ゆっくり行きましょう

好きなことじっくり楽しむシニア

国立西洋美術館常設展にまた行く

2024年09月20日 | 美術館・博物館

都心に出かけて、細切れ時間ができたので、西洋美術館の常設展を観ようと思って、行ってみた、入場料は65才以上で無料、企画展は開催していない期間だからか、結構混んでいた

時間が限られていたので、順路の前半の宗教絵画的なものはパスして、印象派以降の絵画を中心に鑑賞した、ここは一部を除き写真撮影OKである

今日観た中で良いなと思った絵からいくつか紹介したい


ジャン=ジャック・エンネル、ノエツラン婦人の肖像、制作年不詳、背景の色彩のコントラストが素晴らしい


ベルト・モリゾ、黒いドレスの女性(観劇前)、1875年、モリゾは印象派の女性画家、マネの絵のモデルになっている、オペラ鑑賞に行く前の華やかに着飾る女性


カミーユ・ピサロ、立ち話、1881年頃、明るい色調と斜めの垣根が特徴、新しい農村のイメージを出している


モネ、しゃくやくの花園、1887年、木々の緑と赤い花のコントラストが素晴らしい


ブールデル、瀕死のケンタウロス、1911-14、画家であった清水多嘉示に衝撃を与えたブールデルの作品


ルノワール、木かげ、1880年頃、人物画がが多いと思っていたルノアールの風景画、まだ印象派に別れを告げる前の作品


モネ、波立つプールヴィルの海、1897年


マックス・エルンスト、石化した森、1927年、コラージュ作品が有名な作家、福沢一郎に影響を与えたと「日本の近代美術」(岩波文庫)に出ていた、先日訪問した国立近代美術館ではエルンストの新収蔵作品を紹介していた


ポール・セリュジエ、森の中の4人のブルターニュの少女(写真左)、1892年、色彩がすぐ横に展示したあったゴーガンの絵(海辺に立つブルターニュの少女たち、1889年、写真右)と同じだと思った


ボナール、働く人々、1916-20年頃、名高い画家の邸宅の玄関を飾る絵画、上空の雲が雷雲みたいだ、ベニスのような景色でもある


アンリ・ルバスク、窓、1923年、マチスの絵かと思った、色彩のコントラストのすばらしさ、Wikipediaによれば彼はポスト印象派でナビ派の影響も受けたという、ボナールとも親しかった

楽しめました、また来ます


映画「タイムリミット見知らぬ影」を観る

2024年09月19日 | 映画

映画「タイムリミット見知らぬ影」をアマゾンプライムで観た、2018年、109分、ドイツ、監督クリスチャン・アルバート、原題Steig. Nicht. Aus!(外に出るな!)

久しぶりにドイツ映画を観てみようと思ってアマゾンプライムで探したら、いくつか興味が持てそうな映画があり、そのうちの一つを選択した、アクション・サスペンス・ドラマとなっている

ベルリンの不動産会社で大規模な建築プロジェクトに携わるやり手のカール(ボータン・ビルケ・メーリング、1967年)は、仕事熱心なあまり、妻ジモーネとうまくいっていない、実は妻は浮気をしていた、ある月曜日の朝、父親に関心を示そうとしない娘と息子を車に乗せて学校に送り届けようとしている最中に、正体不明の男からの脅迫電話を受ける

男はカールたちが座席を離れると爆発する爆弾を座席下に仕掛けたと言い、巨額の金を支払うよう要求してくる。同じ犯人に脅迫された上司夫妻が男の指示に従わずに車を降りて車が爆発して殺されるところを見たカールは、やむを得ず要求に従おうとする

爆発の際に破片を浴びて息子が重傷を負い、病院に運ぶために必死に車を運転していると、妻の浮気相手から、「貯金を全部降ろせ」などのカールのおかしな言動を警察に通報され、警察に追跡される羽目に、そして、ついにカールが上司への不満のため車を爆破して殺害し、不仲の妻への復讐のため子どもたちを人質にとり、破れかぶれの行動に走っていると決め付けられ、パトカー包囲されてしまうと・・・

映画を観た感想を述べよう

  • 最初のうちは、朝、子供を乗せて学校まで運転してるとき、突然、爆弾が仕掛けられていると知り、それを信じて必死に犯人が要求する金を調達すべく奮闘するという、あまり現実には有り得ない設定で面白くないな、と思っていたが、だんだんと物語が進んでいくにしたがって面白くなってきて、最後の最後までハラハラするうまい映画だと思った
  • カールは、巨額の金を払えと爆弾で脅迫される言わば被害者なのに会社の上司に逆恨みして爆殺した犯人にされるという逆転が生じ、話が面白くなってくる

  • カールは仕事熱心なあまり家族を顧みず、妻や息子と不和となるが、車の中に長い時間座ったまま犯人の要求に答えなければならないカールと子供二人が、息子のけが、父の必死の犯人との交渉と息子を助けるべく奮闘する姿を見た子供たちの心の変化、そして警察が父を犯人と誤解し、射殺さえしかねない状況を理解した時に娘が取った行動、だんだんと家族愛が復活していく様子がうまく描かれていたと思った
  • 警察の通常の捜査官たちと指揮命令系統が別の爆発物処理班との確執、主導権争いが物語を面白くしている、ドラッヘ警部がカールを犯人と決めつけ、抵抗すれば射殺しかねない勢いのところ、爆弾処理班のツァッハが冷静に事態を把握して、もしかしたらカールは脅迫されているかもしれないと判断したところあたりが、「そうだ」と応援したくなる筋書きのうまさがあった
  • 最後にカールと共に死ぬ覚悟をした犯人が車に乗り込んできて、爆発までの間の束の間の会話があるが、そこでカールは自分の強引な仕事の進め方を詫び、犯人に同情を寄せる、そして爆発の間一髪で彼が取った行動が・・・、とてもとっさには思いつかない通常は有り得えない方法だが映画だからそこは許されるでしょう

  • この映画は強引な地上げによる大規模不動産開発を批判する意味もあるのだろう、犯人はその犠牲者だ、犠牲者が復讐のため開発担当者であったカールの家族に同じ苦しみを味わせるための犯行だ、カールも最後は犯人に謝罪する
  • 事件がすべて終わった後、警察の取り調べが終わってカールが建物から出てくるところに家族3人が出迎えに行く、そこでまずは子供2人と抱き合い、最後に妻と無言で抱き合う、その姿を子供二人が嬉しそうに眺めている・・・この終わり方に少し違和感を抱いた、妻の浮気は自分のせいで自分が悪かった、だから浮気も許す、ということでしょうが、カールからも妻から何も言葉がなかったのが何かしっくりと行かなかった、私だったら妻を許せるかな・・・

楽しめたドイツ映画でした

 


土方定一「日本の近代美術」を読む(2/2)

2024年09月18日 | 読書

(承前)

9、社会思想と造形

  • 大正期の後半になると、フォービズムの造形思考、プロレタリア美術協会の影響により印象派や後期印象派の運動は退場させられた、背後には大正期の思想的、政治的性格が反映している、大正デモクラシーの背後には無政府主義とマルクス主義の思想的な底流があった
  • 日本近代の美術史とアナーキズムとの直接的関係として「平民新聞」の挿絵を描いた小川芋銭、百福百穂、竹久夢二がいる

10、二十世紀の近代美術

一、日本におけるフォービズム

  • 昭和初期にはじまる日本におけるフォービズムの性格が、1920年代のエコール・ド・パリの性格を共有したものであった、その典型的な例が佐伯祐三であった
  • フォービズムの造形思考はこの時期以降、日本の美術界を大きく支配した、安井曾太郎の安井様式もフォービズムとの折衷様式
  • 藤田嗣治は誰の亜流にも、折衷派になることも軽蔑し、個性の主張だけが存在理由となる世界に飛び込んだ

二、日本におけるシュルレアリスム

  • 日本における超現実主義は、エルンストのコラージュに刺激を受けて帰国した福沢一郎によって広範な影響を与えた
  • その後、靉光、北脇昇、松本俊介、桂ユキ子などが続く
  • 松本俊介は権力を持つ文化破壊者として威嚇しつつ立ちはだかる軍部ファシズムに対して、人間と芸術の名のもとに「生きている画家」として抗議した

11、戦後

  • 戦前の遠近法、写実主義の近代美術から離れ、戦後は思想の造形的表現、パウル・クレーが言う「絵画は窓から見たようなものではなく、眼に見えないものを見えるようにする」芸術であるとする内向的な時代になった
  • 戦後の現代美術は、戦前の作家たちが成熟度を加えながら、それぞれの性格・様式を持つ作品を発表しつづけ、他方、内向的な自己の経験を多様に実験的に制作しつづけている二つの層に分裂していると言ってよい

土方氏の本書を読んで感じたことなどを記したい

  • 美術館に行って日本人画家のいろんな作品を見てきたが、それぞれの作家の日本美術史における位置づけなどがよくわかって、大変参考になった
  • 土方氏はどうも官展など官製のものあまり評価していないようだ、黒田清輝に対する批判や戦時中の戦争絵画の批判、大正期のマルクス主義やアナーキズムに対するシンパシーを感じさせる説明などにそれが表れている、私はそのような考えには賛同しないが、氏の考えも一つの見方として尊重したい
  • 美術界も人の集まりである以上、いろんなグループができては対立し、解消し、また新しいグループができる、ということを繰り返している世界だということがわかった、例えば、洋画と日本画、官展と在野展、その他いろいろんな流派
  • 本書の本筋には関係ないが、氏も「後期印象派」という用語を使っているのが気になった、英語ではPost-Impressionismであり、直訳すれば「印象派後」であり、印象派ではないのに印象派のような訳をするのはおかしいと思う、「ポスト印象派」とでも訳すべきか

明治以降の日本の美術界のことを概観したい人には良い本だと思った

(完)

 


土方定一「日本の近代美術」を読む(1/2)

2024年09月17日 | 読書

土方定一著「日本の近代美術」(岩波文庫)を読んだ、オリジナルは1966年刊、この本はその改訂版で2010年刊、画家の人名索引があるのがうれしい、280ページの本なのでそれほどのボリュームではないが、内容的には非常に充実しており、読むのが大変だった

本書の要約をまとめるのは難しいが、各章で赤線を引いた部分から一部を抜き出してみると以下の通りとなった

序章

  • 近代日本の洋画史の展開は、フランスに生起する流派の「性急な」移植の歴史である
  • 自国の伝統美術にない洋画の遠近法や写実主義の迫真性を感じた
  • 性急な移植の「浅はかさ」と格闘した多くのすぐれた画家がおり、これにより近代日本の洋画の歴史が展開された
  • 一方で、フランス美術と日本浮世絵との美術交流があった
  • 洋画は伝統的な日本画と対立、抗争する関係になった

1、伝統美術と近代美術

  • 江戸中期以降、長崎を通じてオランダの近代絵画を見て写実、遠近法などを学んだ

2、初期洋画のプリミティズム

  • 高橋由一は明治にはじまる洋画家の最初の人となった
  • イタリア人のフォンタネージは工部美術学校教授として近代風景画を教えた

3、岡倉天心と民族主義的浪漫主義

  • 美術の研究者、アマチュア画家でもあったフェノロサは東大文学部の御雇教師になり、洋画と比較して東洋画の優越を主張した
  • フェノロサの地盤を受けつぎ、近代日本画の精神的指導者になったのが岡倉天心、日本美術の伝統的性格に写実を加えることで近代化しようとした

4、黒田清輝と外光派

  • 森鴎外が嘆く我が国の洋画の「性急な交代」が黒田清輝によってなされた
  • 黒田と白馬会系の作家が洋画界の支配的、というか独裁的潮流になり、それがその後の近代日本の美術の発展を歪め停滞させることになった
  • その中で藤島武二は剛毅に自己の性格を展開し、青木繁は浪漫主義的心情の作品を描いた

5、日本画の中の近代

  • 菱田春草、横山大観は伝統の中に西洋画法を積極的に採用した

6、近代と造形

  • 若い作家が印象派を携えて次々と帰国、そして反官展、在野の二科会ができた
  • 安井曾太郎の折衷的画法、色彩家の梅原龍三郎、東洋的浪漫主義的心情の造形に託した叙情詩人の坂本繫二郎、岸田劉生、小出楢重、萬鉄五郎らが出た

7、日本画の近代の展開

  • 大正期の大観、観山たちの苦闘に共感し、触発されつつ成長した次世代の日本画家が色彩の画家今村紫紅、デッサンの安田靭彦である
  • そのほか、日本画の中の外光派の小林古径、精密な写実主義の速水御舟、伝統的なものを近代造形の中に濾過した土田麦僊、神秘的な芸術感に到達した村上華岳らがでた

8、近代日本の彫刻

  • 荻原守衛はロダンの作品に感動し、ロダンに教えを受け帰国し、「文覚」などの作品を文展に出品して若い彫刻家に革命的刺激と影響を与えた、日本の近代彫刻の最初の標識を立てた
  • 荻原守衛と並んでロダンに対する深い理解に基づいて近代彫刻を主張したのは高村光雲の長男、高村光太郎だ
  • 清水多嘉示は画家になろうとしてパリに赴き、ブールデルの彫刻作品を見て感動し、ブールデルに長くつき、ブールデルの造形骨格と思考をよく伝える作家となった

(続く)


日本シニアオープンゴルフ2024を観戦

2024年09月16日 | その他いろいろ

9月12日から4日間、千葉県野田市の千葉カントリー倶楽部川間コースで日本シニアオープンゴルフが開催されたので、その予選ラウンドを観戦してきた、シニアトーナメントを観戦するのは初めて、若いころゴルフに熱中し、テレビでよく見た選手たちがシニアになってもなお活躍しているのを見るのはうれしい

コースに到着したのは午前8時ちょっと前、平日なのに多くのギャラリーが来ていた、東京から電車でも行けるからか、天気は晴れ、最高気温は35度の予想、紫外線防止クリームを塗り、日傘と水筒を持ってきた、夏場の観戦必須アイテムだ

このコースは何回かラウンドしたことがある、林間コースなので平坦で日陰も多く観戦は比較的楽だ方だろう

練習場での練習風景の見物は、日陰がなく暑そうなのでパスして、主に片山晋呉、宮本勝昌、兼本貢司の組について歩いてみた、100%一緒に歩くと大変なので、適当にショートカットして歩く距離を短縮しつつ、他の組もチョット見ながら歩いた、三人ともゴルフの調子はまあまあだったように見えた

観戦してみて気付いた点としては、

  • スマホによる写真、動画撮影が基本的にOKであった、これは初めての経験である、いいことだと思う、アメリカではずいぶん前からそうしている
  • ラフがすごく伸びていて選手を苦しめていた、100ヤードも飛ばないケースを何度か見た、また、ラフに入ったボールを探すのが大変そうだった
  • 選手の服装が短パンでもOKになっていた、今年からだろうか、猛暑のため合理的であろう、選手だけでなくキャディーの健康面も考えての決断だろう、支持したい
  • 通常、ホールを横切るギャラリーの通り道が設定されるが、今回のトーナメントではそれがなかった、コース保護のためと思われ、仕方ないと思うが、観戦には不便であった

日中の最高気温35度前後の気象条件でプロアマ競技、練習ラウンドを含めほぼ1週間連続してプレーする選手やキャディーはそれが仕事とはいえさぞかし大変でしょう、シニアだから余計負担が重いであろう、いくら屈強な体の持ち主でも、真夏の酷暑の時は乗用カートに乗っても良い、こういう緩和ルールもローカルルールで認めても良いのではないかと思った

選手、キャディ、大会関係者の皆さん、お疲れ様でした、観戦する方も体力がないとできないと思った


都電荒川線と西早稲田の金城庵

2024年09月15日 | グルメ

早稲田大学に用事があって行くことになった。ここに行くときはいつも東西線を使っていたが、この日は王子駅に出て、そこから久しぶりに都営荒川線に乗ってみようと思った


(王子駅から乗り込む、結構混んでいる)

以前も王子駅から乗ったので要領はわかっていた、この荒川線は三ノ輪橋~早稲田間(12.2km・30停留場)を運行している、東京で路面電車が走っているのはここだけか、他に思いつかないが調べてみると世田谷線があり、三軒茶屋から下高井戸までの5キロ、10駅を18分かけて走っているそうだ

荒川線は「東京さくらトラム」という愛称ができたそうだ、知らなかった、沿線に桜の名所が多いからか、料金は大人170円、Suicaも使えて便利だ


(終点の早稲田駅にて)

王子から乗り込むと、しばらくは自動車道路の路面を自動車と並んで走る、車にぶつかりそうでちょっと怖かったが面白かった、途中から電車専用の線路になり一安心、沿線の各駅からはいっぱい人が乗ってくる、本当に地元の人の足替わりになっている感じだ、バスより安いから利用するのか

30分くらいで終点早稲田駅に到着した

さて、ここで昼食、どこにしようかとあらかじめ考えて、そば屋の金城庵に行くことにした、荒川線の駅から歩いて5分くらいの便利なところ、店のホームページによれば、大正八年創業、故三島由紀夫が楯の会に集まったお店と知られておりますとある、ありゃま、三島の本は最近読んだばかりだが偶然だ

昼時を少し外して1時過ぎに到着、ドアを開けて店内に入ると直ぐに座れた、テレビでも何回か取り上げられているようだが知らなかった

店内は典型的な町のそば屋、昔ながらの良い雰囲気を出している、結構広く、4人掛けのテーブルのほか、大テーブルもある、店員も多く、テキパキ働いている感じに好感が持てる、大きな冷蔵庫には日本酒の一升瓶が冷えていたし、棚には焼酎の一升瓶も並んでいた

今日はこの店の名物という上かつ丼定食にした、1,480円、しばし店内の雰囲気をじっくりと味わいながら待つ、そして、出てきたものをさっそく食べる、先ずはそばから、食べると麺はちょっと固めの湯で加減だが問題なし、箸先にわさびをちょっとつけてそばを手繰り、つゆに半分付けて啜りこむ、おいしい

次にメインディッシュのかつ丼、かぶりつくように食べる、卵とじしたトンかつが玉ねぎに絡んでおいしい、ご飯の量も多からず、少なからず、ちょうどいい、箸だけでなくレンゲがついているのが有難い

おいしく頂きました、いい雰囲気の店でした、こんな店で夜一杯やったら最高だろうなと思った


神保町「眞踏珈琲店」初訪問、そのあと近江屋洋菓子店に

2024年09月14日 | カフェ・喫茶店

この日は揚子江菜館で昼食をとった後、どこか喫茶店で休もうと思い、前から訪問したいと思っていた「眞踏(まふみ)珈琲店」に行ってみた、ここは、webページを見ると、「珈琲と、本と、そして無駄話を愉しむ喫茶店」とある、読書と無駄話とは矛盾するような気がするが、まあいいか

工事中の三省堂から小川町に向かって歩いてすぐのところを右に曲がるとこの喫茶店がある

外観は長方形のビル、入口に縦長の窓が一つあるが植木に遮られているので気付かない、木の厚めのドアを開けて中に入るが、何かエクスクルーシブなクラブにでも入る雰囲気がある

中に入ると、1階はカウンター席のみ、2階がテーブル席で本がいっぱい置いてある、2階に行ってみると、かなり狭い感じがした、そして2階は結構混んでいた、そこで2階はやめにして1階のカウンター席に座ることにした、入口から奥行きが長いビルなので、カウンターが合理的であり、テーブル席はちょっと無理があるような気がした

メニューをもらって眺めていると値段は結構高めで、900円くらいするコーヒーが最低の値段、暑い日だったので珈琲水瑠璃(アイスコーヒー)にした、豆はブラジルサントスNo.2スクリーン19なので酸味はほとんどない、私の好きな豆だ、ケーキもあったが昼食直後だったのでやめにした、ここはブレンドコーヒーはなく、ブラジルサントスのストレートだけの店だ、ブラジルサントスにクリームを入れたり、ミルクを入れたりしてバラエティーを持たせている

店には男性と女性1名ずつのスタッフがいる、カウンター内でアイスコーヒーを作るのを見ていると、大きめのグラスに四角いブロック型をしている氷を入れ、そこに水を少し注ぎ、捨てる、これで氷の角に丸みを持たせているようだ

飲んでみると、おいしい、ブラックで飲むのでコーヒーの味がよくわかる、1階には入口横の縦長の窓とカウンター背後の窓があり明るい外光が差し込む、読書をするには適当な明るさだ、持ってきた読みかけの文庫本を出して読む、読んでいると客がどんどん入ってくる、みんな若い人たちだ、ターゲットはそういう人たちなのか?

コーヒーカップや砂糖入れ、ミルク入れなども高そうな、センスの良いデザインの陶磁器を使っていた、アイスコーヒーのグラスもバカラのような感じがした

ゆっくり本を読めたが、流れている音楽が何かよくわからなかった、ジャズでもないし、クラシックでもない、なんか店のイメージに合っているのかな、と感じた、Boseのスピーカーから流れてくる音も少しうるさすぎる感じがした、ジャズ喫茶もクラシック喫茶も音量は大きめだが、そこはあくまで音楽を聴く喫茶店なのでそれで良いと思うが、ここは読書をする喫茶店なので音量は少し下げたほうが読書に集中できると思った、店の雰囲気からするとジャズが似合うのではないか

おいしく頂きました、ご馳走様でした

さて、この日は、この後、近くの近江屋洋菓子店に寄って、アップルパイ2つを買って帰った、1,080円、多くの客が来ていた、予約していたものを受け取りに来た人で混雑しているようだった、そして帰宅後に夕食のデザートとして食べてた

 


日経「私の履歴書、北岡伸一東大名誉教授」を読んで

2024年09月13日 | その他いろいろ

昨年、北岡教授の「日本の近代5、政党から軍部へ」を読んで勉強になった(その時のブログはこちら)、その北岡教授が8月の日経新聞に「私の履歴書」を書いたので読んでみた

履歴書には教授の近現代史の歴史認識や、教授がまとめた安倍政権戦後70年談話について述べている部分がある、その点について抜き出してみると以下の通りであった

歴史認識について

かつてあれほどすごい変革を成し遂げた日本が、なぜ戦前に愚かな侵略への道をたどったのか。こういう問いが常に念頭にある

戦後70年談話について

日本は大恐慌で打撃を受け、活路を対外膨張に見出そうとした、満州に続き欧州でも国際秩序に対する挑戦が起き、ついに世界大戦となった、国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本だった、アジアの国々と日本国民に悲惨な結果をもたらした政府と軍指導者の責任はまことに大きい

私は、これを読んで唖然とした、こうまでも我々の先祖のことを貶めることができるものだろうか。

我々の先祖が「愚かな・・」とは、また、「国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本」などとどうして言えるのか、学者とはこんなにも傲慢に先祖を断罪できるものなのか

満州事変、日中戦争、日米戦争などは日本が悪かったと決めつけることはできないと思う。教授のような善悪の決めつけは、占領軍が日本人に贖罪意識を植え付けるために考え出した歴史観と同じだ、教授の見解はそこから一歩も踏み出してなく、その歴史感に権威付けする結果となっている

歴史は勝者が自分たちに都合よく書くものだ、それを「ちょっと待てよ」とあらゆる証拠資料を調べて検討するのが学者ではないのか

歴史に限らず物事はすべていろんな角度、立場から見るべきだ、世の中には教授とは違う見方をする人も少なくない、ここではそのうちの一つだけ紹介したい

朝鮮戦争の収束方法に関して連合軍最高司令官であったマッカーサーとトルーマン大統領との間に先鋭な対立が生じ、結果としてマッカーサーはその重職から解任され、本国に召還された、事態は高度な政治問題に発展し、議会上院は軍事外交合同委員会を開催して、当事者の証言を求め、1951年5月にマッカーサーが証言した、その中に日本に関する部分があったので、それを引用しよう

日本は8千万に近い厖大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

(途中省略)

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い・・・・そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

もしこれらの原料を断ち切られたら、1千万人から1千2百万人の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです(小堀桂一郎編「東京裁判日本の弁明」(講談社学術文庫)より引用)

敵軍の将であり、戦後GHQトップとして日本人に贖罪意識を植え込んだ人が、朝鮮戦争を経験した後でこういう認識に至ったということはあまり知られていない、いろんな歴史の見方を国民は知るべきだ


揚子江菜館で冷やし中華を食する

2024年09月12日 | グルメ

国立近代美術館で絵画鑑賞をした後、15分くらい歩いて神保町の揚子江菜館に行き、昼食をとることにした、まだ猛暑が続いているので、ここの冷し中華を食べてみたくなった

ここは作家の池波正太郎氏が贔屓にしていた中華料理屋、氏はいつも上海風焼きそばを食べていたので、私も今までは同じものを注文していた、しかし、ここは「昭和8年誕生した元祖冷やし中華、富士山の四季を彩る飾り、五色涼拌麺」とうたってある通り、冷やし中華を初めて出した店だと雑誌か何かに紹介されていたのを覚えている、それゆえ、一度食べなくてはいけないと思っていた

11時40分ころに店に到着、開店直後だったからか1階の席に直ぐに座れた、その後続々と客が入ってきたのでグッドタイミングだった

さっそく元祖冷やし中華を注文した、値段は忘れたが1200円くらいだったか、周りの人たちも冷やし中華をたのむ人が多かった、シュウマイも食べたいと思い4個一皿で800円くらいのものを注文したら、2つからできますよ、ということなので、それを注文

しばし待って、冷やし中華が到着、独特の盛り付けが食欲をそそる、卵焼きと豚肉、キュウリなどを細かく切ったものが乗っかっている、それにクラゲ?とエビ、シイタケ、食べてみると麺は細麺、豚肉は若干固めだった、つゆに酢が多めに入っているような気がした、量は大人一人で満足できる量だった、味はまあまあおいしかったが、若干特徴があるので好き嫌いがあるかもしれない

さて、冷やし中華を食べ終わってもまだシュウマイが出てこない、あれっと思ったが、もう伝票も来ており、見ると冷やし中華しか書いてない、冷やし中華と一緒に食べたいと思っていたので、もういいやと思って、そのまま会計をして店を後にした

ご馳走様でした

 


東雲ゴルフクラブ、帰りにLRTを見て、TSUTAYAに

2024年09月11日 | ゴルフ

栃木県塩谷郡高根沢町の東雲ゴルフクラブでゴルフをしてきた、何回かプレーしたことがあるコース、天気は晴れ時々曇り、最高気温は30度以下

このコースは、1984年(昭和59年)開場、東京都江東区東雲にあった井上誠一設計コースである東雲GCが閉鎖し、都に用地返還され、代替コースとして建設中だった今のコースを買収してオープンさせたもの。その後、平成17年3月に会社更生法申請、9月に可決、その後、紆余曲折があり平成21年に和洋菓子製造販売のシャトレーゼ傘下になり現在に至る

ケーキなどで有名なシャトレーゼ傘下のコースなので、昼食時にケーキ食べ放題のサービスがあり、この日も数種類のケーキが用意され、昼食後に楽しんだ、コーヒーなどの飲み物も無料なのがうれしい、さらにこのコースは風呂が温泉であるのもうれしい。

さて、コースは18ホール、2グリーン、フロントティーでも6400ヤードあり、アマチュアには十分、リモコン乗用カートでナビ付き、天気が良い時は500円追加料金を払えばフェアウェイ乗り入れもできる、この日は気象条件悪く乗り入れ不可

コースレイアウトは面白く、適度なアップダウン、ドッグレッグ、池越えなど変化があるコース、バンカーはあまりなく、グリーンのアンジュレーションもあまりないが2グリーンなので小さい、ラフが結構伸びていた

プレーの進行は空いていたせいか、ハーフ2時間程度で問題なかったが、プレーが遅い組があったので、本来ならもっと早く回れたと思う

食事はまずまず、注文はタブレット、配膳はかわいいロボットであった

楽しめました

帰りの車を運転中、また芳賀・宇都宮LRT(次世代型路面電車システム)に遭遇した、想定以上の利用者が出ているとのこと、この地域の渋滞解消に貢献しているようだ

さて、この日は帰りの途中で「道の駅常総」で買い物をし、そのあと、隣接するTSUTAYAに行き、Vポイントが3000以上たまっていたので、それを使って本を買った、ここは子供が遊べる場所が店内にあるユニークなところだ

お疲れ様でした