旧白洲邸の「武相荘」を訪問した、1,500円、小田急線の鶴川駅から徒歩15分、帰りはバスを使った
武相荘(ぶあいそう)は、東京都町田市にある白洲次郎(1902-1985)・正子(1910-1998)夫妻の旧邸宅で2001年より「旧白洲邸・武相荘」として、記念館・資料館として一般公開されている
館長は白洲夫妻の長女・牧山桂子氏、武相荘の名の由来は、白洲次郎のユーモアから「武蔵の国と相模の国の境に位置する」ことと「無愛想」を掛けたもので、敷地面積は約2,000坪ある、1942年(昭和17年)に白洲夫妻が当時の東京府南多摩郡鶴川村の農家を購入した事に始まる
館長の牧山氏はホームページの中で、「家に居るよりも、それぞれ別々に外を駆け巡ることのほうが多かった父・次郎と母・正子ですが、晩年はこの武相荘で二人は静かに暮らしておりました。 父はガレージで大工仕事に励み、母は書斎で読書をする。ごく親しい人とだけ付き合い、静かで平和な暮らしを楽しんでおりました。
二人の趣味(hobby)は異なっているように見えますが、趣味(taste)は多分に共通していたと思います。二人のhobbyとtasteとを遺愛の品々から、見て取って頂ければ幸いです。」と述べている
入場料を払って立派な門をくぐると武相荘の屋敷がすぐに見えてくる、建屋はミュージアム(記念館)とレストランが一つの家屋になっており、それとは別にカフェとBar&gallery”Play Fast”がある
ミュージアムの建屋に入るときは備え付けのビニール靴カバーを付ける、順路に従って各部屋を見学した、館内は写真撮影禁止、最初の受付がある部屋には白洲夫妻の愛した陶磁器などが置いてある、次の部屋には白洲の書簡などを展示、その奥の部屋は書斎になっており多くの蔵書が収納されていた、書斎の机は掘りごたつ式になっていた、どんな本を読んでいたのか興味があるのでじっくりと見ると、古今東西のいわゆる名著と呼ばれる本が多かった
次の部屋にはやはり陶磁器が、その反対側の部屋には正子が着ていたイブサンローランのオートクチュールが何着か展示してあった
確か一番最初の部屋にサンフランシスコ講和条約締結の時の吉田首相の演説に関する書簡が展示してあり、その中に「演説の2日前にGHQと外務省の作った原稿が白洲に回ってきて読んでみると、独立できたことに感謝・感謝とそればかり書いてあり、独立国としての誇りを示す内容になっていない、また、返還されなかった沖縄のことなどが書かれていないことを知り、激怒し、書き直させたと出ていた
これを読むと、役人は今も昔も日本人の名誉を軽んじ、戦勝国に媚びへつらう卑屈な精神的態度の保有者であることがわかる、例えば、安倍内閣「戦後70年談話」では、「我々は国策を誤りました、戦後無事に復員し復興できたのは戦勝国らの支援のおかげであり感謝・感謝・・・」と当時と何ら変わらない精神的態度で読むに堪えない、次郎がこの談話を読んだら激怒するでしょう
ミュージアム見学の後、敷地内に散策路があるので歩いてみようと思ったところ、ミュージアムの方が、「今年はまだ椿が咲いていません」と残念そうに教えてくれた、でもせっかくなのでゆっくり歩いて順路に従い一周した、冬には冬の「枯れた」良さがあると思った
そして、最後にBar&gallery”Plya Fast”が目に入ったので見ていこうと思い、階段を上がって中に入ってみた、そこは小さなバーとなっており、テーブルと奥にバーカウンターがあった、窓には上品なステンドガラスがはめてあり良い雰囲気だった
Play Fastとはゴルフのこと、展示品には次郎によるゴルフの教えが箇条書きがあった、バックスイングはゆっくり上げろ、右足は動かすな、トップでとめろ、ダウンは腰から動かせ、強振するな、だったか、今でも通じる良いアドバイスだと思った
楽しめました、これを機に白洲夫妻のことを勉強してみたいと思った