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石鳥谷の町で、今まで到達していなかった裏通りを見つけた。それはいつも歩いていた場所から通りを一本ずらしただけだった。それでも、これまで見つけられなかったものを見つけたのは事実だ。気分をよくした僕はそのまま歩いた。当初は、それらしい町並みがなければ、駅前から別の場所に車を移動する予定だった。そんな面倒なことは必要なくなったので、移動する予定だった場所までそのまま歩いた。
細い路地を抜けた先は、いつも僕が歩いていた場所だった。嬉しいような泣きたいような複雑な気分だった。別に根本的に間違っていたわけではなく、やり方が少し甘かったのだ。その「少し」が実は大きくて、今後十年で大きな違い産むだろう。鉛温泉を起点にする短い旅は、いつしかマンネリ化し、僕は予定調和のような行動ばかり取っていたのかもしれない。一歩先に〜。あの角を曲がるまで〜。そういったプリミティブな衝動を抑え込んでいたのかもしれない。この日、別の町も含めて歩いた歩数は1万5千歩に満たなかった。最近のなかでは歩いた方だが、かつて当たり前だった2万歩には遠く及ばない。技術以前に、歩くことの基本に還れ。師匠はそう教えたかったのかもしれない。終わり。
X-PR03 / XF18mm F2R
最近は年賀状だけになった ベース担当の故郷は石鳥谷なのです
私は行ったことがありませんが 写真で想いを馳せています
志波などは ツアーで何度かバスで走っているので少しは記憶があります
添乗などで知っている地名が 度々紹介されると懐かしさも蘇りますね
お師匠さん、ずっと一緒に歩いてくれていたのでしょうね。
いいなぁ、よかったねぇ、と思わずつぶやきながら拝見しました。
追伸
猫の立て看板は、国語の試験問題のようですね。
とんでもない回答が出てきそうでワクワクします。
「道の駅いしどりや」という所があって、お酒が並んでいます。杜氏を輩出した里だったそうで、酒蔵みたいな建物でした。
石鳥谷って、そういうご縁があったのですね〜。石鳥谷は盛岡と花巻の中間で、便利な場所でした。整備された商店街もありますが、こういう昔からの町並みに魅力を感じました。
今後も懐かしく思い出したり、行きそびれた町を掲載できるよう頑張りたいと思います。
本当に師匠と一緒に歩いているような気分でした。
「師匠、この場所をとうとう見つけましたよ。さあ行きましょう」みたいな。
鉛温泉の湯治部に泊まったのも、その覚悟があったからです。
追伸:猫の看板、何故手書きスペースが??。何枚か作ったのだろうか、等々謎だらけで楽しかったです。