







青森のアイコン的存在である「第三振興街」。異論はあるだろうが、僕にとっては青森の象徴だ。考えてみれば青森新幹線が開通した時に、このバラック飲屋街が解体されても不思議ではなかった。そうならなかったのは、最早この路地がかつてのような毒気を抜かれ、その存在が問題視されなくなったことの証左かもしれない。放って置いて良い。遅かれ早かれ消えていくのだから・・・。そして案の定、他の昭和路地と同様に第三振興街は終焉の時を迎えようとしている。まだ終わってはいないけど、終わったも同然の姿となっている。この後にどういう展開が待っているのかは分からない。確実にいえるのは、元の姿を取り戻すことは100%ないことだ。この路地の最後の姿を記憶する為に青森まで来た。まだまだ続きます。
X-PRO3 / XF23mm F1.4R
かつては 料理屋 待合 芸者屋の産業です
陰では 赤線街もそう呼ばれていました
昭和のまぼろしが生き残っているのですね
侘しいです 昔の歓楽街の賑わいが 想像の世界ですね
詳細は分からないのですが、かつてはそうだったことは間違いないようです。
その後は業態変更で飲食店街となりましたが、名残のキャバレー(サロン)も残りましたし、比較的最近まで非合法の勧誘などもあったそうです。
といっても、昔はともかく最近では老齢のママさんが切り盛りする一杯飲屋さん的な店が多かったと思います。
僕はかつての三業地の残り香を漂わせつつ、飲屋街となった頃の賑わいを想像しています。
商売主だけでなく、客も高齢化し、年金支給日に一杯やりにくる人も、一人ひとりと減り。
バラック造りの店には2階(3階すら!)があり、今でもお住まいの方もいるようです。
時間を替えて同じ場所の写真ばかりですが、是非続編も。