私が大阪府立豊中高校に在学の時に、森川和歌と言う風雅なお名前の独身の先生がおられました。
戦前、女学校の国語の教師をしておられて、戦後の学制改革で、男子中学との合併の際に、女子生徒を連れて豊中高校に来られた先生です。
生徒に教えることを生きがいにされていた凛としたところがありながら温厚な先生ですが、亡くなられた時に、恵まれない生徒の学資を補助する基金としてご自分の遺産1億4千万円を豊中高校に寄付をされました。
現役の時も亡くなられた後も、生徒のことをいつも考えておられた私の豊高時代の尊敬する先生の一人です。
その森川先生が、私が高校3年生の1月、高校の授業も残すところあと1週間と言う時に
古典の最後の授業で皆にこんなアドバイスをされました。
「今更ジタバタしても仕方ありませんが、堀辰雄のかげろうの日記と言う本があります。
薄っぺらい本ですので一日あれば読めると思います。何かの役に立つかもしれませんから読まれたらどうでしょうか。」
理科系から文科系へのドロップアウトコースに入っていた私は、学校は休憩場所と考えていて、
授業を真面目に受けていないことでは定評があったのですが、
いい加減受験勉強に飽き飽きしていたところに森川先生がこんな勉強をさぼる口実を与えてくれたものですから、早速この本を買い求めました。
平安時代の蜻蛉日記を現代語訳した内容で、私の最も嫌いなジャンルの本で、
通常であれば最初の1ページを読んだ段階ですぐに書棚に入ってしまう類でしたが、
なぜか最後まで楽しんで読み切ってしまいました。・・・その2カ月後に大学の入試があったのですが、
国語の試験の時に配られた問題を見て震えました。堀辰雄のかげろうの日記が、そのまま出題されていたのです。
しかも、本を読んでいれば100%理解できる内容で、ここだけは100点の回答ができました。
森川先生にはすぐに報告しましたが、半年後に、先生とまたお話をする機会があった時に、先生が私にこう言いました。
「私はすべての生徒に同じことを言いました。
しかし私の話を聞いて実行したのはあなただけでした。
およそ授業をまともに聞いていないあなただけが、あの本を読んで合格したことで、皆の中に不公平感がひろがっています。」
ちなみに私はその出題のところの配点は30点ぐらいだろうと思っていましたので、あの本を読んでいなければ半分ぐらいしか正解できなかっただろうと考えていました。
そのためもし私が合格した点が最低点よりも15点以上であれば、私の実力で合格したことになるし、それより下であれば、森川先生のおかげだろうと考えていました。
後日、大学の事務局に合格の時の私の得点を聞きに行きましたが、私の得点は最低点より14点上でした。
(合格者200人の中で順位は真ん中ぐらいでしたから、いかにボーダーのところに受験生が集まっていたかが分かります)
つまり、あの本を読んでいなければ、私はどん尻で合格していたか、1点差で落ちて、2期校に行っていたかのどちらかだったと言うことになります。
どちらが人生に良い結果だったかは、人間万事塞翁が馬で分かりませんが、森川先生のお勧めの本が私の運命を変えた本であったことは間違いないと思います。