るるの日記

なんでも書きます

老いて無気力になるのは自然だが、国は自立させたがる「保険使わないでね」

2022-04-10 11:33:26 | 日記
介護職に復帰するので、テキストを読み返していた。現実の現場ではテキストのお手本通りにはいかなくて、90%は現場で覚えることになり、臨機応変に援助仕事をこなさなければならないのだが、やはり基本を押さえておくことはしておきたい

テキストでは高齢者・障がい者の自立支援が大事で、介護が必要となっても幾つかをあきらめたり、切り捨てる人生ではなく、主体的に生きるために援助をする、、とある
その1つに利用者の意欲を引き出す働きかけがある

意欲を引き出す働きかけの1つに
自ら決定することが重要なので、「自己決定をうながす」働きかけをする。自己決定をうながすためには、「選択肢の幅が必要」とある
そのために選択肢の情報を介護者が与え、選択肢の幅を広げる

(事例)食事のメニュー
スタッフとAさん

今日は何を作りましょうか?

「何でもいい」

何が食べたいですか?

「何でもいい」

昨日は魚だったので、肉料理にしましょうか?

「そうね」

ジャガイモとタマネギがありますし、しららく作ってないから、カレーはどうですか?

「いいね」

お肉は何がいいですか?
鶏肉、豚肉、牛肉

「私、鶏肉が好き」

それでは鶏肉を買いに行きましょう。どこに行きましょうか?
鶏肉専門の鶏屋さん、、親戚のやすしさんのお店ね。それとも佐藤精肉店。キティちゃんのお店の隣のスーパー、、、

「やすしさんのところ、近いから、、」

ここではAさんの主体性を尊重し、Aさんが自己選択をしやすい条件を示しながら、夕食のメニューや材料などを自分の力で決めていけるような援助(やりとり)を行っている

ここで大切な視点は、Aさんの自己決定をうながすために、決めるだけの選択肢が必要であるということ。自分で決めるということは基本的には自己責任を伴うので、いろいろな情報がなければ、きちんとした判断はできない

人間が自分で考え、自分で決定し、行動するための一連の流れ

情報入手
説明
検討
選択
同意・拒否

利用者に情報を提供し、選択肢の幅を広げる援助をすること

■ルルは必要最小限暮らし、選択肢は狭くが快適なのだが、それは私の個人的な見解。性格的なもの
怠惰=無気力=無欲

ルルの知る仏教の教えは、介護職では封印しなくてはならないが、、
それでもやはり、老いと共に無気力になるのが自然だとルルは思うの




「なんだ、そういうことだったのかあ」と気がついたこと

2022-04-10 10:36:56 | 日記
■人間は脳だけならば単純明快な生きざまができただろうに。宗教の必要性は単純明快に生きれないから必要とされるんだと思う

人間は脳の他に積んできた業が加わり、人生を複雑怪奇にさせる
業は脳に記憶しない前世的なもの

★脳に影響を与えるのは家系的(広くは人として)遺伝子があるが、これは、本能的なものに含めます
その本能の現れをどう受けとめるか、が業だと思うから

■人生観
ルルの人生の受けとめ方
人生観には
★意味の無い暇潰し
★意味の有る特別
です
その時々で使い分けていましたが、今気づきました
「意味の無い暇潰し
意味の有る特別」は
不快を引き起こすと
一方は気力は無くなり
一方は無駄な緊張感
一言で言えば不快

だから、ルルは人生観を変えます

「意味の無い特別
意味の有る暇潰」
という人生観に
どちらも楽で、シャキッとします
快適~

何で快適と感じるか?
それは
意味の無い特別も
意味のある暇潰しも
ブラスマイナスゼロになるからかな?

ていうことは0感覚って
人生が楽園、極楽みたいに
受けとめることができるんじゃないか?
複雑怪奇から単純明快へ
単純明快な受けとめ方ができる方が快適に生きれそうです
それとも0じゃなくて1?
2から複雑怪奇になりそう

きっと0と1の生滅サイクルが
単純明快に生きる秘訣なんだろうな
1から2、2から3または枝分かれするから複雑怪奇になってしまう

がしかし、2あってもプラマイ0ならいいか~

線でなく
点で生きよう







ルルの今日の課題が解決しました「快適に暮らしたい」

2022-04-10 09:43:18 | 日記
■一生懸命とは「命をかけるほど、真剣に取り組む様」

ルルにも時々、一生懸命に頑張っている時間がある。そうゆう時は完璧を求める心が少なからずあって、完璧を目指してしまい、焦り、余裕が無くなりぎみ

だから一生懸命になっても、余裕ある心を持ちたいと思います。これがルルの今日の課題です

■二種類の一生懸命があると思います
1つは自分の利益ため
1つは自分以外の利益のため

たけど

行動中に(自己評価などの)思いが入ると、一生懸命の行動はすべて自分の利益のための行動になっちゃって
初心の「自分以外の利益」のための一生懸命も、自分の評価のための一生懸命になり、なんとか完璧に自分の評価を上げたいとの焦りが生まれ、焦るから余裕が無くなるんだと気づきました

■ルルは、なかなか利己から離れられないみたい。己を良く見られたい、己だけ利益したいという思い。狭苦しい心の世界だというのに、わかっちゃいるけど、気づくとこうなってしまうだよね、、、

消しようがない利己的なルルを
認めた
しかし戦わない
戦わず、、心地よさだけを求める

そもそもルルが「一生懸命になっても、余裕ある心を持ちたい」という思いになったのも利己的からきた発想なんだし
利己的でいいと思うの
利己的は消せないんだし

利己的でいいと思うのだけど
不快なのよね
私は快適に暮らしたいだけ
単純明快!

■答えは1つ

★己が快適な利己的
人も喜び、ルルも喜ばれたことでいい気分になれたという、自己の利益になった結果となる

★己が不快な利己的
人も喜び、ルルも喜ばれたことで自己の利益になるように行動前や、行動途中から計算する。計算している内に人から好い評価を得たいなど、さまざまな利己的欲求がわく、、

これが不快なんだよ😖

【下手な考えは、時間とともに快適な思いを浪費し、不快に変える】
(下手な考えは不安から生まれる。これでいいのか?もっといい方法はないか?、、迷い)

下手な考えが湧いたら思い出そう
「何事も大我(仏・神・大宇宙、、)のはからい」
だということを
あとは
「おまかせした、ヨロシクたのむ」
の心持ちだ


この大きな自由な世界の中で
小さな人型ロボットになってしまったルルがいる
なるようになる自由の中で
「なるようにしかならない錯覚思いの型」にはまった人型ロボットの私は、いつも自由な快適さを求める
快適になるために
大きな自由の世界のはからいに任せていよう