さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

ぼくのやりなおし

2012年07月13日 | 三角記事
まえにすると、いろいろなことが交錯する
机の話

いすに座りっぱなし
ぼく、いろいろなことをやって、ぜんぶ、あんまりうまくいかなかった
今の話

いろいろなモーション
さまざまなアプローチをしたけれども
興味がなかったのかもしれない

ただただ、それだけの話、お話

すっごく蒸し暑い日に、ベンチに座って一日が終わっていた。
また、あの日に戻ってきたのだった。
昔と今との、なにも変わっていない話。

広告塔

2012年07月12日 | 三角記事
きのうはサッカー
 そして野球は阪神

まあパっとしない試合ばかり
天気もそう

雨が降るというので、とじこもりっぱなしにしたというのに
朝のニュースでは昼に降るといい
昼のニュースでは夕方に降るといい
夕方のニュースでは、夜に降るといった

天気ばかりではない

当方、しばらく上の空であった

編集につぐ編集

2012年07月11日 | 三角記事
手塚治虫の制作現場の映像をみたのだが、ものすごいものだった
これはもう、変態的というか、狂気的ですらある
三日間で睡眠三時間、というおそろしいスケジュール
そしてそれが当たり前である、手塚のスタイル
すこし、ピカソの映像と被るところがあったので、感心してしまった

編集室では、編集者が待っているだけ
これもまた長いこと待つのである

一気呵成に描き続けているときもあり、ピタっと手が止まると、そのまま何時間も始まらない状態になったりもする
これをみせられては、はぁ、へぇ、としか言葉が出てこない。

アンモナイト

2012年07月10日 | 三角記事
さもないとアンモナイト

アントニオ猪木とアンモナイト猪木は、ちがう
安藤忠雄とアンモナイトウ忠雄は、ちがう
サンドバックとアンモナイトは、ちがう
インド人とアンモナイトは、ちがう
でもアンドレカンドレと井上陽水はおなじ

古生代の化石
あるときとつぜん絶滅してしまったという

帰ろう

2012年07月09日 | 三角記事
ぼくは帰ろう
帰ることにしよう
とりあえず

ぼくは歩こう
知ってゆくことを
やめないようにしよう

ぼくは見ていよう
口だしせず
終わりまで聴こう


ぼくは喋れるだろうか
じっさい、蓋をあけることができるのなら
どれくらいのことが
これのなかに入っているのだろうか

よっぱらいふたり

2012年07月08日 | 三角記事
今朝父にきいた、落語のマクラ

よっぱらい二人、ずいぶん長いこと飲んでいたのだろう、そうとう酔っぱらっている
ひとりが上機嫌に言った
「いやあ、今日はほんとうに月がきれいだなあ」
するともうひとりがびっくりして言った
「ばかっ、あれは太陽だよ」
「なんだって、おまえ酔っちゃったんじゃないのかい」
「何いうんだい、月と太陽くらい分別できるよ」
「でも、あれは月じゃないか」
「いいや、あれは太陽だよ」
「月だっ」
「太陽だっ」
ふと見ると、向かいから人が歩いてくる。
「らちがあかない。あの人に、あれは太陽か月か聞いてみようじゃないか」
「そうしよう。あのっ、もしもし」
「はい、なんですか」
「あれは太陽ですか、月ですか」
「ぼく…このへんの者じゃないからわかりません」


よっぱらいふたりで、よっぱらいをつれて帰ってきた。
いまは別れて、よっぱらいひとりずつ。

ぐちをいう人

2012年07月07日 | 三角記事
ひとの愚痴をきくのはつらい
でも、ひとと愚痴をいいあうのは楽しい

このちがいはなんなのだろう

気にしていないそぶりをしていても、無関心をよそおっていても
ぼくも陰口をたたきたいし、しったかぶりをしたいし、自分の楽になることを正しいことにして、相手を言い負かせたいのだ

くそっ! と思ったから帰りにビールをのんでやろうとして、コンビニへ寄った
初めてみるパッケージの、あたらしい発泡酒があった
アサヒ・レッドアイ、トマト果汁20パーセント という一風変わったものであった

予想を越えて、違和感がなかった。ピザに合うことうけおい。オススメします。

ハチモト氏

2012年07月06日 | 三角記事
手前みそなのだが、このまえ橋下市長がツイートしていたこと

市の財政ひっ迫を抑えこむために、補助金カット、助成金カット、いろんなところに出ていた「カネ」をどうにかこうにか「出さないように」することについて

「それを批判する前に、僕のように芸術素人をどう文楽ファンに巻き込むのかを考えるべきだ。文楽と言えば誰もが無条件に讃辞を送り、誰もが文楽ファンにならなければならないという甘えを捨てるべきだ。興味のなかった人をどうファンにさせるか。それが公演の原理原則である。」橋下徹 ‏@t_ishin 6月27日

ぼくにとって、この言葉はとても意味のあるものだった。補助金を出すことが当たり前になっているような、いわゆる文楽であるとか、それこそ抽象絵画の展覧会も、そうなのかもしれないのだが、
 伝統芸能、と呼ばれているものこそがいちばんうさんくさいもので、これを「残す」意味とは何なのだろうか。
 自らが「残ろう」としてこそ、あるいはそれと同時に他者からも「残っていてほしい」といわれて初めて「伝統芸能」といえるのではないか、と思う。

ズボンボンズー

2012年07月05日 | 三角記事
最近ここへきて、かなり面倒くさがりになっている
悪化している

朝起きて、外に出ることがなければ、服もそのまま、机に向かうようなそぶりを見せつつ
じつはなにもしていない

変なことをするより、なにもしていないほうがいさぎよい

そう思うようになってしまっては、末期である
じつに
悪化している。

アメリカの写真

2012年07月04日 | 三角記事
花をあげよう きみは …空をながめる
泣いてばかりね
花も 歌も なんにもしたくない

雲が流れていた アメリカの方へ


そばにきてよ あのね…
昔なくした花の指輪を 思い出していた ごめんね

あれはどこへ行った
アメリカ? なんとなく

かなしいもんか 泣きやむもんか

あれはたしかに行った
アメリカ? なんとなく