ハローマイフレンド!
こんにちは、俺だよ。
首を痛めてしまいまして痛いです。
結構痛いです。激痛というレヴェルです。
しかもその原因が、寝違えたとかならまだいいんですけど、
この上なくかっこ悪いんです。
いつもの通勤の満員電車。ベストポジションで本読んでたら、
急激に眠くなりやがった、俺の身体。
暫くすると、眠気はそれはもう、半端じゃなくなってきて、一回、後ろにガクン、ってなった。そしたら、音で表すなら“ピキッ”って感じの激痛が首に。そっからずっと痛い。
選手生命に関わるわよってアヤコに言われた。
今日の仕事中は、5時間は揉んだんだね、首を。
パソコンでレイアウト作りながらズーと揉んでた、首を。
もう少しでテクニシャンになれそうでした。
単行本がもう一冊きました。
まだ、今までやってたの終わってないのに…
ちょうど著者校正に出してるってだけなのに…
6月15日にぼおなすが出るみたいです。
賞与なんてかっこいい言葉を使ってもいい。
考課面接して、課長にぼおなすは大事に使ってくださいねって言われました。
言われなくても大事に使いますけどね。
なんか買おうかな、トーテムポールでも買おうかな。
『死ぬかと思った』って言う本を知ってますか?
本屋でたまたま見つけたんだけど、相当くだらなくて笑った。
買うほどのものじゃないような気もするけど、
出張行く時の新幹線で読むにはちょうどいいんじゃないか。
○○さんの猫って話を聞いた。
○○にはとても有名な量子力学者の名前が入るのだが、忘れた。
完全防音の、しかも外から中が見えない箱に猫を入れる。
その箱にはボタンが二つついている。
どちらかのボタンを押すと箱の中で毒ガスが噴射され、猫は死ぬ。
しかしもう一方のボタンを押すと何も起こらず、猫は死なない。
もちろんどちらのボタンが毒ガスのボタンなのかは分からない。
では、押してみましょう。
ぽち
はい、いま、この状態では、
中の猫が生きているのか、死んでいるのか分かりません。
ある量子力学の分野では、この様な状態の事を、
「猫は二分の一、死んでいる」と表す。
なんとも不可解な響きではないか。
「お前は既に死んでいる」ってくらい不可解な響き。
人間的な感情を一切排除した響きがしますね。
これも前に、いつかの日記に書いたんだけど、
インドのどっかの哲学では、“~が無い”って観念が無くって、
“無がある”って言うらしいからね。
なんとも面白い。
いや、表現の話なんですけどね。
なんか言いようによっては同じこと伝えるのにも
ありとあらゆる表現があるわけで。
一つのこというのにも変えようと思えば
どんなニュアンスをもそこに付け加える事ができるわけなんです。
エジソンは天才のことを、
「99パーセントの努力と、1パーセントの才能」
なんて言葉は使っていない。
実際は、
「99パーセントの発汗と1パーセントの閃き」
でしょ。
前者は単純に訳者の表現。
まあ、それを言ったらそもそも言語体系が全く違う言語同士で翻訳してるんだから、全く同一の表現なんてできるわけないんだけど。
洋楽の歌詞見てみると笑っちゃうよね、なんか。
なんで洋楽の帯についてる表現って、
「~なのさ」とか
「~だぜ」
みたいなのが多いのかね。
レディへのcreepとか訳まちがっとると思うよ。
ケミスツのCDについてた帯も笑った。
さっきのエジソンに戻るけど、
「この実験は失敗だ」って表現するのと、
「この材料ややり方では電気はつかないことが分かった」
って表現するかは好きにしていただいたらいいと思うんだけど、
俺は適切な表現を使える人間にならなくてはいけないみたい。
仕事で適切な表現を求められてるから。
内容面や難しいことを突っこんでもしょうがないんだけど、
表現のしかたは編集者だったら、
常にその文章に適切な表現を
つかっていかなければならないなと思ったんです。
何よりイイ表現使う人の文章は読んでておもしろいじゃん。
どうやったらなれるのか知らないけど。
で、読み返したら俺の今日の日記がマジでクソだったから、
どうしたもんかと。
とにかく、眠くなっていたので、纏めると、
俺は明日早起きするんだ。
こんにちは、俺だよ。
首を痛めてしまいまして痛いです。
結構痛いです。激痛というレヴェルです。
しかもその原因が、寝違えたとかならまだいいんですけど、
この上なくかっこ悪いんです。
いつもの通勤の満員電車。ベストポジションで本読んでたら、
急激に眠くなりやがった、俺の身体。
暫くすると、眠気はそれはもう、半端じゃなくなってきて、一回、後ろにガクン、ってなった。そしたら、音で表すなら“ピキッ”って感じの激痛が首に。そっからずっと痛い。
選手生命に関わるわよってアヤコに言われた。
今日の仕事中は、5時間は揉んだんだね、首を。
パソコンでレイアウト作りながらズーと揉んでた、首を。
もう少しでテクニシャンになれそうでした。
単行本がもう一冊きました。
まだ、今までやってたの終わってないのに…
ちょうど著者校正に出してるってだけなのに…
6月15日にぼおなすが出るみたいです。
賞与なんてかっこいい言葉を使ってもいい。
考課面接して、課長にぼおなすは大事に使ってくださいねって言われました。
言われなくても大事に使いますけどね。
なんか買おうかな、トーテムポールでも買おうかな。
『死ぬかと思った』って言う本を知ってますか?
本屋でたまたま見つけたんだけど、相当くだらなくて笑った。
買うほどのものじゃないような気もするけど、
出張行く時の新幹線で読むにはちょうどいいんじゃないか。
○○さんの猫って話を聞いた。
○○にはとても有名な量子力学者の名前が入るのだが、忘れた。
完全防音の、しかも外から中が見えない箱に猫を入れる。
その箱にはボタンが二つついている。
どちらかのボタンを押すと箱の中で毒ガスが噴射され、猫は死ぬ。
しかしもう一方のボタンを押すと何も起こらず、猫は死なない。
もちろんどちらのボタンが毒ガスのボタンなのかは分からない。
では、押してみましょう。
ぽち
はい、いま、この状態では、
中の猫が生きているのか、死んでいるのか分かりません。
ある量子力学の分野では、この様な状態の事を、
「猫は二分の一、死んでいる」と表す。
なんとも不可解な響きではないか。
「お前は既に死んでいる」ってくらい不可解な響き。
人間的な感情を一切排除した響きがしますね。
これも前に、いつかの日記に書いたんだけど、
インドのどっかの哲学では、“~が無い”って観念が無くって、
“無がある”って言うらしいからね。
なんとも面白い。
いや、表現の話なんですけどね。
なんか言いようによっては同じこと伝えるのにも
ありとあらゆる表現があるわけで。
一つのこというのにも変えようと思えば
どんなニュアンスをもそこに付け加える事ができるわけなんです。
エジソンは天才のことを、
「99パーセントの努力と、1パーセントの才能」
なんて言葉は使っていない。
実際は、
「99パーセントの発汗と1パーセントの閃き」
でしょ。
前者は単純に訳者の表現。
まあ、それを言ったらそもそも言語体系が全く違う言語同士で翻訳してるんだから、全く同一の表現なんてできるわけないんだけど。
洋楽の歌詞見てみると笑っちゃうよね、なんか。
なんで洋楽の帯についてる表現って、
「~なのさ」とか
「~だぜ」
みたいなのが多いのかね。
レディへのcreepとか訳まちがっとると思うよ。
ケミスツのCDについてた帯も笑った。
さっきのエジソンに戻るけど、
「この実験は失敗だ」って表現するのと、
「この材料ややり方では電気はつかないことが分かった」
って表現するかは好きにしていただいたらいいと思うんだけど、
俺は適切な表現を使える人間にならなくてはいけないみたい。
仕事で適切な表現を求められてるから。
内容面や難しいことを突っこんでもしょうがないんだけど、
表現のしかたは編集者だったら、
常にその文章に適切な表現を
つかっていかなければならないなと思ったんです。
何よりイイ表現使う人の文章は読んでておもしろいじゃん。
どうやったらなれるのか知らないけど。
で、読み返したら俺の今日の日記がマジでクソだったから、
どうしたもんかと。
とにかく、眠くなっていたので、纏めると、
俺は明日早起きするんだ。