会津坂下町から進路を南西(南南西)に取れば、奥会津へと向かうことになる。その前に一旦、真西へと向かう。そこにあるのは西会津町である。西会津町も宿場町(街道町)として栄えたところで、新潟県との県境に位置している。すぐ先には阿賀町がある。阿賀町は現在は新潟県の町だが、江戸期には会津藩の領地であった。嗚呼、町歩きには歴史の勉強も必要なのかと愕然とする。僕は歴史には疎い。でも知っていれば、また別の何かが見えてくるのも事実である。いつかここから新潟方面に抜けなければと思いつつ、趣のある町並みを眺めるのであった。ちなみに「ルービンリキ」の酒屋さんは、ここ西会津町で見つけたものだ。モノクロで撮るという当初の予定を変更し、カラーで撮影した。色に魅惑されてしまったからだ。西会津町は会津坂下町よりも湿度感があり、ぬめっとしている。冬の積雪期には全く異なる顔を見せるだろう。それはもしかして、津軽を連想させるような光景かもしれないし、新潟の豪雪地帯に似ているのかもしれない。見てみたいけど、ハードルは高そうだ。いつまでも想像に浸っていたいけど、次なる町へ。さあ、いよいよ南南西に進路を取ろう。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
阿賀野川に沿って 宿泊も何度か 虚空蔵菩薩にお参りしたり ライン下りも懐かしいです
一緒に移動しているようです(笑)
六十里越あたりはまさに心細いくらいの険しさがあり、もう通らなくても良いと思いました。
大白川、只見の20数キロには集落もありません
荒々しい岩稜と峠道、上下勾配。
幕末、越後の英雄、長岡藩家老河井継之助は八十里越えを担架で運ばれて只見の村で息を引き取った、終焉の場所です、町を歩けば何かを感じることができるかも知れません。
私は車で走り抜けただけなので感じる間もなかったですが、只見線と並行して走った時は感慨深いものがありました。
この後の地も、のびたさんの思い出の場所であることを願っております。
会津を腹一杯堪能できそです。可能であれば金山から先をトレース出来れば良いなあと思います。
長岡との絡みまでは想像が至りませんでした。
※無理であれば西会津から新潟、またはその逆を通りたい。