軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

臭い物に蓋をしない① ~レース中・練習中の重大事故~

2019-01-30 23:31:53 | 日記

(かつて私が落車した碓氷峠のヘアピンカーブ)
☆レース中の重大事故例
トム・シンプソン(イギリス):熱中症とドーピングの影響と言われています。
1967ツール・ド・フランスの登りでふらふらになり転倒、病院に搬送されたが死亡。
・ジョアキン・アゴスティーニョ(ポルトガル)1984 コース上に現れた犬をよけようとして落車して頭部を打ち死亡。ヘルメット着用無し。
・ファビオ・カサルテッリ(イタリア)1995年ツール・ド・フランスの下りで落車して顔と頭を縁石で打ち死亡。ヘルメット着用無し。
・ワウテル・ウェイラント(ベルギー)2115ジロ・デ・イタリア、下りで落車して縁石に顔から突っ込み、打ちどころが悪く死亡。
・ダーン・ミングヘール(ベルギー):2016クリテリウム・アンテルナシオナルのレース後心臓疾患で死亡。
・アントワーヌ・ドゥモワティエ(ベルギー):2016ヘント~ウェヴェルヘムで落車して立ち上がろうとした際、大会関係車両のオートバイが追突して死亡。
・ミハエル・ホーラールツ(ベルギー)2018パリ~ルーベにて心臓疾患のため死亡。

(道路には危険箇所がたくさんあります)
☆練習中の重大事故例
・ミケーレ・スカルポーニ(イタリア):2017年4月練習中飛び出してきた車にはねられて死亡。
・和田 力選手(マトリックス・パワータグ)2015年3月練習の帰路、下り坂での自損事故、電柱に衝突して全身打撲で死亡
・昭和50年代には確か国体のロードレースで優勝した選手が練習中の事故で亡くなっているはずです。
そして、昨年は、リオ五輪女子スプリントチャンピオン、11個の世界タイトルホルダーのクリスティーナ・フォーゲル選手(ドイツ)がトラックでの練習中の事故で脊髄損傷、歩行不能となりました。
☆重大事故を防ぐには?
・ヘルメット着用は必須です:1995年ツールやそれ以前84年のアゴスティーニョ選手はノーヘルでした。ヘルメットを着用していれば助かっていた可能性があります。(ただし84年当時は満足なヘルメットはありませんでした…)
・大会関係車両の規制が必要:テレビを見ているとかなり危ない走行をしているオートバイがあります。ペテル・サガンもひっかけられて転倒しています。台数や走行方法の規制が必要では?ヨーロッパでは慣れきっていることの怖さがあります。
・心臓疾患については選手のメディカルチェックの徹底が必要でしょう。ワールドツアーチームはともかく資金が少ないコンチネンタルチームでの選手の健康管理はどうなっているのでしょう?

(松本自転車競技場)
では、ロードとトラックどちらが危険か?
フォーゲル選手の事故はまことに不幸でしたが、私見としてはロードではないでしょうか?
和田選手も電柱に激突したようです。他にも危険な物が一般公道にはたくさんあることを頭に入れて走りましょう。
スカルポーニ選手も飛び出してきたトラックにはねられています。
練習中は交通規制していないので、レース中以上の注意が必要ではないではしょうか?
臭い物に蓋をせず、目をそむけたくなるような問題かもしれませんが、サイクルスポーツ全体と自転車という乗り物の未来のために、事故防止について考えていきます。
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自転車競技オリンピック種目の変遷

2019-01-29 15:12:27 | 日記

(伊豆ベロドローム)
かつて行われていた自転車オリンピック種目は下記のようなものでした。
☆トラック種目
1㎞タイムトライアル(アテネ大会を最後に除外)
スプリント
4㎞個人追い抜き(北京大会を最後に除外)
4㎞団体追い抜き
タンデムスプリント(二人乗り自転車のスプリント、ミュンヘン大会を最後に除外)
☆ロード種目
個人ロードレース
チームタイムトライアル(バルセロナ大会を最後に除外)

(ジャパンカップトラックレース)
現在の種目
☆トラック種目
スプリント
チームスプリント
4㎞団体追い抜き
ケイリン
オムニアム
マディソン
☆ロード種目
個人ロードレース
個人タイムトライアル

(修善寺駅にて)
このような種目の変遷をどのように評価すればよいでしょうか?
1㎞タイムトライアルは、短距離選手にとっては基礎的走力を高めるための重要種目です。
4㎞個人追い抜きは、中長距離選手の基礎的走力を高めるための重要種目だと考えています。
しかし、一人で走っているだけなので見ていてもあまり面白いものではありません。
スクラッチ、エリミネィション、テンポレース、ポイントレースと4種目の合計得点で争うオムニアムにも、しばらく前は、一人で走るタイム系種目がありましたが、現在は集団で走る種目だけになりました。
マディソンは、二人一組で交代しながら走るレースですが、交代時には選手同士で手を握り合いながらポイップします。
250mの短い走路に沢山の選手が入り乱れて走ります。
ヨーロッパで行われる6日間レースのメイン種目ですが、サイクリングサーカスとも言われるぐらい、高度な技術を要し、ショー的な要素も強いと思います。
過去には、ヨーロッパの6日間レースでは落車による死亡事故も起きていますので、相当な技量がなければ、決してやってはいけない種目だと思います。(私だったらやりたくない種目です)

(修善寺行きの列車には自転車持ち込み用のスペースがあります)
要するに地味な種目は廃して、一般の観客が見て面白く、わかりやすい種目を残したり、採用したということでしょうか。
中距離では、団体追い抜きを残し、短距離ではチームスプリントを採用したことで、タイムトライアルと個人追い抜きを除外したことには合理性を見出すことはできます。選手はトレーニングとしてタイムトライアルや個人追い抜きをやってもらえばよいのです。
しかし、オムニアムから完全にタイム系種目を外したらオムニアム(複合競技)と言えるのかという疑問もあります。
マディソンについては、ショー的要素が強い種目ですので私は何とも言えません。
また、若者のスポーツ離れを防ぐことを目的にBMXのフリースタイルを、更に自転車以外にもスケボーや3人制バスケ等ストリート系競技も採用しています。
将来はeスポーツなども採用されるのでしょうか?
オリンピックはこれからどのような方向に、また第1回ギリシャ大会から欠かさず実施されているオリンピック自転車競技は、これからどのような方向に進んでいくのでしょうか?
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80年代の名選手

2019-01-27 17:04:46 | 日記

(2017さいたまクリテリウム)
1980年代の自転車界の名選手は何と言ってもベルナール・イノーでした。
チームメイトでもあったアメリカのグレッグレモンの活躍も忘れられません。
そしてトラック世界選手権では中野さんが大活躍でした。

(2017さいたまクリテリウム:新城選手の姿も見えます)
それでは私が自転車競技に打ち込んでいた1970年代中半から80年代の日本の名選手はどんな方たちだったでしょうか?
トラック
長 義和さん:モントリオール五輪6位、モスクワ五輪幻の代表
ロード
故 森 幸春さん
高橋 松吉さん
森さんは、記憶では私が知人に踊らされて軽井沢で開催したシクロクロスに参加していただいたはずです。
お二人とも素晴らしい選手でした。
では私も走っていた学連所属の選手はどんな方がいたのでしょうか?

(2017ジャパンカップトラック)
トラック
坂本 勉さん(日本大学):ロスアンゼルス五輪スプリント銅メダル獲得。
ロード
市川 雅敏さん(日本大学):日本人として初めてヨーロッパのプロチームの一員としてジロ・デ・イタリアに出場して完走。
坂本さん、市川さんお二人とも自転車界のレジェンドです。
大門 宏さん(中京大学):現NIPPOチーム監督、台風で幻の大会になった1982(昭和57)年インカレのポイントレースでのぶっちぎりの快走は今も印象に残っています。
当時は公道を使用したロードレースは本当に少なかった。
では森さんや高橋さん、そして市川さんや大門さんはどのようにして競技力を培っていったのでしようか?
練習はたぶん人一倍されたことと思いますが、競技ではトラックの長距離種目、ポイントレースに参加していました。
皆さん本当に強かった
当時よく行われていたトラック種目は次のようなものでした。
◎短距離
1㎞タイムトライアル
スプリント
◎中距離
4㎞個人追い抜き
4㎞団体追い抜き
4㎞速度競争
◎長距離
ポイントレース(1万m~3万mで行われていました)
※オムニアム、ケイリン、チームスプリント等はありませんでした。
競技の力を培うためには、ロードレースを志す若い人も、トラックレースに取り組むべきだと思います。
決してそれが無駄でないことは過去の名選手の方たちが証明しています。
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サイクルスポーツの未来について考える② ~UCIポイント~

2019-01-22 21:59:37 | 日記

(2018年野辺山スーパークロス:UCIシクロクロス1クラス)]
私が自転車選手だった70~80年代は、あいまいだったレースの格付けが、トラック、ロード、シクロクロス、マウンテンバイク等それぞれの種目で今ははっきりできています。
自転車ファンの方には、釈迦に説法ですが、UCI公認大会で上位に入りポイントを得て、世界ランキング国別上位に位置していないとオリンピックや世界選手権の出場枠が得られないという事態に陥ってしまうためUCIポイントをどれだけ獲得できるかということが、自転車競技の世界では極めて重要な要素になっています。

(JICF松本国際トラックカップ:UCIトラックレース2クラス)
トラックレースでは短距離、中・長距離で有能な外国人コーチがナショナルチームを指導しており少しずつ実績が出てきています。
しかし、ロードレースではかなり厳しい状況です…
アジアツアーでは上位ですが、世界ランキングは30位ぐらい、昨年の世界選手権も日本は単騎のエントリーでした。
今回はロードレースについて考えてみます。
ロードレースのカテゴリー
☆ワールドツアー
☆H(オークラス)
☆1クラス
☆2クラス
※1がワンデーレース、2がステージレースなのでUCI2-1ならステージレースの1クラス、UCI1-HCならワンデーレースのオークラスになります。

(ツールドフランスさいたまクリテリウム:チームスカイプレゼンテーション)
チームの格付けもしっかりされています。
ワールドツアーチーム:ワールドツアー(ツール・ド・フランス等)への参加義務あり。
プロコンチネンタルチーム:主催者推薦でワールドツアーに参加可能。
コンチネンタルチーム:アジアツアー、アメリカツアー等コンチネンタルサーキット1と2クラスおよびHクラスまでは参加可能。
現在日本にはコンチネンタルチームしかない状態です。ワールドツアーチーム所属は新城選手と別府選手のみです。
世界の強豪とは実力差もあるのは事実ですが、根本的な問題として現在の日本はUCIポイントが獲得しずらい状況になっていることも考慮しなければいけないと思います。
日本のUCI公認のロードレースは?
☆ステージレース
ツアー・オブ・ジャパン:UCI2-1
ツール・ド・熊野:UCI2-2
ツール・ド・栃木:UCI2-2
ツール・ド・北海道:UCI2-2
☀ワンデーレース
ジャパンカップロードレース:UCI1-HC
ツール・ド・沖縄:UCI1-2
そして昨年から
大分アーバンクラシック:UCI1-2が加わりました。
が、本場ヨーロッパ諸国と比較してあまりにも少ない!
しかもヨーロッパは陸続き、イタリアの選手が隣りのフランスのレースに参加することは難しくはありません。
フランスの選手が隣りのベルギーのレースに参加することも大変ではありません。
この辺の所が根本的なレベルの差になっていると思います。
しかも、日本の選手が他国のアジアツアーの大会に参加するには海を渡らなけばなりません。
これは大きなハンディです。
今後のロードレースのレベルアップの課題としては、次のようなことも考えられるのではないでしょうか?
①国内でUCI公認大会をもう少し増やす(ポイントを取りやすくなる利点がある)
②NIPPOチーム(イタリアとの合作のプロコンチーム)のように海外のレースに出やすい環境を作る。
③スポンサーの問題もありますが、コンチネンタルチームでもよいのでヨーロッパに拠点を置いてレベルの高いヨーロッパツアーで活動するチームを作る。
また、一昨年見た前橋クリテリウムの率直な感想としては、有力チームが少なかったこともありますが、レベルの高い選手もいたが、層が薄いことと、トラックレース出身の私から見てもレース展開が緩いと感じられたことです。
UCI公認の2クラス1クラスのレースをもう少し増やして、海外の少し強いチームを加えることでレースを厳しくするのもレベルアップのための方法なのかなと思いました。
昔から比較すれば進歩はありますが、ロードはトラック以上に課題満載なのではと考えています。

トラックレースの中・長距離種目を走りこむことも、ロードレースの基礎作りに決して無駄ではないと考えています。

(大河原峠より浅間山を望む)
山岳国の日本なのですから、優秀なクライマーが育っても不思議ではない環境も備えているとも考えています。
ツール・ド・フランスで栄光のマイヨ―ジョーヌを身にまといアルプスの峠を登る日本人選手が現れる日を、私は待ち望んでいます。









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サイスポ

2019-01-20 14:42:55 | 日記
昨日サイクルスポーツ誌3月号を購入しました。
付録は1970年4月号(創刊号)の復刻版です。
開業前の日本サイクルスポーツセンターの紹介もありました。

(2018年野辺山スーパークロス)
そしてシクロクロスの大会の記事もありました。
この時代もやっていたんだ!
新たな発見がありましたが、どうやら自転車は普通のロードレーサーのようです。
自転車が可哀そう…
しかしシクロクロスの専用車もパーツも日本では販売されていない時代なので仕方なかったのでしよう。

(2018年ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム)
70~80年代は、今のようにネットもなければJスポーツでの海外ロードレースの放送も何もない時代。
毎月サイクルスポーツ(サイスポ)の発売を心待ちにしていました。
サイスポの他にはニューサイクリング(ニューサイ)、そして競技に特化した雑誌として、ベースボールマガジン社から自転車競技マガジンが発行されていました。
自転車競技マガジンから得られる海外レースの情報は貴重でした。
そしてニューサイ誌には、画家にして日本の自転車競技の功労者である加藤一さんが寄稿された記事が、毎回掲載されていました。
三誌の中で現在も発行されているのはサイスポだけです。
1970年は大阪万博が開催された年、私はまだ小学生でやっと補助輪のない自転車に乗れるようになった頃だと思います。
創刊当時と現在では自転車のメカも材質も、そしてサイクルスポーツ、自転車という乗り物を取り巻く環境もあまりにも大きく変化しています。
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