歴史の局面ではそれぞれの人は皆重要な役割を果たしていて、人によって誰が偉いかと言うのはいろいろだね。だけど、お父さんの主観で日本の偉人3傑を選ぶとすると次の3人だね。
■聖徳太子:
歴史の教科書では遣隋使を送ったとか17条の憲法を作ったとか、冠位12階を作ったと言う記載があるが、何か分からないけど、お札の表に刷られていたりして偉い人らしいと言うことは分かるだろう。お父さんが聖徳太子を選ぶ理由は、この人が日本人の考え方・文化を決めたと言うことかな。当時の先進国の中国から何を学んで、何を学ばないかと言うことを決めたり、中央官庁のあるべき姿を憲法として皆に徹底し、家柄でなく、実力で冠位をきめたりと言う、自分の欲得ではなく、日本のために何が良いかを考えて制度を作ったところだろうな。お隣の韓国も同じように中国から各種の制度を学んだが、中国の制度をそのまま移入して纏足や科挙や宦官だけでなく、中国の考え方もそのまま入れてしまったからね、どうしても中国と同じように、上に立つものは下の民を搾取するような文化になってしまったが、韓国の不幸は、聖徳太子のような人がいなかったからかもしれないね。
■織田信長:
日本の経営者が選ぶ偉人は織田信長か徳川家康のどちらかと言われるが、お父さんは織田信長だろうな。この人は徹底的に合理主義を貫いたし、宗教に関しては全く政治とは分離して考える頭があったからね。比叡山の焼き討ちで当時から残酷無情と言う評価が多いけど、考えとしてはキリストと同じなんだ「宗教は心のもの」と言うところだね。キリストはそれを愛で説明しようとしたが、信長は力で説明しようとした違いだろうね。下手をするとばらばらで宗教国家がいくつかできてしまう可能性すらあった日本を一つにまとめ上げたからね。その後の封建体制につないで、江戸時代の武士道と言う日本人の考え方を醸造するお膳立てをした功績かな。織田信長がいなければ、日本の明治維新はスムーズにいかないで、もっとややこしいことになっていたかもしれないね。
■大久保利通:
西郷隆盛や木戸孝允と共に明治維新の3傑と呼ばれているね。江戸時代から明治になった一番の混乱期に、あらゆる困難を排して日本の制度を整えた人だよ。
私財を蓄えず、必要だが予算のつかなかった公共事業に、個人的な借金をしてまで後の世の日本のためになることをした。だから亡くなった時は、資産よりも借金の方がはるかに多かったから遺族は大変な苦労をしたと言う話しだ。この人がいなければ、明治の初めの日本はもっと混乱をしていただろうし、たぶん情実に流れされた決定をして明治の日本は今とはもっと違うことになっていたろうね。後に権力者になった伊藤博文が貴族の位を決める時は自分よりも大久保利通の遺族の方を上にしたぐらいだから、当時の人も大久保利通の功績を高く評価していたということだろう。西南戦争で亡くなった西郷隆盛が情に厚い人だったのと比較して、非情の人だと言われることもあるが、それはそうではない。困難な時に理性で判断すると言うのは非常に勇気のいることなんだ。
お父さんが選んだこれらの日本の歴史の3人の偉い人は、皆、日本が一番困難な時期に、自分の欲得ではなく、勇気をもって理性で判断し、合理主義を貫いて日本の将来を正しい方向に決めた人達だね。
合理主義と言うと、「こちらが合理的だ、と言って横着をし、楽な方策を採用する。」と言うとらえ方をする人もいるが、これは反対だ。合理主義を貫くことは非常に困難なことなんだ。松下幸之助が経営の極意は「雨が降ったら傘をさす。」と言ったそうだが、実際の経営でもこんな単純な合理的なことができないのが実状なんだ。情が絡んだり、自分の欲得がからむと合理的にできないのが人の世なんだよ。合理主義で考えることは勇気が必要なことなんだ。
■聖徳太子:
歴史の教科書では遣隋使を送ったとか17条の憲法を作ったとか、冠位12階を作ったと言う記載があるが、何か分からないけど、お札の表に刷られていたりして偉い人らしいと言うことは分かるだろう。お父さんが聖徳太子を選ぶ理由は、この人が日本人の考え方・文化を決めたと言うことかな。当時の先進国の中国から何を学んで、何を学ばないかと言うことを決めたり、中央官庁のあるべき姿を憲法として皆に徹底し、家柄でなく、実力で冠位をきめたりと言う、自分の欲得ではなく、日本のために何が良いかを考えて制度を作ったところだろうな。お隣の韓国も同じように中国から各種の制度を学んだが、中国の制度をそのまま移入して纏足や科挙や宦官だけでなく、中国の考え方もそのまま入れてしまったからね、どうしても中国と同じように、上に立つものは下の民を搾取するような文化になってしまったが、韓国の不幸は、聖徳太子のような人がいなかったからかもしれないね。
■織田信長:
日本の経営者が選ぶ偉人は織田信長か徳川家康のどちらかと言われるが、お父さんは織田信長だろうな。この人は徹底的に合理主義を貫いたし、宗教に関しては全く政治とは分離して考える頭があったからね。比叡山の焼き討ちで当時から残酷無情と言う評価が多いけど、考えとしてはキリストと同じなんだ「宗教は心のもの」と言うところだね。キリストはそれを愛で説明しようとしたが、信長は力で説明しようとした違いだろうね。下手をするとばらばらで宗教国家がいくつかできてしまう可能性すらあった日本を一つにまとめ上げたからね。その後の封建体制につないで、江戸時代の武士道と言う日本人の考え方を醸造するお膳立てをした功績かな。織田信長がいなければ、日本の明治維新はスムーズにいかないで、もっとややこしいことになっていたかもしれないね。
■大久保利通:
西郷隆盛や木戸孝允と共に明治維新の3傑と呼ばれているね。江戸時代から明治になった一番の混乱期に、あらゆる困難を排して日本の制度を整えた人だよ。
私財を蓄えず、必要だが予算のつかなかった公共事業に、個人的な借金をしてまで後の世の日本のためになることをした。だから亡くなった時は、資産よりも借金の方がはるかに多かったから遺族は大変な苦労をしたと言う話しだ。この人がいなければ、明治の初めの日本はもっと混乱をしていただろうし、たぶん情実に流れされた決定をして明治の日本は今とはもっと違うことになっていたろうね。後に権力者になった伊藤博文が貴族の位を決める時は自分よりも大久保利通の遺族の方を上にしたぐらいだから、当時の人も大久保利通の功績を高く評価していたということだろう。西南戦争で亡くなった西郷隆盛が情に厚い人だったのと比較して、非情の人だと言われることもあるが、それはそうではない。困難な時に理性で判断すると言うのは非常に勇気のいることなんだ。
お父さんが選んだこれらの日本の歴史の3人の偉い人は、皆、日本が一番困難な時期に、自分の欲得ではなく、勇気をもって理性で判断し、合理主義を貫いて日本の将来を正しい方向に決めた人達だね。
合理主義と言うと、「こちらが合理的だ、と言って横着をし、楽な方策を採用する。」と言うとらえ方をする人もいるが、これは反対だ。合理主義を貫くことは非常に困難なことなんだ。松下幸之助が経営の極意は「雨が降ったら傘をさす。」と言ったそうだが、実際の経営でもこんな単純な合理的なことができないのが実状なんだ。情が絡んだり、自分の欲得がからむと合理的にできないのが人の世なんだよ。合理主義で考えることは勇気が必要なことなんだ。