軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

前立腺がん検査

2018-11-29 11:46:24 | 日記

以前もこのサドルの写真を記事に載せたことがあります。
会陰部への圧迫を軽減するための形状になっています。
前立腺がん検査の値が高かったので心配してサドルを変えました。
会陰部への刺激は前立腺がん発症の原因になるとのデータがあるということでしたので…
二回目の検査の結果何とか数値が下がりました。
しかしがんがないとも言い切れないとのDrの説明です。
前立腺がんの進行はとても遅いので、すぐにMRIの検査はせずに定期的に血液検査をして様子観察していくそうです。
サドルの効果も少しはあったのでしょうか?
いずれにせよ、男性、女性にとってもデリケートな部分なので、人間の体に一番配慮が必要なパーツなのだと思います。
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1980年代のロードレーサーの仕組み

2018-11-27 21:58:54 | 日記

以前紹介した私が二十歳代の頃乗っていたミヤタのロードレーサーです。
フレーム単体で購入して、パーツは予算と好みで買い集めて作りましたが、改めて今とどれぐらい違うのか比較してみたいと思います。
・ホイール:チューブラーです。リムはマビック、完組ホイールはない時代で手組です。ハブはシマノデュラエースです。スポークは36本もあります。
重いのではないか?いや、チューブラーはリムもタイヤも軽いです。軽快な加速と乗り心地は何とも言えません。

・リア変速システム:フリーギア、リアデュレイラー共にシマノデュラエースですが7段変速です。よろしでしょうか、デュラエースでさえ7段ですよ!
ギヤ比13×14×15×16×18×20×22という構成です。
しかしそれ以前は5段かせいぜい6段ですから、7段が出た時は画期的だったのです。現在は10段でも中級モデル、105以上は11段、カンパニョーロではついに12段が出てしまいました。
なお、変速機は当初はサンツアーサイクロンマークⅡというのがついてました。お若い方はサンツアー知らないかもしれません。サイクロンはサンツアー(前田製作所)の上級モデルで優れた変速機でした。しかしマークⅡはスプリングに難がありデュラエースに交換しました。
フロント変速システム:写真はありませんがスギノマイティコンペ50T×42Tです。一番軽くて42T×22Tかなりのクロスレシオ?いやいや当時としては軽い方だと思います。よく乗っていたと思います。フロントデュレイラーはサイクロンマークⅡのままです。
シフトレバーはダウンチューブに直付けです。ハンドル部分のレバーはブレーキ操作しかできません。

ペダルはビンディングではなくトウクリップ&ストラップです。
その他ブレーキのワイヤー類はハンドルの上に飛び出てましてうるさいですね。
変速システム、ビンディングペダル、ワイヤー類の処理等圧倒的に進歩した現在の方が良いと思います。
しかし、足回りについてはクリンチャータイヤの進歩は認めますが、やはり使い勝手に問題はあってもチューブラータイヤが快適だと思います。
それは面倒ですよ。何しろ接着剤でタイヤをくっつけるのですから。
考えてみれば原始的な方法ですね。
フレームについては、私はまだカーボンは使ったことがないので何とも言えません。
釣りもやっていますがカーボンの竿は本当に軽くて使いやすい!グラスファイバーの竿とは比較になりません。
しかし、カーボンの竿はグラスファイバーよりも折れやすいという傾向があるように思います。
そのような経験から、どうしても高いお金を出してカーボンフレームを使おうという気持ちが起こらないのです…
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シクロクロス④ シクロクロスバイクのメカについて

2018-11-26 20:40:47 | 日記

写真は先日の野辺山のスーパークロス男子エリートの様子です。
好天だったのでスビートのある展開で、選手も泥人形にならないで済みました。
補足ですが、前々回の記事での加藤 一さんの経験談で、なぜシクロクロスが軍事教練になったか、やったことのある人なら理解できるでしょうか?
整地されたコースではなく不整地を走り、時に自転車を担ぎ坂や障害物を越える過酷な競技形態は、強靭な体力が必要な、強い兵隊を養成するのに最適だったからではないでしょうか。
実際に旧日本陸軍ではフィリピンなどでは自転車で移動する通称銀輪部隊が存在したそうです。
さて、そんな過酷なシクロクロスに適した自転車やメカとはどのような物なのでしょうか?

レースでは、シングルスピートのクラスもあったそうです。
シングルスピードのシクロクロスバイクもあるのですね。
高低差があまりないコースならむしろシングルギアの方が合理的かもしれないと思いますがいかがでしょうか?
また、フレームについてはいまだにクロモリ製を使用している選手がいるのも印象的でした。
私も多分クロモリフレームを選択します。
観点を変えればカーボンやアルミよりも優れた材質なのではないかと思うこともあります。
ブレーキについては、少なくともシクロクロスバイクではやはりディスクブレーキが適しているのではと考えています。
ギアについては、フロントはロードと同様にダブルを選択している選手とシングルギアの選手に分かれていました。
チェーンを落とすなどのトラブルを避けるには、むしろシングルギアの方が合理的ではないかと思いますが?
ロードバイクでは、今やリアは12段の時代で、ロードレースでもフロントギアはシングルギアというチームが出現したのを見ました。
そもそも計算すると仮にフロント2段×リア12段でもどこかでギヤ比が重なるので実質24段にはならないわけです。
それならトラブルの少ないフロントシングルを選択した方が良いのではと個人的には考えています。
フロントシングルギアならフロントデュレイラー不要です。
コントロールレバーも片方はブレーキレバーだけで済みます。フロントギア変速のためのワイヤーも不要です。
当然フロントのインナーギアも不要です。
では、私が現役選手時代は?
それは無理ですよ。
何しろリアギアは5段からせいぜい6段という時代でしたので…
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歴戦の勇士?

2018-11-25 09:35:51 | 日記

シクロクロスの記事が続いても面白くありませんので話題を変えてみます。
学生時代、競技に取り組んでいた頃に乗っていた片倉シルクオーダーメイドフレームのトラックレーサーです。
どこにしまったのか?自分自身も忘れていましたが物置の隅っこから出てきました。

アラヤが初めて販売したエアロ形状のリムです。中野浩一さんが世界選手権で使用してスプリントのチャンピオンになりましたので、アルカンシェルのシールが貼ってあります。今となっては貴重なパーツでしょうか。

シマノデュラエースの競輪規格のハブは両側にギアがつけられるように溝が切られています。
ロード練習には便利なもので、片方は軽めのギヤをつけておいて、ポケットに工具を入れておいて、状況に応じて付け替えるので、二段変速になります。
大昔のツールドフランスもこんな感じで走ってたそうで驚きですね。
残念なのはロード練習用のブレーキを処分してしまったことです。

スギノマイティコンペトラック用です。

ステムは日東の競輪規格、ハンドルも日東のスチール製です。
物置から出てきたままなので埃だらけで時の流れを感じさせます。
昔使って愛着のあるブランドは日米富士、ミヤタ、そして片倉シルクといったところです。
富士はアメリカ資本で生き残りましたが、片倉はなくなってしまいました。
そしてミヤタは台湾のメリダを輸入しています。
自転車ブームの中、パーツではシマノが世界を席巻していますが、完成車メーカーで頑張っているのはブリジストンぐらいでしょうか。
ジャイアント、メリダといった台湾のメーカーが世界を席巻することは、私が片倉シルクに乗っていた頃には思いもよらないことでした。
しかし、ヨネックスのように他産業から参入してカーボンフレームを製作するという新たな挑戦も見られています。
日本の自転車産業の今後の発展を祈っております。
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シクロクロス③ シクロクロス今昔

2018-11-24 11:54:17 | 日記

写真は11月18日野辺山のスーパークロス男子エリートのレースの様子です。
現在は日本でもシクロクロスの人気が高まっていますが私が自転車を始めた1970年代後半は日本では一般的ではありませんでした。
その頃のお話をさせていただきます。
今は廃刊になった『ニューサイクリング』(通称ニューサイ)という実に渋い大人のための自転車専門誌がありました。ツーリング中心の内容でしたが、レース関係の記事では、2,000年に死去されたパリ在住の元自転車選手の画家で、日本の自転車競技の大功労者でもある加藤 一さんが毎回寄稿をされていました。
その中で、シクロクロスの世界選手権を見に行かれた時の様子を述べられた記事の内容を今も鮮明に覚えています。
場所はイタリアでしたが、調べてみると1979年の世界選手権がイタリア開催でした。
加藤さんの記事の内容を記憶している範囲で再現してみます。
「自転車選手らしい格好でいられたのはスタートの時ぐらいで、周回を重ねるごとに選手は泥人形のようになっていく。果たしてこれが正当な自転車競技と呼べるのか?」

(野辺山スーパークロス男子エリートスタート前)
また、それに続いて加藤さんは次のように述べられました。「ははあ、これは戦争中代々木の練兵場でやらされたあれだなと思いだした。」
戦争中は野球は敵性競技とみなされ、その他の多くのスポーツも大会が中止になり、戦争にとって有益と見なされた競技しか許されなくなっていました。
自転車競技も軍事教練の一環としての練兵場での断郊競争(シクロクロス)のような形でしか継続できなかったということです。
なお、加藤さんもその後召集されているようです。
加藤 一さんの作品は風をテーマにした抽象画が中心ですが、それは自転車選手の時代に見た乗車中の風景を表現したものらしいです。
抽象画は苦手ですが加藤さん作品は素晴らしいと思います。自転車競技そのものを描いた作品も素敵です。
現在の日本自転車競技連盟のシンボルマークも加藤さんの作品です。
アジアで唯一日本で世界自転車競技選手権大会を開催できたのも加藤さんの尽力であり、現在の宇都宮でのジャパンカップロードレースにもつながっています。

(野辺山スーパークロス)
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