るるの日記

なんでも書きます

影は離れず

2020-09-28 14:35:14 | 日記
鳩摩羅什という僧は「十二門論」という経を訳した。これは華厳経の中心となる教え。華厳経の思想は実に素晴らしい

世界を、現象界(事法界)と現象本体(理法界)分けるも、事と理は一体であって別のものではないと説く

現象はそのまま本体の動き
現れ見えることは本体
現れたことの背後に真理あり
人の影をとることはできないと同じ
四季は変化するが自然の本体は変わらない
これを理事無礙法界観(りじむげほうかいかん)という

中国の僧たちはその本体を知りたいと思った。インドのように観念的、空想的にとらえることはできない。中国人は生活の上でぜひとも知りたいと願っていた。それが禅の生活上の体験となって現れてきた

インドの禅と中国の禅

2020-09-28 14:01:04 | 日記
釈迦は人間生活の苦しみを知り、生老病死より逃れるため出家入山した。そして多くのバラモンたちより学問と修行道を教わったが、それらの苦行で満足できなくて、ついに中道の法を知って大覚成就するに至った。悟って後さらに人々に仏の慈悲を広めるために山を下りられた。もし釈迦が出世間(入山)の釈迦のままであったなら、あるいはこの偉大な釈迦の法は歴史の彼方にかすんでしまったであろう。しかし山を下りられた釈迦はその一事のため、人の心を動かし、やがて歴史を変える程の大きな力を蓄えていったのであった

インドで芽ばえ、アジアから中国、日本へ根は広がった。特に禅はインドの禅定の観念より発して中国人の心をとらえて大きな変化をきたした

禅はどのような変換をされていったのか振り返ってみる

達磨から3代目僧さんまでは、自ら頭陀行を行って乞食して歩き、かつ仏の教えを講じて歩いた。まだインド的な観念があった

4代目道信のとき廬山に定住して、500余人の道者を教育するに至って、以後その生活は禅に大きな問題となった

6代目慧能は「定住生活」と「禅の行」を一致するものにした。
生活する以上は食べなければならない。自給自足などを行う生産活動が開始された。

それまでのインドの禅は、僧は生産から離れた階級であった。また生産することは修行の邪魔でもあった。ところが中国に入った禅は生産活動を主眼目の1つとした。したがって働くということは、もっとも重大な作務であって、働く陰徳によって悟りに至るという具体的な中国思想を生み出した。いわば仏教の一大転換なのである。もちろん田畑は豪族などから布施によって寄進されたものである

インドには頭の中で自由に想像し、それを合理的にあてはめてみる空間的、観念的思惟がある
中国には自分を主として、空間的なものを近よせるという思惟がある

禅は自己をいかにして客観的なもの(自然の真理)の中に融けこませ、自由になることができるか、ということを考えぬこうとする
天地自然の真理の中に没入し、「無心」「没我」「無我」という境地に入ることによって自己と対象との区別をなくし悟ろうとする。あくまで体験が主体となっている

この体験を主とする智慧がわかるまでに、禅が中国にもたされてから200年もの長い期間が必要だった。インド禅は体験まで必要としない。中国禅はあくまで体験を供わなければ理解しにくい。そのため知識の伝達、発展には遅速が生じてきた

禅の思考は分析されたものをいかに統合して知るかに智慧があり、西欧では、いかにして分析してゆくかに智慧があった



不立文字は文字で伝わる

2020-09-27 08:01:34 | 日記
経典主義を振りかざして禅に対立したのは唐朝の天台関係の僧たちだ。経文の中には釈迦以来のたくさんの理法が説かれている。そうゆう経文を読まず仏教を知ろうとするのはどうゆうわけか?というのだ。天台教理からみれば禅の説く不立文字ぐらい不思議な仏説はない

こういう対立はその底にはインド的考えと、中国的考えの相違となる。
インドの禅は心を鎮め観想に至る身を処する形。頭の中で想像され一種の奇跡的なものをあらわす(神秘体験か)
中国禅はもっと現実的な禅。人々の生き方にはそれぞれの人の叡知が潜む。天地間の創造が人間の立場の中であらわれてくると同時に、天地自然現象と同じ世界の人間という立場。自分と自然の対立なくして、自己を自然の中に没入し、そのとき現実的・具体的に自由自在な自分ということを悟る

そうゆう立場から、経文を否定するのではなく、経文ばかり読んで経文に表れていることを概念化・固定化してしまうことの弊害をなくすための不立文字の主張だった

インドから達磨が中国に来て、その真髄を伝えて文字を書かないことを本心としてきた。しかしそれを伝えるとなると、はたしてそれがよいのだろうか?と中国僧は考えた
始めに文字を頼らずに、しかも文字を無視しないということを知る者は本当の意を知っている者である(機会に熟した者か)
代々祖師の意を伝えていったが、今になるとどうしても文字がないと難しい

釈迦が迦葉に伝えた「拈華微笑」の機縁より後、これをずっと伝えられているけれどそれは文字によって解っているのであって、もし文字がないとしたらどうして伝えることができるのであろうか
これが文字を捨てることができない理由である

生きるとは

2020-09-26 12:21:04 | 日記
古来の禅僧たちは、人生や宇宙を究め、人間のはかない命と無限の存在について知る努力をした

動くものと動かざるものが混入一体化し、生と死の恐れと、その生死が存在する矛盾が止揚されて

真理の喜びを知り、さらに喜びでも哀しみでもないそのままの姿(無心)浸ることまでその努力はすすんだ

生きることは現在の時間に十分力をそそいで悔いなく、充実感を感じることであり、目的に達しようとしまいと「人事を尽くして天命を待つ」という境地よりもさらに超脱して、一切の期待を持たない。あるがままを知る境地に至ることである

一方では喜怒哀楽を感じとる余裕もあり、伸縮自在であってもその要はしっかりと押さえているかんじ



1つ1つ丁寧に終わらせていくだけ

2020-09-26 09:46:27 | 日記
修行中は極度に緊張、修行が終われば気が緩み元に戻ってしまうというのでは何の効果もない。修行中も終わってからも常に変わりなく行動する精神(不動心)となるために常に努力し励むことが大切

日常の小さな行為もすべて修行で、真理に繋がることであると心得て身を処することこそ大切。行動に差別をつけてはならない

今しなければ、もう同じ機会はこない。諸行無常だから

ただ今日この時をいかに大切に生きるかということに常に心がけていればよい。一つ一つ丁寧に終わらせていけばよいだけ