軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

モチベーションの維持

2020-07-24 14:40:34 | 日記

(碓氷峠、長野・群馬の県境)
嬬恋村で開催予定だったキャベツヒルクライムが来年に延期になりました。
毎年エントリーしているので残念ではあります。春には、同じくエントリーしていた松本トラック大会も中止になってしまいました。
正直モチベーションは落ちますが、このような状況下で大会、イベントを開催するのは現実的ではありません。安心して参加できる日を待つしかありません。

しかし、体力だけは維持しておかないといけませんので、梅雨の晴れ間の日曜日に碓氷峠を登りました。
この時期なら、既に4~5回は登っているはずですが、今年は自粛していたため初めての碓氷です。

長雨が続いているため山からの出水で濡れている個所もあります。

下る途中で会ったカモシカです。
近づいても逃げずにのんきに草を食べていました。
まだ子供のようです。なかなか可愛い。
警戒心が薄いので交通事故が心配です。
「車に気を付けるんだよ」と声掛けしてその場を去りました。碓氷峠には猿も出ますが、餌やりなどは厳禁です。また猪も出没しますので注意が必要です!

峠の湯のトロッコ列車の駅で一休み今日は暑い!
冷たい飲み物で水分補給をしてから登り始めます。

(トロッコ列車は峠の湯が終点です)

(新幹線開業前に碓氷峠で列車をけん引して、シェルパの愛称で親しまれたEF63機関車が置かれています。このままではいつか腐食が進んでしまいそうで心配です…)
調子の良い時はアウターギアだけで登りますが、今日はインナーに落としてゆっくりと登り始めます。
眼鏡橋前の横断歩道では、一時停止で歩行者に道を譲り(当然の事ですけど)比較的力をセーブしながら登っていきます。

(旧信越線第3橋梁)
それでも途中からスイッチが入り、時にはアウターギヤも使い、時には加速しながら登っていきます。
70~80年代は重いギヤを使うのが当たり前、昔使っていたロードのローギアは42T×22T=1.90倍ですが、当時はこれでも軽い設定でした。
学生時代に一緒に練習していた他大学の先輩が「22Tなんて腰痛ギアだよ」と言っていたのを今でも覚えています。
現在使っているギヤは、フロントはアウター50T、インナーが34T、リアは12T~28Tですから、アウターローで50T×28T=1.78倍なので、何と昔のロードのインナーローより軽いのです!

(こちらは第6橋梁です)

(旧信越線の鉄道施設は重要文化財に指定されています)
現在のインナーローは34T×28T=1.21倍なので、昔だったらツーリング車のギア比です。
重いギヤをトルクを掛けて登っていた昔、重いギアのことを栗村修さんは「漢(おとこ)ギア」と呼んでいました。
上まで登り切ってタイムを見るとベストタイムからは3分遅いのですが、今年初にしてはまあまあです。
しかも、30歳頃の重いギアを踏んでいた頃よりも、最近のタイムの方が良いのです。

(かつての線路後は現在遊歩道になっています)

(自転車は通行不可なのでご注意を!)
「漢ギア」にはあまり意味はない、むしろ体への不必要な負担が大きいだけではなかったのか?
少なくともロードではギア比をワイドに設定して、体力と、コース状況に応じて適正ギヤを使い分けることが大切ではないかと改めて感じています。しかし、逆にトラックレースでは昔では考えられない重いギアを使う傾向のようですが…
大会、イベントは中止や延期になっていますが、自分と向き合い「自転車道」を走り続けるモチベーションの維持はできていると思います。

貴重な梅雨の晴れ間でした。暑かった!
梅雨明けとともに猛烈な暑さがやってきそうです。
水分補給をしながら走りましょう。
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還暦祝い

2020-07-11 12:39:09 | 日記

(自転車乗りらしい還暦祝いの赤いウェア)
今年7月で還暦を迎えました。
一昨年前のツール・ド・フランスさいたまクリテリウム会場の出店で、安売りをしていたルコックのウェアを購入しました。年齢を考えると赤というのはどうかな?と思いましたが最後の一枚だったので、還暦になるのだから、赤いちゃんちゃんこの代わりでちょうど良いかということで、現在も愛用しています。

学生時代使用していた片倉の赤いフレームのトラックレーサーです。物置の片隅から出てきたばかりで、埃をかぶっています。時の流れを感じます…

1981年大分県で開催されたインカレで車体検査を受けた時に貼られたシールがそのままでした。

(ミヤタのクロモリフレームのロード)
自転車選手、サイクリストにとって、自転車は、一番高価な道具ではありますが消耗品でもあります。特にタイヤやチェーンなどのパーツは古くなれば交換していくことになります。「もう自転車は乗らないから」と思いまして、処分したものもたくさんありますが、ロードとトラックはそれぞれ一台ずつ物置に残っていました。
フレームの材質もカーボンやアルミが主流となり、その他のメカやウェア類などの用具も私が自転車を始めた1976年頃からは様変わりしました。

(アディダスのレーサーシューズ、エディ・メルクススーパーです。80年代はトップレベルの選手も使っていましたが、ビンディング固定ではありません。シュープレートの溝をペダルに挟み、トウクリップとストラップで固定します)
当時のスタイルは、クロモリフレームの自転車、ロードの変速は後ろ5~6段、重めのギヤ設定、シフトレバーはダウンチューブ。ペダルと靴の固定はトウクリップとストラップ、選手の身なりは、重くて暑苦しい競輪メット(安全性は高いですがロードで長時間は無理!)、ロード用ウェアやレーサーパンツもウールなどの素材が主体で、夏はこれも暑苦しくて…

(当時のペダルと靴の固定方法です。ペダルは極東プロエースのトラック用です。今はもうないメーカーの製品です)
一時は、もう自転車でやり残したことはないからと、完全に引退状態でしたが、自分の人生にとってやはり大切なものであることに気が付いて、復帰しました。
今年はマスターズ枠で選手登録もいたしました。
コロナウイルスでエントリーしていた大会が中止なるなど残念な事もありましたが、ありがたいことに、もう少しだけ自分の足で走る時間が残されています。
前立腺がんも検査の結果今のところは発見されませんでした。
来年のワールドスポーツマスターズにエントリーしています。何とか無事に開催されてほしいと願っています。
スプリントから500mTTへのエントリー変更もできました。

(自宅庭からの夕景)
これからは人生の結実期に向かいます。
家庭人としての役割を果たしつつ、落車、事故に注意しつつ、良き自転車人として過ごしていきたいものです。
コメント (4)
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