歌舞伎座の「猿若祭二月大歌舞伎」初日の昼の部を観てきた。費用は2人で12,000円、座席はいつもの3階のA席。前から5列目。見える範囲でほぼ満席だった。客は圧倒的におばさま方が多かった。1時開演、3時50分終演。
この猿若祭とは初世猿若勘三郎が江戸で初めて歌舞伎を始めた伝説を記念する興行。昭和51年を最初に折節開かれ、今回が5度目。初世勘三郎は江戸で初めて幕府の許可を得て櫓をあげ猿若座(後の中村座)を作った。猿若勘三郎はその後中村勘三郎を襲名し中村勘三郎家の祖となる。江戸歌舞伎発祥のいわれを踊る「猿若江戸の初櫓」が上演演目にあるがこれは夜の部なので今回は観れなかった。そして今回の猿若祭は2012年に57才の若さで亡くなった十八世中村勘三郎十三回忌追善でもある。
初日の今日は開場前に劇場正面玄関前で公演の開幕を告げる「一番太鼓の儀」が行われ、中村勘九郎が挨拶することになっていたが、歌舞伎座到着が時間に間に合わず観れなかった。
一、新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)野崎村(1時間15分)
久作娘お光:鶴松(28、中村屋)
丁稚久松:七之助
百姓久作:彌十郎
油屋娘お染:児太郎(30、成駒屋、中村福助息子)
後家お常:東蔵
この演目はいわゆる男女の心中もの。油屋の一人娘のお染と手代の久松(ひさまつ)との心中事件は実話で、当時かなり話題になり、これを題材にした作品がいくつも作られた。これはその代表作。ただ今日見取り上演される野崎村の中では心中場面はない。
タイトルの「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」の「祭文」というのは、その名の通り「お祭りの文句」。神社での祈祷の際の祝詞(のりと)の一種。独特の節回しだったので、この節に合わせてセリフを付けていろいろ歌ってあるく芸能が発達し、これを「歌祭文」と言った。主に語られたのが、男女の情事や心中を語る内容だった。この「お染久松」の心中もこの「歌祭文」のネタになっていた、という下地をもとに、この作品は書かれた。今までの歌祭文の内容や、歌舞伎や浄瑠璃の先行作品を基にしながら、新しい設定や展開も盛り込み、より完成度を上げたため、「新版」とついている。
この演目に興味を持ったのは今日上演される野崎村という幕の名前のためだ。私の好きな宮尾登美子著「きのね」は第十一代市川團十郎をモデルにした小説で、その團十郎に嫁いだのは女中上がりの光乃だ。光乃が初めて女中として團十郎家に採用された際、まわりのものから光乃だから「お光」であり、お光とは歌舞伎の世界では野崎村にでてくる「お光」のこと、その過程を省いて「野崎村」と呼ばれたのだ。初めてこの小説を読んだとき、その野崎村の意味をわからずに読んでいたが、あとで歌舞伎演目の野崎村と知ったため、いつか観たいと思っていた。文楽の野崎村はテレビで観たことがあるが歌舞伎は今回が初めてである。
野崎村の百姓久作の家では娘お光と養子の久松との祝言を控え、うれしさを隠しきれないお光が婚礼の準備に勤しむ。そこへ訪ねてきたのは、久松が奉公する油屋の娘お染。実はかねてより久松とお染は恋仲で、一緒になれないのならば心中しようと誓い合っていた。そんな二人の覚悟を知ったお光は身を引く決意をするという悲恋。
せっかくお光が身を引いたにもかかわらず、お染と久松は結局最後に心中する(野崎村の幕ではお光が身を引くところで終るのでそこまでわからない)。いったいどうなっているの、と言う感想を持った。これではお光があまりにかわいそうではないかと思った。
お光は中村勘三郎が得意としていた演目だ。そのお光を今回演じた中村鶴松は一般家庭から歌舞伎界入りした異色の存在で、精進を重ねた結果、今では中村勘三郎家の三男と言われるまでになり、今回の猿若祭の野崎村では主役に抜擢された。すごいものだ、まだ28才だ。今日の演技も立派なものだった。てっきりお光は七之助が演じているものと思っていたが、鶴松だったので驚いた。また、七之助が立役を演じているのは初めて観た。
二、釣女(つりおんな)河竹黙阿弥 作(30分)
太郎冠者:獅童
大名某:萬太郎(34、萬屋、時蔵息子)
上臈:新悟
醜女:芝翫
三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)三世河竹新七 作(2時間)
(序幕吉原仲之町見染の場より大詰立花屋二階の場まで)
佐野次郎左衛門:勘九郎
兵庫屋八ツ橋:七之助
兵庫屋九重:児太郎
下男治六:橋之助
兵庫屋七越:芝のぶ
兵庫屋初菊:鶴松
遣手お辰:歌女之丞
女中お咲:梅花
若い者与助:吉之丞
絹商人丈助:桂三
絹商人丹兵衛:片岡亀蔵
釣鐘権八:松緑
立花屋女房おきつ:時蔵
立花屋長兵衛:歌六
繁山栄之丞:仁左衛門
「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は勘三郎の当たり役の一つ、江戸時代中期、享保年間に吉原で実際に起きた衝撃的な事件を劇化した作品。十八世勘三郎が襲名披露狂言でも演じた。佐野次郎左衛門を初役で務めるのは勘九郎。下野国佐野の絹商人で、江戸で見かけた花魁、八ツ橋の美貌に魂を奪われる。次郎左衛門は、江戸に来るたびに八ツ橋のもとへと通い、遂には身請け話も出始めるが、八ツ橋には繁山栄之丞という情夫がいて、ある日、次郎左衛門は八ツ橋から突然、満座の前で愛想尽かしをされる。打ちひしがれて国許へ帰り、数カ月後、再び吉原に現れた次郎左衛門がやったことは・・・・
八ツ橋は初役で七之助が務める。
籠釣瓶とは刀の名前、この刀は籠で作った釣瓶のように「水も溜まらぬ切れ味」で一度抜くと血を見ないではおかない、という因縁のある妖刀村正。花街とは吉原のこと、そして酔醒とは酒の酔いを冷ますこと、酔いが冷めるようなことが起ったという意味か。
この演目は一度歌舞伎座で観たことがある。人気がある演目なので何回も上演されているのだろう。その時の佐野次郎左衛門は確か中村吉右衛門が演じていたと思う。吉右衛門の得意な演目だったが勘三郎も得意としていたようだ。
演技時間が2時間と長いが、その長さを感じさせない面白さがあった。ストーリー自体がわかりやすいし、途中、場面転換が4、5回あり、観ている人を飽きさせない工夫があり、また出演者も豪華メンバーだったからか。その中でも最初の場面は吉原の街の華やかさ、花魁道中の絢爛豪華さが充分でていて次郎左衛門でなくても充分刺激的な印象を受ける。イヤホンガイドで、廓(遊郭)というのはその街を取り囲んでいる壁を言い、花魁が逃げ出させないようにするために設置しているものだ、との解説があったのがリアルに感じた。
勘九郎の次郎左衛門は父勘三郎に匹敵するような必死な演技ぶりだった、七之助の八ツ橋や妖艶であった。兄弟でこの演目の主役を演じているのを観て勘三郎もさぞかし喜んでいることだろう。
さて、今日の幕間の食事は歌舞伎観劇時の食事の定番、銀座三越の地下の日本橋弁松総本店の弁当にした。並六赤飯弁当(1,500円だったか)。弁松と言う店は以前には歌舞伎座前に木挽町辨松という店もあった。のれん分けかどうかはわからないが、日本橋弁松と同じような弁当を売っていたがコロナが発生した後、閉店したようだ。いずれも味付けの濃いおかずでご飯が進むように料理されているのでおいしい。
その三越の地下の弁当売場にまた京都祇園新地の鯖寿司で有名な「いづう」が出店していたので、思わず鯖寿司1人前2,980円を買って夕食で食べた。臨時で出店しているようだが、結構人気があるので出店回数も増えているのか。お金持ちそうな奥様方が列をなして買い求めていた。
歌舞伎観劇に来るときはいつも同じような席をとり、同じように三越で弁当を買い、松屋の地下でスイーツを買い(いつもは「茂助だんご」、今日は省略)、「いづう」の鯖寿司があれば買って帰る。このワンパターンだが、それが良いのである。