人生の坂道

持病を持つ身になったことをまだ公にできないのですが、
自分の体や心の変化を日記代わりに綴っていきたいと思います。

久し振りの脳神経内科

2024年06月26日 | 病気 パーキンソン
毎日が日曜日だったらいいのに~~

そんな思いに駆られたのは、何才くらいの時だっただろう?
学生時代・・・だったかもしれないなぁ

今、コロナ以後の暮らしは
正に 毎日が日曜日みたいで、
自分であれをしよう! とか
あそこへ行こう! と決めない事には

同じことの繰り返しばかり
これでは頭もどんどん…低下するばかりだ

***************************************

昨日、およそ2年ぶりに脳神経内科を専門とする先生の診察を受けた。
2年前から、近所の一般内科の先生の所で
パーキンソン病の薬を出していただいていたのだが、

症状が少し進んできたように感じると、告げたら

その内科の先生が
「以前の専門医のK先生に一度 診てもらいますかね」と。

それで、かなり重い気分で、以前の主治医先生を訪ねました。

血圧(ベッドに横になって、と、起立して)測定

次に部屋を変わって、

記憶力や、今いる所は何地方? そして此処はどこ?
100から次々と7を引いていって。。。とか
知能検査、記憶力。。。そんな検査を受けました。

以前、掛かっていた時に何度も受けた検査でしたが

久し振りだったのと、
自分で、かなり記憶力の低下を実感していたので
すごく、緊張する時間だった。

しかし、先生は
「あまり変わりないですね」
「以前と同じステージ2です」と。

ああ~~~あ よかった~~♡

でも、凄く疲れました~~~

で、今日は 夫の運転で買い物を兼ねたドライブを
  
 
時々、海を見ながら食事をするホテルの前庭に
デイゴの花!

この辺りでは此処でしか見たことがありません

赤い色が気持ちを明るくしてくれるようでした

我が家の庭では
美智子上皇后さまがお好きだと云われた
ゆうすげが優しい花を咲かせています



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網走の白花豆を炊きました

2024年06月19日 | 料理 お菓子づくり
夫の大学の同級生で、
今も親しくお付き合いさせて頂いている方が
北海道(網走)にいらっしゃいます。
遠く離れているからこそ続くお付き合い。

今も現役でお仕事をなさりながら
「日本農園」と名付けた畑の収穫物をはじめ、
中國地方の我が家では手に入らない
珍しい食材を季節ごとに送って下さいます。

例えば、鮭に筋子、イクラ、毛ガニ等々
(高価な物ばかりですよね)

我が家からお送りする主なものと云えば

冬場に、新鮮な野菜をドーンと!

 白菜をはじめ、白ネギ、大根、蕪、
ほうれん草、春菊、みかん等々です。
 
お値段では比べられないお安いものばかりですが。。。💦
大きな段ボールに詰めて、ひと冬に3回ほどかな?

そんなお付き合いがずっと長く続いています。


そうそう、ず~~っと以前には

網走から流氷が届いた事もありました。

お酒に弱い夫ですが、友人を招いた時などに
流氷でオンザロックにしたこともありました。

最近そんな話をしたら、

「今は状態の良い流氷が手に入らない」
というお返事のようでしたよ。

つい先日

網走の「日本農園産」の白花豆を炊きました。
 
レシピは ↓ これです


いつもは ↑ の土鍋(とても使い勝手が良いのです)だけですが
今回は豆の量が多かったので 二つで炊くことに。


炊き方はレシピ通りですが、
一晩以上ゆっくりと水に浸けました。


炊きあがったら ↑ の様に小袋にわけて、冷凍します。

これで当分ありそう…💖

コメント (2)
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人口減少のニュースで

2024年06月13日 | 思い出
 
              我が家の紫陽花にとまったアカタテハ

最近、何かにつけ「人口が減少してきた」
と、よく耳にするようになった。

人口減少といっても、若者が減り、老人の割合が増えては
社会の仕組みにも弊害がでるだろう

そういうニュースを耳にすることが増えたと感じていたが、

今回は、外科医が減った とテレビで云っていた。



父は町医者で、外科医だった。
田舎の町立病院に派遣され
私が生まれる頃に、ちいさな医院を開業

それから
2、3回同じ町の中で転居をし、
少しずつ医院らしくなったのかな?


私が幼稚園~高校生くらいの時期に借りていた建物

この写真は近年撮ったもので
無人になって、 久しく
よく残っていたと感動だった

私が小学校低学年の頃だったか
破傷風の患者さんが
荷車に載せられて運ばれてきたことがあった。
(そう言う時代だったのです)

父が往診で使うのはサイズの大きい自転車
(あの時代の人にしては体格の大きかった父)


大事な自転車は
夜には
玄関の中に大事にしまわれた。


私が高校生のころ、父は耳鼻科や内科の先生と一緒に
新たな病院を設立し、
最後まで其処で働きました。

私の兄も、その父の後を継いで数年勤めた後
自分の医院を開業しましたが、
それも数年前には閉院し
最近、取壊し更地になった。

人の一生は
長いようでも、案外あっと云う間かもしれない

医療は随分進み、特に外科などは
個人の医院では対応しきれないでしょう
(私が口出し出来ることではないですが)

父の時代、夜昼なしに呼び出しが。。。

小学生の私を連れて
少し大きな街へ、映画を見に行くことが時々ありました。

映画館で
呼び出しがかかります
○○からお越しの△△先生、お電話がかかっております」と。

薬の指示でしょうか?

家に居ても、夜中にも
しょっちゅう
電話

電話だけでは済まなくて、
夜中に起きて出て行くことも。。。

命を預かるって事ですものね

今は時代が変わったから
個人医院(病院)では無理かもしれないですねぇ?

どの職種でも
携わる人が減少するのは、困ると思いますが。。。

外科医減少のニュースで
忘れていた昔の暮らしぶりを
思い出しました。


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朝の一人散歩で

2024年06月12日 | 自然
昨日の朝ウォーキングは

夫が足というか、お尻の辺りが痛いからと

私一人で出掛けた。

いつもより少し早い時間だったからか
すごく気持ちが良い。

うっすらと、もやがかかってる。

先だって記事にした矢車草の麦畑
どうなってるかなあ~

刈り取りは終わってるんだろうか?

そんな事を思いながら行ってみる



まだ、あのまま だ!



直ぐそばの麦畑は ↑ の様に

刈り取りが終わってるんだけどね



こっちの田圃では

稲が緑の線になってて・・・

これはこれで
美しい!

麦も米も日本人にとっては一番身近で
大切な主食になる物

だから

かもしれないけれど

米や麦が順調に育つ様子を

目にすることは

嬉しいと感じる
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1冊の本から

2024年06月05日 | 思い出
新聞の「読書日和」コーナーに導かれ本を買った。
著者「宮本輝」の名前に導かれたと云った方が、当たっているかもしれない。


丸善(私の住む地方の)で「この本を・・・」と云ったら
「え~と、今 切れてるかも。 新聞に出ましたから・・・」と
店員さんがそう呟きながら、探して下さり
「1冊、在庫がありました」と。
ラッキー!!

思った以上に厚みの無い本だこと。
日頃、あまり読書をしない私には、ちょうど読みやすいかも?

ところで、これを読みたいと思ったのは
以前(2013年)スペイン旅行の時に持って行ったのが
宮本輝の「草原の椅子」だった。

その頃は、小さいスケッチブックを持ち歩き、
手当たり次第に描きたくてね!


団体旅行だから、ゆっくり描いたり出来ないで
いつも走り書きだけど、
ホテルや乗り物の中などで描いてたなぁ~

今は、その熱はすっかり冷めてしまったが💦

暫くぶりに取り出して、開くと
思い出せて
懐かしい💖

下手だけど、少し載せます




小学校だったかな?
遠い昔に学習した「シエラネバダ」という名前に出会って
何だかわからないけれど感動した
何の勉強でこの名前が出てきたのかは…忘れてる💦


旅行の時には、その時の服装を書いておくのがいつもの事。
出発したら暫くは、乗り物だから時間がある。






絵は、いつまで経っても上達しなかったけど
自分で懐かしむ手助けにはなってるから
まあ、良しとしましょう!
コメント (6)
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