るるの日記

なんでも書きます

悟りを生活に活かす

2020-09-26 09:23:28 | 日記
座禅によって反省、思惟、体調調節し、作務によって体験を積んでいった。この静と動の調和や調和を崩さないことが悟りに至る重要な点

真の目的は
座禅の心を日常生活に生かすこと
座禅により悟りに至ることができたら、それを生活に応用しなければならない

千万に一つの貴重な機会をもって得た体を、仏の智慧を用いて十分活用しよう!

作務

2020-09-26 09:08:27 | 日記
禅宗が重要視したのは、「坐禅による正しい思惟」「悟りに至ること」「日常生活の仕事(作務)」

与えられた量と供物で最大限のものを作る。ここから禅修行の心をつかむ。個人修行と寺院集団への利他的精神を一致させた典座職

少しの時間であっても仕事(作務)に熱中すること。それがどんな仕事であれ集中し、没頭し、行うところに重大な禅の道あり。それをたどってはじめて悟りに到達する

その悟りに至る手段、方法を悟りの道とよぶ。これは仏教の道理や経典の理解ということの他にもっと大切なことがある

道元がいっさいの雑念を排して坐禅に勤め励むことを第一としたように、禅の道は体験をもって知らなければならない

知識(理解)と体験(直観)がなければならない。どちらを主とするかは卵が先に生まれたか、鶏が先に生まれたかに似ていて、その立場・環境・時代などいろいろなことを考えてから自分で決定するのが一番よい

目ざすべきところは1つである

道元禅・禅の概念を学ばず始めから坐禅する

2020-09-25 16:24:15 | 日記
道元禅 ひたすらの坐禅(只管打坐)。そこに仏道を得る道が生ずる

仏道を習うとは自己を習うなり
自己を習うというは自己を忘るるなり
自己を忘るるというは万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは自己の心身および自己の心身を脱落せしむるなり(正法眼蔵)

身も心も軽くなり、脱落心身するに至りさらに軽くなった身と心
心身脱落した目によってすべての生活、世界へと目を向けることになる。無心と同じ状態

儒教で唱える「心の欲するところに従って法を越える」境地に至る😆

課せられた問題は、心(主体)と対象(客体)との間をいかにして統合することができるのか?

2020-09-25 15:49:48 | 日記
旗が動いてる?
風が動いてる?
心が動揺している!

いろいろな機縁通し、対立する主・客2つの世界に、機縁熟した者は目を開かされ、2つの世界の統一を体得できる

それは説明し尽くせるものではなく、人間の表面的理知とか合理的理性で理解しようとするのは困難だ。文字や言葉には限界がある

無説の説・無聴の聴・無聞の聞・無示の示について「説かない方がよい、という説だ」と言われ、ハッと気づくか否か。機が熟しているか否か

すべてに、2つの体と用がある。1つは本体、1つは本体を通して動かしうるもの

檻に入れられている猿から人間を見れば、人間が広い檻の中に入れられているようなもの。檻の中が安心できる場所となればなおさら

禅の公案

2020-09-25 15:20:39 | 日記
人に真理をよく説いてあるものは未だかつて見たことがない。ある事に喩えて表現してあるだけである。祖師たちのその真意を学びとろうとした僧たちは苦心を重ねて悟りの喜びを得た

釈尊がある日霊鷲山で、弟子たちや大衆を前に説法をなさろうとした時、一本の花を献じて目を閉じられた。一同は何のことだかポカーンとしていたが、その中で弟子の摩訶迦葉が師の意を知ってニッコリ微笑された。そこで釈尊はその法を彼に与えた。このように直観の悟りをいかに伝えていくかを第一義の精神として禅の公案は作られてきた

それぞれの人が、それぞれの立場と生に立脚し、それぞれ性格に見合った得悟の仕方を考えねばならない
同じことを師から教わって、各人それぞれ異なった風に受けとることもある

その受け取ったものが悟りへ如何に近づいたか、つまり機が熟したかを知るのが禅師匠たちの手腕でもある