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途中で紅葉写真を挟んだので、既に忘れ去られたシリーズとなった。そして、いきなり最終回。山形県の余目(庄内町)で、ライカM10モノクロームとアポランター35mmの組み合わせの描写を楽しむ。そういう趣旨だった。暫く寒い日が続いたのに、その日は突然の快晴だった。陽射しも強ければ、気温も高い。服の選択をミスしたこともあり、汗だらけになり気分が乗らなくなった。そういう事情とは関係なく、余目の町は相変わらず良かった。身も蓋もないけど、例えレンズの描写が駄目だとしても、町が良いことに変わりはない。誤解ないようにいえば、この光の状況でも、あくまでレンズは優秀で驚いた。
それにしても、人は何故こんなにレンズに惹かれるのだろうか。それは本当に優劣の問題なのだろうか。自分の眼の「代わり」となるレンズ。レンズが世界の光を受け入れる窓口になる。レンズを変更するということは、世界の見方を変えることでもある。世界は細部まで正確に高画質で描写すれば良いというものではない。世界を完璧にコピーしたいのであれば、そもそもモノクロ写真では成立しない。人間も全て完璧であれば魅力があるとは限らない。突出して良いところもあれば、駄目なところもある。それが個性として成立するから魅力を感じる。アポランターは現状入手できるレンズの中ではトップクラスの高画質を誇ると思う。100万円超のレンズに勝るかどうかは分からないが、闘えるレベルにあることは間違いない。でもそれが魅力的になるかどうかは、今後使い込まないと分からない。自分の見たい世界、それにピッタリと適合するレンズを探す旅は、まだまだ終わらない。
LEICA M10 MONOCHROME / Apo-Lanthar 35mm F2 VM
私の目は乱視的で線が2本3本にダブる、白内障も近いかもしれない
レンズとしては取り替えの時期に来たと言うことでしょう
でも本体は取り替えることが不可能です、
本体を労りつつレンズ交換で世界の美しさを見ていくことになる
この美しい世界を見続けたい、6x6さんのご健闘を祈っています
それにぴったりあったものが一番良いと思います。
僕はレコードが一番好きで、ラジオが好きというのも、同じ感覚ですよね。
レトロだからとか、そういうことだけじゃないんですよね。
光を集めて結像し、受光部に送る。
その殆どを光学作用で行うのだから大したものです。
くっきり明瞭は、僕の使うレンズでももっとも重要な点でもあります。
でも、どこまでもそこを追求すると、逆に世界が「くっきり明瞭」には見えなくなるという矛盾も発生したりします。
お酒の味わいと似ているのかもと思ったりしますが、いまいち僕も原因がつかめていません。
追伸:左目の視野が怪しく、夜の運転が怖くなってきました。眼科に行こうと思います。