軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

厚底シューズ ~機材・用具の進化について考える~

2020-01-19 10:51:10 | 日記
陸上の厚底シューズのレースでの使用が国際陸連から禁止されるのではないかという報道がありました。
自転車競技の世界では、30年前と今では、機材面での変化と進歩は格段の差があります。
思いつくまま30数年前との差をあげてみましょう。

(1981年製 片倉シルクトラックレーサー)
①フレーム 鉄⇒カーボン
②ホイール アルミ⇒リムがカーボンになり、ロードのタイムトライアルやトラック種目はディスクホイール・バトンホイールが主体になった。
③ハンドルやシートポスト等以前は金属以外の材質は考えられなかったパーツがカーボン製になる。
④ブレーキ キャリパーブレーキ⇒ディスクブレーキに(それもワイヤー式の他に油圧式まである)
⑤変速システム 5~6段⇒10~12段に、ダウンチューブからシフトレバーが消えて、ブレーキレバーと一体型に。ワイヤーを使用した機械式変速システム⇒電動式変速システム
⑥ペダル トウクリップ&ストラップの固定⇒ビンディング固定に

(ミヤタ製スチールフレームの愛車と共にエロイカジャパンに参加)
自転車競技の場合は1,000mタイムトライアル、スプリントの予選の200mタイムトライアル、個人追い抜き、団体追い抜き等、トラックのタイム系種目の記録を見るとその差は歴然です。
1,000mタイムトライアルの記録の変遷
1964年 東京五輪 優勝タイム 1分9秒59( 現在で高校生でも出せるタイムです)
1968年 メキシコ五輪 優勝タイム 1分3秒91(会場が高地である影響もありますが、現在の記録を考えれば驚くには値しません)
1972年 ミュンヘン五輪 優勝タイム 1分6秒44
1976年 モントリオール五輪 優勝タイム 1分5秒927
1980年 モスクワ五輪 優勝タイム 1分2秒955
1984年 ロス五輪 優勝タイム 1分6秒10
ミュンヘン~モスクワまでは板張りの室内トラックで、ロスはアウトドアの通常舗装の走路です。標高や風など外力の作用、路面状況も記録に大きな影響があります。
1989年 ソウル五輪 優勝タイム 1分4秒499
1992年 バルセロナ五輪 優勝タイム 1分03秒342
1996年 アトランタ五輪 優勝タイム 1分02秒712
2000年 シドニー五輪  優勝タイム 1分01秒609
2004年 アテネ五輪   優勝タイム 1分0秒711

(風など気象条件に左右されずかつ路面抵抗の少ない板張り走路は好記録が期待されます)
アテネを最後に1,000mTTは五輪種目から除外になりましたが、現在の世界記録は何と1分を切り、56秒303です。(2003年ワールドカップメキシコ大会)
この記録は高地のメキシコで出されています。
やはり標高や走路の条件は大きな影響があります。
トレーニング方法の進歩等も影響はあると思いますが、同じメキシコの高地が会場という条件でも、68年メキシコ五輪1分3秒91と比較すると大変な差です!
2003年になれば、ディスクホイール、カーボンフレームは標準的な機材です。
やはり機材の進歩の差は大きい。
パラスポーツにおける義肢もカーボンが使用されていますが、これを禁止したらパラスポーツのアスリートは思うようなパフォーマンスを発揮することは出来ないと思いますがいかがでしょうか?
自転車競技では、不名誉なことですがベルギーの女子選手のシクロクロスでのフレーム内にモーターを仕込んだ、メカニカルドーピングが発覚しました。
補助動力を使うことはもちろん否定されるべきですが、新しい機材を自転車界ではUCIが段階的に認めてきたことで、記録を更新してきた歴史があります。
もし、カーボン素材やディスクホイールを禁止して、日本の競輪のように鉄のフレームとスポークホイールで競技を行っていたら、タイム系種目の記録はどのようになっていたでしょうか?
厚底シューズのソールにはカーボンが仕込まれており反発力を高めるとのことで、それをフレームに仕込んだモーターのような補助動力と同様のものとみなして国際陸連が本当に禁止するのかどうか、興味を持って経過を見ていきたいと考えています。
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こんなところで満足しています

2020-01-03 09:14:13 | 日記

昔の自転車の紹介は何度もしているが、あんたは、今はどんな自転車に乗ってるんだ?
という声が聞こえてきそうなので現在の愛車を紹介させていただきますが、自慢できるような高級車ではなく、ご覧の通りエントリーモデルに毛が生えた程度のものです。
GIOSの普及版ロードです。

メカはシマノティアグラ、10速です。
シマノの上級パーツは11速ですが、私には10速でも十分です。
何せ以前は7速に乗っていたのですから。まして高校生の頃に乗っていたのは5速です。

ホイールは知りあいの方から、アルティグラのチューブレス対応のホイールを譲っていただいたので、購入時に付いていた重いホイールと交換しました。

(チューブレス対応のリムですが、今のところはクリンチャータイヤを使用しています)

サドルはさすがに普及版に付いていたのはダメでした。前立腺がんのリスク回避のために、トライアスリートはともかく、ロード乗りの人はあまり使わないであろうタイプのサドルに交換しました。
慣れてしまえば問題はありません。会陰部へのストレスはだいぶ軽減できていると思います。
ところでイタリアンブランドのGIOSもフレームはメイドイン台湾です。
フレームを逆さにするとMADE IN TAIWANと見事に表示されています。
しかし、これはコルナゴやビアンキの普及版も同様です。
自慢できる自転車ではありませんが、上を見ればきりがないので、こんなところで十分と考えています。
なぜGIOSを選んだのか?その理由はいかにもイタリアらしいブルーのフレームが好きだからです。
昨年までは、コロンビア籍のプロコンチネンタルチームのマンサナポストボンがGIOSを使用していましたが、解散したのか2020年の活動はないようです。

(創業者はベルリンオリンピックのロードレースイタリア代表だったため五輪マーク付いています)
一昨年でしたかブエルタ・イスパーニャにマンサナポストボンチームが参加していた時はうれしかっですね。
自分の乗っているのと同じメーカーのフレームがグランツールを走っていたのですから。
GIOSも今は高い評価は受けていませんがかつては、ベルギーの名選手ロジェ・デ・フラミンクのチームが使用していました。
パリ・ルーベやミラノ・サンレモ等モニュメントと言われるクラシックレースで11勝もした大選手が乗っていたのですからたいしたものです。
80年代のミヤタと同じでGIOSにも栄光の日々がありました。
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ミヤタ80年代の栄光

2020-01-02 11:38:47 | 日記

母校の応援を兼ねて箱根駅伝をテレビ観戦しながらこの記事を書いています。
私にとっては2台目のミヤタのフレームを使ったロードです。
1981年のツール・ド・フランス第17ステージでミヤタのフレームを使用したCAPRISONNE-KOGAMIYATAチームのピーター・ビネンは区間優勝を飾っています。
そしてピーター・ビネンは総合成績も5位、ヤングライダー賞マイヨ・ブラン(白いジャージ)を獲得しています。
1980年代、私はミヤタのフレームを使用していることが誇りでした。
プロチームのレプリカジャージは着ないことが私の方針でしたがこの頃は、CAPRISONNE-KOGAMIYATAチームのレプリカジャージを着て、MIYATAのレースキャップを被っていました。

ミヤタのフレームは当時の日本の自転車乗りの誇りでしたが、現在では、ミヤタサイクルはメリダのフレームを輸入する立場になりました。
パーツではシマノが世界を席巻しているといっても良いでしょう。しかし、フレームでは、GIANT、MERIDAの二大台湾メーカーが世界を席巻しています。それどころかビアンキ、コルナゴといったイタリアを代表するブランドまで一部は台湾でのフレーム製造のようです。
コストの事を考えれば国内製造はどうしても割高になると思いますので仕方ないですが、かつてのミヤタの栄光の日々を思うと寂しい限りです。

パーツは色々と買い集めてきて組みました。
クランク、フロントギア:スギノマイティコンペ 48×42
ペダル:極東プロエーストラック用 トウクリップとストラップ:三ヶ島

(当初取り付けたサイクロンマーク2が不調だったのでデュラエースに代えましたが、マーク2ではないサイクロンは優れた変速機でした)
リアデュレイラー:シマノデュラエース(当初はサンツアーサイクロンマーク2)
フロントデュレイラー:サンツアーサイクロンマーク2(当初のままです)

(変速レバーは当時ダウンチューブに付いていました)
コントロールレバー:シマノデュラエース

(当時のタイヤはチューブラーです。スペアタイヤをサドルに付けて走るのが一般的でした)
サドル:ゼウス2000(スペインのメーカーのパーツです知ってますか?)
シートポスト:シマノデュラエース

ステム:日東パール ハンドル:日東ユニバーシアード105

ヘッド小物:シマノデュラエース


前後ブレーキとブレーキレバー:サンツアーシュパーブ(製造はダイアコンペです)

ホイールは今のような完組ホイールではなく手組です。
ハブ:シマノデュラエース(シマノが初めて発売したフリーギアと一体式の自転車史に残るパーツです)
リアスプロケットは現在と同じカセット式で7段変速です。(デュラエースなのに7段です…)13×14×15×16×18×20×22の構成です。
一番軽いギアで42×22です。(1.90倍)重い!
いやとんでもない。昔はみんなもっと重いギアを踏んでいました。
42×22は軽い方でした。ローギアで22を使っていたら馬鹿にされるほどでした。
現在使っているのはシマノの10速でフロントインナー34×リア28(1.21倍)ですが、80年代ではツーリング車のギア比でした。
リム:マビック スポーク:確か国産の星スポーツです。この頃のスポークは強度不足でよく切れましたので、スポークの本数は36本、とても多いです。
タイヤ:現在はビットリアの普及品のチューブラーが付いてますが、昔はウォルバー(今はないブランドです)をよく使っていました。
昔のサイクリストにとっては懐かしいパーツを使って組み上げた1台です。
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新たな一歩

2020-01-01 17:33:16 | 日記

新年おめでとうございます。

昨年は当ブログを見ていただきありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。

12月末を以て、長年勤務した職場を退職いたしました。

きれいな花を勤務先の法人からいただきました。

職員互助会からも別途いただきました。

実は、今年還暦を迎えます。

定年までは後少しあるのですが、自分なりに区切りをつけたかったので早めに退職させていだきました。

1月6日からは新たな職場での仕事が始まります。

人生は長いステージレースと以前の記事で述べさせていただきましたが、次のステージというより、1つのステージレースを完走して、次のステージレースの第1ステージのスタートラインに並ぶという感じでしょうか。

ツール・ド・フランスを走り切って仕切り直し、ブエルタ・イスパーニャ(スペイン1一周)に臨むといった心境です。

還暦を迎えるといってもまだ余力は十分あります。自転車人生もまだ続きます。

完成車で購入して失敗したメリダのピストはついにクランクも交換しました。

スギノのメッセンジャーのクランクとチェンホイールを購入しました。

競技用というより街乗りピスト用のパーツですが、それでも結構な出費でした…

完成車に付いていたクランクは170㎜で短距離には不向きなので165㎜に変更して、また、ギアのピッチがロードと同じ薄刃だったので、トラック用の厚歯に変更しました。

チェーンも変えました。

フレームはUCI(国際自転車競技連合)の認証を受けているのですが、いくら普及版でも付いているパーツはほとんど使えない…

ハンドル、サドル、ついにはクランクまで交換しました。普及版なのでホイールは練習用が付いているのは仕方ないです。

しかし、決戦用にディスクホイールを購入するにはまともな物を購入したら大変な金額になります。

中古品などを探したいと思います。

まだまだ、用意しなければいけない品物もありますが、今年はマスターズ枠での競技復帰をしたいと考えています。

目指す種目は500mタイムトライアルです。スプリントへのエントリーは二度とありません。

ましてケイリンに出走することは考えもしていません。

無理せず、生涯スポーツとしての自転車競技を続けていきたいと考えています。

30年ぶりの選手登録と競技への再挑戦、そして新たな職場での一歩を踏み出します。

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