写真・富士紡大スト決行記事(1920年7月15日)
南葛労働運動、「南葛」地域の労働争議一覧(1919年~23年)
亀戸事件で弾圧された「南葛労働運動」の現東京東部地域(南葛飾郡・東葛飾郡)の1919年~23年の労働争議一覧表作成に挑戦しました。すごい数です。「南葛労働運動」のイメージに役立てば幸いです。
(南葛飾郡・南葛地域とは、葛飾区・江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部も含む、概ね現在の東京東部地域を指しますが、南葛労働運動は、南葛飾郡に止まらず、東葛飾郡の千葉の野田醤油争議支援に徒歩で駆けつけるなど広範囲に及ぶ、また自分の組合だけでなく他の組織の労組争議支援にも検束を怖れずに積極的にかけつけ、この地域の労働運動の先頭に立って闘っています)
(参照)
「日本労働運動史年表」第一巻明治・大正編 青木虹二
「日本労働年鑑」大原社研編
1919年
1月、南葛飾郡大島町、東京鋼材会社。200人解雇争議で暴行
1月、南千住町、東京毛織物会社。200人賃金分配問題でスト
1月、本所小梅、東京機械製作禄々商会。50人社長らの横暴に怒り暴行
2月、本所向島、東京鋲鎖会社。65人解雇争議
3月、深川東大工町、谷黄鋼製造所賃上げで争議
4月、南葛飾郡大島町、大島製鋼所。機械部の170人が、110数名の復職要求、監督排斥でスト。他部労働者も同情サボタージュ闘争
5月、渡辺政之輔らが新人(全国)セルロイド職工組合(のちの南葛労働組合)結成
6月、浅草蔵前、永峰セルロイド工場(渡政のいる工場)。380人賃下反対、3割賃上要求でスト
6月、本所柳島、服部時計店精工舎柳島工場。20人賃上と8時間労働制要求(敗北・撤回)
6月、南葛飾郡綾瀬町、前田鉄工。40人賃上スト
6月、本所錦糸町、汽車製造会社東京工場。962人賃上げ要求
7月、浅草蔵前、永峰セルロイド工場。380人争議再発のサボタージュ闘争勝利
7月、南葛飾郡大島町、大島製鋼所。300人賃上スト
7月、南千住町、南千住駅。人夫200人賃上要求
7月、深川、太田鉄工。200人賃上スト、敗北で全員退社
7月、向島押上、京成電鉄。31人賃上スト。敗北
7月、深川、東元町、浅野スレート会社。118人賃上・白米廉売要求スト
7月、浅草南元町、浅草タバコ専売支局。500人賃上要求(不貫徹)
7月、南葛飾郡吾嬬村、大日本人造肥料木下川工場。100人賃上要求で妥結
7月、南葛飾郡、隅田川駅。構内人夫400人賃上要求
7月、深川豊住町、13人賃上スト
7月、業平町、三田土ゴム会社。1182人5割の賃上要求、2割で妥結
7月、南葛飾郡大島町、日本鋳鋼会社。300人賃上スト
7月、本所区向島押上町、富士瓦斯紡績押上工場。2003人、月4日の休みなと待遇改善要求で争議(妥結)
7月、南葛飾郡亀戸押上、永峰セルロイド工場亀戸工場。330人賃上・横暴な職制排斥要求でスト
7月、錦糸町、汽車製造会社東京工場。745人賃上スト
8月、南千住、隅田川駅。石炭運搬夫200人賃上スト
8月、南葛飾郡隅田村、天野工場木工部。40人賃上スト
8月、本所、ガラス職工2000人が週一日の休み、10時間労働制、衛生設備の改善、賃上を要求
8月、本所柳島、日新染布会社。200人賃上要求
8月、東葛飾郡亀戸町、日立製作所亀戸工場。180人小頭の解雇反対スト
9月、錦糸町、汽車製造会社東京工場。156人職工長排斥要求、勝利
10月、両国、日本電灯会社。待遇劣化に怒りスト決議
10月、錦糸町、汽車製造会社東京工場。賃上要求と労働時間2時間短縮に反対、1時間短縮で妥結
10月、本所、掃除員100余名賃上スト(不貫徹)
10月、茅場町、汽車製造会社東京工場。車輛工の中で争議再発、8時間制要求(11時間制を9時間制に、で妥結)
11月、南葛飾郡大島町、大島製鋼所。900人賃上と8時間制要求して、サボタージュ闘争(妥結)
11月、千住町、日本皮革会社。230人賃上スト
11月、柳島、精工舎時計製造所。200人賃上要求で妥結
11月、南葛飾郡大島町、大島製鋼所。500人8時間制などで争議再発(妥結)
11月、本所小梅瓦町、東武鉄道浅草駅。80人賃上要求
1920年
1月、北千住、東京毛織物会社50名スト
1月、亀戸、千代田工業株式会社200人スト
2月、大島村、富士瓦斯紡績小名木工場1200人スト
2月、向島押上、富士瓦斯紡績押上工場2000人、小名木工場に同情スト
3月、本所、鉄道員被服廠。裁縫工700人が4割賃上要求して争議、妥結
5月、上野、第一回メーデー1万人
6月、亀戸、友愛会・紡績労働組合が結成
6月、深川、帝国ガラス会社。ガラス労働者200人が隔日勤務に反対してスト
7月、向島押上、富士瓦斯紡績押上工場。紡績工2100人が不当解雇撤回、労働組合確認の大ストライキ(全面敗北)
7月、錦糸町、城東電気軌道会社。30人労働時間短縮要求でサボタージュ闘争
8月、<新人(全国)セルロイド職工組合四ツ木支部>400名で結成
9月、セルロイド業界で争議多発し、ゼネストへ
10月、平沢計七友愛会を脱会し純労働者組合を結成
1921年
1月、南葛飾郡吾妻町、足立機械製作所。40名全員解雇に反対し、スト・機械打ちこわし、工場破壊、工場主に暴力、31人逮捕。加藤高寿1年2か月の刑で豊多摩刑務所に収監
3月、南葛飾郡大島町、日本鋳鋼会社。240人解雇でスト
5月、上野、第二回メーデー
5月、南葛飾郡押上町、研鉄製作所。30人賃上争議
6月、浅草、レザー会社。600人賃上げ要求
7月、千住、陸軍千住製絨所。賃上要求し神社に集合するも官憲が弾圧・解散
7月、亀戸町、東京キャラコ会社。団体交渉権の確認要求
7月、石川島造船所で機械造船工労働組合結成
8月、本所業平、三田ゴム製造会社。退職金の増額求めスト
8月、南葛飾郡寺島村、大倉畜産会社。牛乳配達員60名、営業部員の態度に怒りスト
10月、深川、石川島造船所深川分工場。賃上スト
10月、深川、廻米問屋。小揚労働者1000人運賃値上スト
12月、南葛飾郡寺島村、大倉畜産会社。牛乳配達員80人賃下反対スト
1922年
1月、東葛飾郡市川町、関東酒造会社。50人解雇者に同情してスト
2月、本所区永倉町、佐藤錠吉履物店。12人賃上要求(敗北)
2月、本所区永倉町、丸永コルク加工所。12人賃上スト
2月、千住、大杉組。人力車夫70人不穏
2月、南葛飾郡隅田村、日本車両会社東京支店天野工場。546人賃上スト
2月、千葉野田、総同盟・野田連合会設立
3月、深川区木場町、帝国木材会社。25人職工貯金を自分名義に改正要求し勝利
3月、本所区柳島町、精工舎時計。43人作業替え反対で勝利
3月、浅草区駒形町、隅田川汽船会社。53人退職手当の改正要求
4月、南千住、隅田川駅。運送労働者300人賃上スト
4月、南千住、久原鉱業隅田川駅出張所。26人賃上要求(全員解雇の敗北)
5月、上野、第三回メーデー
5月、深川区猿江町、高野工作所。158人工場主排斥闘争(妥結)
6月、浅草区、鼻緒技工。116人賃上スト(妥結)
7月、深川区塩浜町、富士アイスクリーム製造会社。14人公休日を月2回、賃上げ、残業代5割増要求でスト(妥結)
7月、南葛飾郡大島町、東京更沙染工207人が賃上要求(撤回敗北)
8月、東葛飾郡船橋町、京成電車船橋・高砂駅。40人待遇改善要求
8月、南葛飾郡寺島村、大倉畜産会社。53人支配人排斥、待遇改善要求(不貫徹敗北)
9月、南葛飾郡寺島村、大倉畜産会社。53人争議の再発でスト。7人解雇され、社長宅に押しかけ(解雇撤回で妥結)
9月、本所区錦糸町、汽車製造会社東京支店。126人排斥でスト
10月、南葛飾郡大島町、大島製鋼所。372人新任監督排斥・賃上等でスト。120人が工場打ちこわし、80人検束、59人解雇、(妥結 純労働者組合)
10月、本所区中ノ郷業平町、三田土ゴム製造会社。595人賃上スト
10月、渡辺政之助「南葛労働協会」(翌年南葛労働会)を創立
11月、亀戸事件の犠牲者のひとり川合は、南葛方面で「ロシア革命5周年記念」のビラを配布し検束された
1923年
1月、南葛飾郡小松川町、野沢電気工場。15人賃上要求でサボタージュ闘争
1月、本所区中ノ郷八軒町、神谷酒造会社。6人解雇で争議(妥結)
1月、東葛飾郡野田町、野田醤油会社。8時間制要求し争議
1月、渡辺政之助ら南葛労働協会を「南葛労働会」と設立
2月、東葛飾郡野田町、野田醤油。2600人二人の解雇から争議再発
2月、東京・千葉野田・京阪・八幡で「三悪法」(過激社会運動取締法案・労働組合法案・小作争議調停法案)反対の大デモ
2月、普選即時実行の大デモ(東京など)
3月、東葛飾郡野田町、野田醤油。1400人組合幹部解雇から大争議、サボからストへ突入
4月、渡辺政之輔「朝鮮全土から軍隊、憲兵、警察を撤去すること」(共産党機関紙「赤旗」23年4月の創刊号)
5月、上野、第4回メーデー
5月、深川区佐賀町、廻米問屋。240人賃上スト
5月、本所区錦糸町、汽車製造会社東京支店。700人排斥要求でサボからストへ、17人解雇(敗北)
5月、深川区、汽車製造会社深川工場。138人東京支店に同情スト
6月、南葛労働の渡政や川合が主導権を取って雑誌『労働組合』が発刊
6月5日、第一次共産党弾圧事件。渡辺政之輔も検挙~12月28日まで市ヶ谷刑務所
6月、千住町、内務省千住機械工場。618人解雇手当制定要求
6月、南葛飾郡寺島村、隅田川染物会社。
7月、本所区菊川町、宮田自転車。7人解雇され手当要求
8月31日、亀戸の広瀬自転車争議
9月1日~、関東大震災(朝鮮人虐殺・亀戸事件・大杉栄家族虐殺)
9月、本所区中の郷瓦町、神谷酒造会社。95人解雇手当要求
9月、本所区中の郷業平町、東京ガス工場。解雇手当要求
9月、千住、日本製靴会社。348人震災救助金要求
12月、本所区錦糸町、汽車製造会社東京支店。520人待遇改善要求(妥結)
1923年8月31日広瀬自転車争議勃発
関東大震災の前日の広瀬自転車争議と交渉員19歳北島吉蔵の虐殺
関東大震災9月1日の前日8月31日、現在亀戸事件の犠牲者の碑がある赤門寺浄心寺(亀戸4丁目)の眼の前の広瀬自転車で労働者の半数の180人が解雇されます。ただちに労働争議が勃発しました。争議団を結成した労働者側は、解雇通知の一括返上を決め、特高警察の弾圧に備え、第三次までの交渉委員を選びます。交渉委員の中には亀戸事件で殺された19歳の北島吉蔵もいました。当日は解雇通知書を一括返上し翌9月1日午前7時に、①解雇撤回、②自治会と協議し生産事業の継続、賃下げは一部承認、③退職者には相当の手当、④前三項の承認がないときは全員が南葛労働会に加入し交渉窓口とするとの要求を会社に提出しました。そして、団体交渉のそのさなかに、大地震が襲ったのです。そこに居た亀戸署特高刑事は避難民の誘導や救出もしないで赤門寺に逃げ込みます。その刑事を北島吉蔵が「卑怯だ」と追及、刑事は謝罪し帰って行きました。しかしその後三日に北島吉蔵は南葛労働会本部(亀戸四丁目交差点すぐそば)でその刑事たち亀戸署の検束隊に検挙され、その深夜未明軍隊に虐殺されてしまいます。
1924年
2月17日、亀戸事件犠牲者合同葬
2月22日、南葛労働の渡政らは「東京東部合同労働組合」結成