武田泰淳『快楽(けらく)』 松山愼介
浄土宗の大寺のお坊ちゃん、柳は目黒署に拘留される。この拘留は予測されていたらしく、ふだん着の和服の裾に煙草とマッチを、女中の末子に縫いこんでもらっていた。留置場に入れられると、見覚えのある看守に「なんだ、坊さん、また来たのか」と声をかけられる。柳が煙草とマッチを配ったので、留置場のみんなは、柳のために房の中にスペースを作ってくれる。この房には浄泉寺の檀家総代、島崎もバクチで捕まうっていた。朝鮮人の土方もいた。柳が自由労働者の長屋で無料のお経を読んだとき、彼もそこでナムアミダブと唱えていた。その朝鮮人から便所の前の房に、思想犯の大物、宮口がいることを聞き出す。
柳の容疑は、ある「大物」のアジトで、殺されたらしい男が入れられた寝棺の前でお経を読んだ事であった。もし寝棺の中の男が殺されたのだったとしたら、アジトにかくれていた青年たちは《たんなる政治犯ではなくて、私刑(リンチ)を加えて裏切り者を殺した、殺人者になるわけなのであった》。刑事はアジトにいた青年たちと柳の関係を疑っていた。柳は単に葬儀屋のおやじに頼まれただけだった。柳は二人の刑事の二本のステッキで腰と臀と脚を殴りつけられた。小林多喜二も同じ個所をひどく殴られて殺された。柳は「ブツ、ブツ、ブツバチがあたってるぞ」と叫ぶばかりだった。
柳は革命党とつながりがあった。鐘楼の石積みの土台の周囲にある切り石の隙間を通じて、秘密の出版物といくばくかのお金と交換していた。その革命党の新聞には各地の闘いの様子だけではなく、「除名広告」というのもあった。官憲につかまってスパイ行為を働いた者のことであった。その他にも、プロヴァカートル(超スパイ)松原に関する記事もあった。
アジトでの殺人事件は、宮本顕治、袴田里見らによるリンチ殺人事件、超スパイ松原とは共産党の幹部にまでなったスパイM、松村昇こと飯塚盈(みつ)延(のぶ)、あるいは小林多喜二を売った三舩留吉のことであろうか。また、宝屋夫人の妹、久美子が脱走した宮口のハウスキーパーになる。この作品はさり気なく昭和七年ごろの日本共産党の歴史をふまえている。
昭和四年七月から昭和五年七月頃の共産党を武装共産党といい、田中清玄が最高幹部であった。武装共産党が壊滅した後、再建された昭和六年から昭和七年末までの共産党を非常時共産党といい、委員長は風間丈吉であり、最高幹部にスパイMがいた。風間丈吉はコミンテルンのゲオルギー・サファロフらによって作成された、三一年政治テーゼ草案をコミンテルンから持ち込んだ。それは、日本の「当面する革命の性質は、ブルジョア民主主義的任務を広範囲で包容するプロレタリア革命でなければならぬ」としていた。これは労農派系の一段階革命論(社会主義革命論)に近かった。ところがサファロフが失脚し、スターリンの手によって、新たに三二テーゼが作成された。これはソ連邦擁護、天皇制打倒を内容とするものであった。当面の目標をブルジョワ民主主義革命とし、いわゆる二段階革命論であった。
この三二テーゼを徹底するために、一九三二(昭和七)年十月、共産党熱海会議が開かれようとしたが、直前になってスパイMが毛利基特高課長の指示に従わず、会議を中止したが、すでに集結していた地方代表者が一網打尽となった。熱海へ向かわなかった風間丈吉は、スパイMの手によって特高に売られた。この熱海会議の準備のために大森ギャング事件が起こっている。
この年の三月、コップ弾圧があり、中野重治ら多くの文学者が検挙された。翌年、二月、小林多喜二が虐殺され、六月には共産党最高幹部、佐野学、鍋山貞親が獄中で転向声明を発表した。十二月にはいわゆる「リンチ共産党事件」が起こっている。その後、宮本顕治、袴田里見が検挙され、戦前の共産党はほぼ壊滅した。この「リンチ共産党事件」で死亡した小畑達夫は全協の日本通信労働組合の委員長であり、一大学生であった平野謙が通信労働組合に所属していたため、彼を世話し、半月ほどかくまったこともあった。コップ弾圧に関連して「ツクエ」という人物が警察から追われているというレポがあり、それは平野謙のペン・ネーム(組織名)であった。この「ツクエ」というペン・ネームを知っていたのは小畑達夫だけであり、小畑が死亡しなかったら、平野謙は特高の手に落ちており、彼のいわゆる「無血の転向」も成立しなかったのである。
小畑達夫と同時に査問された大泉兼蔵が新潟から出て来た時、都会風に「教育」したのが埴谷雄高であり、この大泉兼蔵からハウスキーパーに要請されたのが埴谷雄高夫人であった。彼女は、ハウスキーパーは家事的なことばかりでなく、妻君的なこともするのかと聞くと、そうだというので、夫が獄中にいるということで断ったのであった。その代わりに、名古屋の熊沢光子が彼のハウスキーパーになったのである。熊沢光子は小畑、大泉が査問されている時、押し入れに入れられており、後、警察に検挙され、スパイ大泉のハウスキーパーであったことに絶望し、獄中で自殺する。
この作品はこのような左翼運動を背景とし、そこから仏教と社会主義、仏教と愛の関係をテーマとしている。久美子は柳と仏教的恋人の関係にあるという。またハウスキーパーを務めている久美子は「私は今、仏教の中にいるのよ。今まで、かつてなかったほど、仏教そのものの中に入っているのよ」ともいい、仏教と左翼運動とが矛盾なく両立していると信じている。しかし、久美子の行末は獄中で自殺した熊沢光子の道しかないのである。
「俗世の快楽(かいらく)から脱け出すことが、仏弟子たるものの快楽(けらく)である」というのが武田泰淳の考えらしい、柳にとって、性的快楽に都合の良い宝屋夫人が出てくるが、これは仏教における色欲を具象化したものではないだろうか。また、そもそも仏教と社会主義は相いれないものではないだろうか。この二つを結びつけようとした武田泰淳であったが、あまり成功していないようである。この作品は出版された一九七二年ごろ読んだが、警察の拷問シーンだけが印象的であった。今回、二度目であったが、当時の共産党の歴史や「リンチ殺人事件」についても、そこそこわかっていたので面白く読めた。
2016年9月10日
浄土宗の大寺のお坊ちゃん、柳は目黒署に拘留される。この拘留は予測されていたらしく、ふだん着の和服の裾に煙草とマッチを、女中の末子に縫いこんでもらっていた。留置場に入れられると、見覚えのある看守に「なんだ、坊さん、また来たのか」と声をかけられる。柳が煙草とマッチを配ったので、留置場のみんなは、柳のために房の中にスペースを作ってくれる。この房には浄泉寺の檀家総代、島崎もバクチで捕まうっていた。朝鮮人の土方もいた。柳が自由労働者の長屋で無料のお経を読んだとき、彼もそこでナムアミダブと唱えていた。その朝鮮人から便所の前の房に、思想犯の大物、宮口がいることを聞き出す。
柳の容疑は、ある「大物」のアジトで、殺されたらしい男が入れられた寝棺の前でお経を読んだ事であった。もし寝棺の中の男が殺されたのだったとしたら、アジトにかくれていた青年たちは《たんなる政治犯ではなくて、私刑(リンチ)を加えて裏切り者を殺した、殺人者になるわけなのであった》。刑事はアジトにいた青年たちと柳の関係を疑っていた。柳は単に葬儀屋のおやじに頼まれただけだった。柳は二人の刑事の二本のステッキで腰と臀と脚を殴りつけられた。小林多喜二も同じ個所をひどく殴られて殺された。柳は「ブツ、ブツ、ブツバチがあたってるぞ」と叫ぶばかりだった。
柳は革命党とつながりがあった。鐘楼の石積みの土台の周囲にある切り石の隙間を通じて、秘密の出版物といくばくかのお金と交換していた。その革命党の新聞には各地の闘いの様子だけではなく、「除名広告」というのもあった。官憲につかまってスパイ行為を働いた者のことであった。その他にも、プロヴァカートル(超スパイ)松原に関する記事もあった。
アジトでの殺人事件は、宮本顕治、袴田里見らによるリンチ殺人事件、超スパイ松原とは共産党の幹部にまでなったスパイM、松村昇こと飯塚盈(みつ)延(のぶ)、あるいは小林多喜二を売った三舩留吉のことであろうか。また、宝屋夫人の妹、久美子が脱走した宮口のハウスキーパーになる。この作品はさり気なく昭和七年ごろの日本共産党の歴史をふまえている。
昭和四年七月から昭和五年七月頃の共産党を武装共産党といい、田中清玄が最高幹部であった。武装共産党が壊滅した後、再建された昭和六年から昭和七年末までの共産党を非常時共産党といい、委員長は風間丈吉であり、最高幹部にスパイMがいた。風間丈吉はコミンテルンのゲオルギー・サファロフらによって作成された、三一年政治テーゼ草案をコミンテルンから持ち込んだ。それは、日本の「当面する革命の性質は、ブルジョア民主主義的任務を広範囲で包容するプロレタリア革命でなければならぬ」としていた。これは労農派系の一段階革命論(社会主義革命論)に近かった。ところがサファロフが失脚し、スターリンの手によって、新たに三二テーゼが作成された。これはソ連邦擁護、天皇制打倒を内容とするものであった。当面の目標をブルジョワ民主主義革命とし、いわゆる二段階革命論であった。
この三二テーゼを徹底するために、一九三二(昭和七)年十月、共産党熱海会議が開かれようとしたが、直前になってスパイMが毛利基特高課長の指示に従わず、会議を中止したが、すでに集結していた地方代表者が一網打尽となった。熱海へ向かわなかった風間丈吉は、スパイMの手によって特高に売られた。この熱海会議の準備のために大森ギャング事件が起こっている。
この年の三月、コップ弾圧があり、中野重治ら多くの文学者が検挙された。翌年、二月、小林多喜二が虐殺され、六月には共産党最高幹部、佐野学、鍋山貞親が獄中で転向声明を発表した。十二月にはいわゆる「リンチ共産党事件」が起こっている。その後、宮本顕治、袴田里見が検挙され、戦前の共産党はほぼ壊滅した。この「リンチ共産党事件」で死亡した小畑達夫は全協の日本通信労働組合の委員長であり、一大学生であった平野謙が通信労働組合に所属していたため、彼を世話し、半月ほどかくまったこともあった。コップ弾圧に関連して「ツクエ」という人物が警察から追われているというレポがあり、それは平野謙のペン・ネーム(組織名)であった。この「ツクエ」というペン・ネームを知っていたのは小畑達夫だけであり、小畑が死亡しなかったら、平野謙は特高の手に落ちており、彼のいわゆる「無血の転向」も成立しなかったのである。
小畑達夫と同時に査問された大泉兼蔵が新潟から出て来た時、都会風に「教育」したのが埴谷雄高であり、この大泉兼蔵からハウスキーパーに要請されたのが埴谷雄高夫人であった。彼女は、ハウスキーパーは家事的なことばかりでなく、妻君的なこともするのかと聞くと、そうだというので、夫が獄中にいるということで断ったのであった。その代わりに、名古屋の熊沢光子が彼のハウスキーパーになったのである。熊沢光子は小畑、大泉が査問されている時、押し入れに入れられており、後、警察に検挙され、スパイ大泉のハウスキーパーであったことに絶望し、獄中で自殺する。
この作品はこのような左翼運動を背景とし、そこから仏教と社会主義、仏教と愛の関係をテーマとしている。久美子は柳と仏教的恋人の関係にあるという。またハウスキーパーを務めている久美子は「私は今、仏教の中にいるのよ。今まで、かつてなかったほど、仏教そのものの中に入っているのよ」ともいい、仏教と左翼運動とが矛盾なく両立していると信じている。しかし、久美子の行末は獄中で自殺した熊沢光子の道しかないのである。
「俗世の快楽(かいらく)から脱け出すことが、仏弟子たるものの快楽(けらく)である」というのが武田泰淳の考えらしい、柳にとって、性的快楽に都合の良い宝屋夫人が出てくるが、これは仏教における色欲を具象化したものではないだろうか。また、そもそも仏教と社会主義は相いれないものではないだろうか。この二つを結びつけようとした武田泰淳であったが、あまり成功していないようである。この作品は出版された一九七二年ごろ読んだが、警察の拷問シーンだけが印象的であった。今回、二度目であったが、当時の共産党の歴史や「リンチ殺人事件」についても、そこそこわかっていたので面白く読めた。
2016年9月10日
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