(承前)
本書にはいろいろ啓発されたことが多かったが、一方、これは如何なものか、と感じた点も少なくなかった。その一部について述べたい。
- 本書を読んだ印象としては籾井氏に対する個人的批判がことさら強調されているように思う。コーポレートガバナンスの専門家として籾井氏の発言に腹が立つことが多かったのはわかるが、感情的になりすぎているようにも感じる。ここまで執拗に個人攻撃とも言える非難をするの如何なものか。
- もし、籾井氏の発言が教授の言うとおり大問題だとしたら、経営委員として籾井氏を解任すべきであるが、それはできなかった。経営委員全体としては解任するほどではないと見ていたのだろう。日頃、学生を相手にガバナンスはこうあるべきと教えていた教授をしても実世界では妥協を強いられた。自分はこれだけのことはやったんだ、という言い訳として本書を出したのではないか、とも感じる。
- 更に、教授の批判の矛先は籾井氏を会長に押し込んだ安倍政権の政策に及び、かなりの紙数を費やして批判をしてるのは如何なものか。その批判も自身の専門分野ならまだしも、安全保障政策や憲法の問題にまで言及しているのは法学部教授としては行き過ぎではないか。結局、言いたいのはこっちの方か、とも思える。本書は学術論文でもないので、政権批判も良いだろうが、そんなことは会社法等の権威で知性ある上村教授のやることでは無く、朝日新聞などにまかせておけば良いことではないか。
- 教授は反知性主義を、知性の無い人の主張という意味で使っているようだ。反知性主義とは学問論に言う「知的誠実」を欠く姿勢であると書かれている。また、教授が引用している元外交官の佐藤優氏の同様なコメントをしている。だが、反知性主義とは、知性は尊重するが、知性だけでは解決できないこともあるので、知性だけを頼り物事を決めていくことに懐疑的な考えを言うのではないか。また、「知性と権力の結びつきを監視する考え」とも指摘されている。
(その3)に続く
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