満があるからだともいう。
10/23 艀(はしけ)船労働者380名がストライキ
名古屋港艀(はしけ)船労働者380名が3割増給を要求してストライキに入った。三井物産の40船、名古屋倉庫の35船の船夫も「付き合いだ」と言って同情ストライキを行った。24日、三井物産では会社の説得で仕事に就こうとしたが、ストライキ側はピケッティングでこれを阻止した。24日朝より単独沖仕(立ちん坊)約400名も荷主に対して3割値上げを要求し、正午には沖沖仕約1000名も3割値上げ運動をはじめサボタージュを行い、午後3時にはストライキに突入した。24日深夜、労資は「25日から全員に2割増給を行う」ことで妥結し争議は解決した。ただ単独沖仕(立ちん坊)のみは、あくまで3割増給を固持し25日もストライキを続けた。
10/23 船長以下全船員が給料5割増要求
尾道因島間航海の石油発動機船尾道道丸土生丸の船長機関長その他全員20余名の船員が連署して給料5割値上げを汽船同盟組合へ要求した。汽船同盟組合は要求を拒絶するとともに20余名全員をクビにしてきた。双方にらみあい状態であったが、11月2日2割増給で合意し大部分の船員は復帰した。
10/24 日本製鉄会社労働者「8時間制」要求
福岡県日本製鉄会社工作課労働者73名は「①8時間制、②5割増の賃上げ、③公休以外欠勤3日までは勤務手当の全額支給、④社宅5円の支給、⑤年2回の各一ヶ月分の賞与支給、⑥医師を替えること」を要求した。同社では溶鉱課には5割の手当てを支給していたが、工作課には2割から4割しか払われていなかった。しかし、27日に会社は「8時間制」の実施だけを発表しただけでその他の要求にはなんら回答をしてこなかった為、労働者側は争議に入ったが30日午後「12月1日より増給」で解決した。
10/25 秀英舎印刷所の労働争議
25日朝、東京京橋秀英舎印刷所の男性労働者約300名と女性労働者約80名は「8時間制と日給50銭の値上」を要求するためと称して早退場をしようとして失敗した。その後この事件で会社は首謀者労働者数名をクビにした。27日一般労働者は怒りサボタージュ状態になったが、ストライキにはならなかった。
10/25 中屋活版所の労働争議
25日東京京橋中屋活版所の労働者もストライキを行い、築地活版組や三秀舎組などと協同運動で闘っていたが、27日会社が「賃上げ3割増給」を回答したので、「8時間制」は後日とすることとして28日から就労した。
10/25 門司管理局小倉工場670余名連署の要求と全面敗北
門司管理局小倉工場の組立、仕上、旋盤工場以下5工場の労働者670余名は連署にて「①本俸の5割増、②従来通り5割の臨時手当の支給、③日曜、祭日は一般休日とみなし日給等を勤務日と同様に支給する事、④雇人と同率の半年ごとにボーナスを支給すること」の要求を工場長に提出した。北九州地方の他の工場の賃金が高いことから、同工場の労働者も他と同額の収入が欲しいと要求した。しかし、木工部400名はこの運動には参加しなかった。27日局長は「労働者の要求の全面拒絶」を発表した。労働者の団結は総崩れになり、最も強硬に主張していた組立、仕上の両工場も28日要求撤回を工場長に申し出て全面敗北で終結した。
10/26 小石川原町計器製造会社労働者約500名の要求
東京小石川原町計器製造会社労働者約500名は「8時間制の実施、3割増給、社内貯金の払い戻し」等を要求した。30日午後6時労働者側は会社の幹部に直接面会を求めたが要領を得ない為、ついに器物を破壊し多少の負傷者も出た。強硬の会社より要求は拒絶された為、労働者全員は辞職届を提出した。しかし、所轄の富坂署長が仲裁に入り労資は妥結した。12月1日より「9時間制実施と賃金の1割値上げ」となった。
10/26 100名全員でストライキ
岡山県八浜町日本養貝株式会社織物部労働者が賃金3割増給を要求し労資の対立は激しくなり、28日には一部にサボタージュも起きた。29日は女性労働者も代表委員を挙げ賃上げを要求し100余名全員がストライキに突入した。
10/26 製紙労働者250名「12時間労働を10時間に」と声をあげる
大阪西成豊崎町東洋製紙会社労働者350名中250名は、正午頃、突然連袂して工場を抜け出し近くの空き地に集結して「現在の12時間労働を10時間にして2時間は居残り残業扱いとすること、賃金の3割増給身、皆勤手当てを2日分から3日分に」の要求を決議した。会社は27日、管理職20名を集め「労働者の要求は全面的に拒絶する。労働者が沈静になれば、幾分かの増給はする」と言った。28日午前付近の寺院に集結した労働者はこの会社の態度に反感を抱き、28日もストライキを貫徹した。29日無条件復帰したが、抗議の辞職者も多数でた。
10/26 札幌鉄道労働者の賃上げ運動
北海道鉄道院管理局札幌工場労働者の増給運動は、九州鉄院小倉労働者の決起に次ぐものであった。札幌工場1000名の内約200名は、賃金3割増給を求めて協議会を開いたが、当局の庶務課長に見つかり、結局は課長に一任することとなって就労は続けた。
10/26 貨物汽船第六松昌丸のストライキ
門司横浜間の航行貨物汽船第六松昌丸は尾道からまさに出港せんとした時、機関部の船員11名中8名がストライキを行い出港を停止させた。続いて甲板部もサボタージュを行ったので船長は驚いて本社と交渉して3円の増給を決めたが解決しなかった。
10/27 女性労働者130名の決起
横浜帆布株式会社女性労働者130名は一同結束して「①手当6割支給、②手当を俸給に算入する事、③皆勤賞は日給3日分とする事、④人格を無視した給料支払いの仕方を改める事、⑤8時間制の採用」の要求をした。しかし、会社は誠意のない態度を取り続けたので、午後よりストライキを行った。28日もストを続けた。29日も会社の強い切り崩しでスト破りをしたのは10数名に過ぎなかった。女性たちは報知新聞で「一ヶ月15円では生活苦で耐えられないので、あくまでストライキを貫徹する」と言っている。
10/27 三菱倉庫沖仕と船夫要求を決定
神戸三菱倉庫沖仕と船夫600名は協議を続けていたが、11月に「5割内外の増給」要求をすると決定した。
10/28 紡績会男性労働者300余名ストライキ計画
神奈川県平塚町相模紡績会男性労働者300余名は「①日給の8割増給、②8時間制の採用」要求を会社に提出した。会社との協調は困難な為、労働者側はストライキを計画している。
10/28 労働者950余名の闘い
東京王子町関東酸曹株式会社労働者950余名は3割増給を要求したが、その後会社から一向に回答がない為、熟練工約50名はストライキをして出勤しなかった。会社は臨時職工を雇い入れて緊急に対応したが、他の労働者もサボタージュを始めた為、また、夜勤には出勤した労働者が半分にも達せず、生産高が激減した。
10/28 鉄工所労働者14名全面勝利
岡山市深井鉄工所労働者14名は「従来の2割の手当てを本俸に算入し、更に2割の手当てを与えよ」と要求した。現在同工場は甚だ多忙の為、工場主は直ちに要求を承認して11月1日より実行すると約束した。
10/28 石川島造船所若松分工場労働者約400名サボタージュとストライキ
若松市藤の木、石川島造船所若松分工場労働者約400名は会社の「8時間制実施は11月1日ではない」の発言を受けて怒り、28日午後3時よりサボタージュに入った。いったんは収まったが、11月4日午前旋盤工場の70余名が付近の神社に集結して協議をはじめた。警察は直ちに解散を命じた。当日は約半数が欠勤し、5日朝には更に仕上工場の約40名もストライキに参加した。全工場への波及は歴然であり、あわてた会社は「8時間制実施と1割増給」を説明し、一方官憲も圧力を加えた。一時は平穏に見えたが、10日朝には旋盤工50余名が不満を持ち再びストライキに突入しようとした。
10/28 宮本印刷所の労働争議
28日、東京宮本印刷所の労働者は「8時間制、賃金値上げ」を要求し、会社から拒絶されたためストライキを行った。会社は、信友会の介入・交渉を頑なに拒んだ。ストライキは11月12日まで続き、1割から2割5分値上げで妥協成立した。
10/29 博信堂印刷所の労働争議
29日、東京神田三崎町の博信堂印刷所の労働者約50余名は「8時間制と賃上げ」交渉の決裂でストライキに突入した。11月11日に、ついに力尽きてストライキをやめ就労し1割から2割5分の増給を得た。
10/28 愛善社印刷所の労働争議
28日、東京神田小川町愛善社印刷所の労働50名も「8時間制と賃上げ」交渉不調のためストライキを行った。11月12日、信友会と印刷業組合の妥協が成立すると同時に1割から2割5分の増給で解決した。
10/29 東洋印刷所の労働争議
29日、「東京印刷同業組合は、信友会員を全員解雇する」との掲示を各工場に貼りだした。早速、芝愛宕町の東洋印刷会社は、信友会員たる労働者に対して、「信友会を脱会するか、退職するか」と脅したので労働者が怒り「全員信友会に入会する」と大声で騒ぎだしたので会社は驚き前言を取り消したが、怒りが収まらない労働者は、直ちに結束して「8時間制と信友会員の首切り反対」を決議した。職場ではサボタージュや欠勤が相次ぐなど騒ぎは大きくなる一方だった。11月7日に8時間は時機を待つ事とし、信友会員の地位保証は得た。
10月下旬 醤油醸造所労働者の要求と勝利
兵庫県龍野町醤油醸造所労働者は一同は協議の結果、賃金5割増給を決議し会社に申し入れた。会社はもし、この要求を拒絶したらいかなる事が起こるかと、11月1日より3割値上げを発表し労資円満に解決した。
10月末より 満州日日新聞社では労働者のストライキやサボタージュで相次いで紛糾を極めていて、11月3日より当分休刊となる。11月14日経営者肩代わりして発刊に運びとなった。
10月末日、電燈会社架線労働者の4日間サボタージュ
名古屋電燈会社本社所属架線労働者約40名はサボタージュを行った。「①夜勤への居残り料の支給、②賃金4割増給」が要求。サボタージュは4日間に及んだ。
10月末日、四日市沖仕のストライキ
四日市の肥料商と米穀商に所属する沖仕約200名は「①海岸より沖への賃金を5割増へ、②沖仲士は4割増給」を要求してストライキを行った。
10/30 横浜電気株式会社の労働者らは「戦争手当3割を廃止し新たに給料10割値上げ」の希望を申し出た。会社側も充分同情して解決に当たった。
10/31 浅野造船所の労働争議
10月8日神奈川県鶴見浅野造船所労働者は「8時間労働制実施」を決議し一旦は落ち着いたが、10月31日工場の其処此処に労働者が集結し協議に没頭する有様となった。会社は11月1日に「8時間制実施と約5千名労働者に1割6分から2割の増給」を発表し、騒ぎを未然に防ごうとした。しかし、不満を高めた労働者はたちまち結束して全労働者5千名の運動に転じた。正午にはある工場のスイッチを切ってサボタージュを始め騒然たる状態になったので、会社は直ちに工場休業とした。労働者一同は隊列を作り工場を退出した。2日は定休日で労働者は各地に集結しては話し合いを行っていた。警察は四方八方で警戒を強めた。3日は造船部の約400名は欠勤した。会社は翌4日は造船所で造った米国に渡すべき新しい船の進水式日予定日なので、その前になんとしても争議の解決を急ぎたかった。結局3日正午「1割から2割5分の増給」を発表したので労働者側はこれを了解して復業し、その日は徹夜作業で翌日の為協力した。
その後神奈川警察署は、ストライキ参加労働者13名を「暴挙と工場放火」の嫌疑者として取り調べ、7日約9名を召喚した。なお3名は行方不明となった。
10月末 石川島造船所の争議
東京、石川島造船所の労働者間に要求「①8時間制、②賃金3割増、③15日の皆勤者に5人分宛を支給する事、④日曜祭日公休日に給料を支給する事」を決議した。11月1日、会社は「11月12日より8時間制、賃金1割増」を発表した。各工場2000名は結束して会社に対抗しはじめた。会社は無期限臨時休業を宣言し工場閉鎖を行ってきた。4日は更に1500名が参加した。5日のストライキ参加者は約1000余名で、労働者は6日7日は月島大師堂に集結し約2千円の基金を集めた。労資は交渉を続けその結果は秘密とされているが、折をみて会社は要求を全部承認する事となったらしい。10日より全員就労した。
10月下旬 愛知県土木課労働者の知事宛嘆願書と土木課長の言い草
愛知県土木課労働者は、目下の給料では到底生活を維持することが難しいと土木課長宛てに嘆願書を提出したが、なんら回答がないので、更に県知事宛てに直接嘆願書を提出した。しかし、土木課長は新愛知新聞に以下のように語っている。
『そんな大袈裟な県下全工区の者が嘆願したということではなく、唯一小部分の者がずっと以前一度私のところにもう少し何とかしてもらいたいと願ってきたから宮尾知事にもお話しして是非何とかしてやらねばならぬと言っていた次第で、ナニ工夫ばかりでなく課員一般誰でも皆頭の中にはそう思っているに相違ないサ。それも不穏に強硬な態度に出たならば当局でも撥ねつけてしまうのであるが、ごく温順に願い出たから何とかせねばならぬと思っている。今後とも不穏な挙動に出るような事があったらそんな者はドシドシ解雇して他に適当な者を雇い入れる。彼らが要求するまでもなく当局ではすでに彼らの生活状態を察しているから近く何とかしたいと思っているのであるが、官庁というものは難しいもので愛知県ばかり良くしてもいかんし、悪くすればなおいかん。他県とのつり合いを取らねばならぬからかえって難しい』