東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




ゆったり流れる名曲「知床旅情」をご存知の方は多いと思うのです。当時、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンがあって、旅にでることがブームになっていた感がある頃です。そんな相乗効果もあって、「知床旅情」は大ヒットしました。

有名な加藤登紀子さんの「知床旅情」は、作詞・作曲者であり、原曲を歌った森繁久彌さんの「知床旅情」とは歌詞が違うとか、曲の出だしが「早春賦」に似てるとか、今では炎上しそうなエピソードもある曲のようです。当時は1960~70年台であり、今とはまったく違う世界観の中で生活していたので、そういうことはこの際 置いておきましょう。「知床旅情」が好きだし、いい曲だと思う気持ちに変わりはありません。

今回、知床半島のまち、宇登呂(ウトロ)、羅臼を訪れたこともあって、ドライブしながら何度も「知床旅情」を聴きました。今日は、そのとき感じたこと、思い浮かべたイメージ、自分なりの歌詞の解釈を、書いてみたいと思ったのでした。尚、当然ですが、違う解釈をされる方もいると思います。そういった解釈を否定するものではありません。それから歌詞は、作詞者である森繁さんの「知床旅情」の歌詞を題材にしたいと思います。

♪ 知床の岬に はまなすの咲く頃
♪ 想い出しておくれ 俺たちのことを
♪ 飲んでさわいで丘にのぼれば
♪ 遥か国後(くなしり)に白夜は明ける

♪ 旅の情けか 酔うほどにさまよい
♪ 浜に出てみれば 月は照る波の上
♪ 君を今宵こそ抱きしめんと
♪ 岩影に寄ればピリカが笑う

♪ 別れの日はきた 知床の村にも
♪ 君は出てゆく 峠を越えて
♪ 忘れちゃいやだよ気まぐれ烏(からす)さん
♪ わたしを泣かすな白いかもめを
♪ 白いかもめを

        知床旅情

        作詞・作曲 森繁久彌
        唄     森繁久彌(1965年発売) 加藤登紀子(1970年発売)

以下、自分の解釈。

歌詞の1番、2番は、男が語っている。飲んで騒いで丘に登るとか、多分ワンゲルとか、体育会系の、冒険好きの学生たちが夏休みを利用して知床に訪れていたのではないか。滞在していた宿は民宿のような安い宿だったと思われる。父は漁師で母が民宿をやっているとか。その家には若い かわいい娘がいて、歳は学生たちと同じか、少しだけ上だったかもしれない。民宿の仕事を手伝ううちに学生たちと親しくなり、歌詞の中の飲み会にも、アイドル的に参加ししていたのではないかと思われる。


♪ 遥か国後(くなしり)に白夜は明ける
という歌詞から、滞在していたまちは羅臼であることは間違いない。宇登呂(ウトロ)からでは国後島は見えない。加藤登紀子さんの「知床旅情」では
♪ 別れの日はきた 知床の村にも
の「知床」の部分を「羅臼」と歌っている。ま、それはいいとして。

♪ 旅の情けか 酔うほどにさまよい
この男たちは実によく飲んでいる。このあたりからも地質学の研究とかで来ている学者肌の男たちではないと思われる。やはり体育会系のワンゲル部の学生たちだろう。実際、森繁さんはかなりの酒飲みだったらしい。映画の撮影で羅臼に長期滞在していたときの最終日に「さらば、羅臼よ」というタイトルで歌ったのが「知床旅情」の最初らしい。

♪ 君は出てゆく 峠を越えて
この峠は「知床峠」のことだと思うけど、「知床旅情」の当時はまだ知床横断道路は開通しておらず、歩いて越すしかなかったのではないか。あの山を歩いて越すのは相当体力が要る冒険だ。ここでほぼ、歌詞の「俺たち」は冒険好きのワンゲル部員であると確信がもてる。自分が「酒飲み=ワンゲル」にこだわってしまうのは、佐賀のM先輩の影響が極めて強いと思う。スキーのシーズンにワンゲルの山小屋に行って、夜通し飲んで、顔にペイントされて、雪の中に放り出された記憶が潜在意識に残っているからだと思う。

♪ 浜に出てみれば 月は照る波の上
♪ 君を今宵こそ抱きしめんと
♪ 岩影に寄ればピリカが笑う
月に照らされた知床の海はさぞかしきれいだったと思う。とても美しい風景の中、アイドル的に参加していた民宿の娘さんを抱きしめようと、さり気なく岩影による「俺」。ここではすでに「俺たち」ではない。酒の勢いも借りて、「キスしよう(多分)」としたとき、ピリカが笑う。このピリカはアイヌ語で「良い」「美しい」という意味らしいけど、ここは自分は「岩影にいる、光のような、妖精のような、想像上の存在」と解釈したい。ピリカという言葉がもつサウンドがそういう感じを連想させる。「ピリカは民宿の娘さん、本人のことだろう」という意見もでそうですが、多分、これはあくまでも自分の想像だけど、娘さんは拒む気はなかったのではないか、と思う。岩影にいた、気まぐれなピリカが笑ったことで、「俺」は一瞬のチャンスを逃がしてしまったと解釈する。



そして3番の歌詞。1番、2番から代わって、3番だけは女(=民宿の娘)が語っている。3番は、学生たちのお世話をしながら、飲み会にもアイドル的に参加していた娘の語り、と解釈するとストーリーが美しい。

♪ 別れの日はきた 知床の村にも
♪ 君は出てゆく 峠を越えて
♪ 忘れちゃいやだよ気まぐれ烏(からす)さん
♪ わたしを泣かすな白いかもめを
♪ 白いかもめを

ほのかに芽生えた恋心をお互い言葉で伝えあうことはないまま、はかなく別れの日がきてしまう。「君は出てゆく」の「君」という言葉に、ひょっとして彼女は1つか2つ年上だったか、と自分は思う。最後の「白いかもめを」の「を」のところを加藤登紀子さんの「知床旅情」では、明らかに「よ」と歌っている。「白いかもめよ」だと、文脈から「白いかもめ=俺」さらに「白いかもめ=気まぐれ烏(からす)」になってしまう。これだとスジが通らなくなるというか、最後の最後で混乱してしまう。やはり男は「気まぐれ烏(からす)」で、女が「白いかもめ」の方がしっくりくる。であるならば、最後の言葉は「白いかもめを」でなければならない(そういえば宇登呂(ウトロ)でも羅臼でもかもめがいて鳴いていた)。

しかし、今、フト気がついたけど、3番の歌詞も男が語っているとすると!? 
1番から3番まで、語り手は「男=俺」で統一されている方が歌詞としては通りがいい。

♪ 忘れちゃいやだよ気まぐれ烏さん

の部分を「君が 忘れちゃいやだよ気まぐれ烏さん という感じの淋しそうな顔をするので、自分も泣きそうになってしまう。だから、そんな悲しい顔をしないで。私を泣かさないでくれ、白いかもめよ」という風に解釈すると、これも、日本的な美意識によく合致するストーリーだ!

ということで、3番の歌詞の解釈はいろいろと別れるところかもしれないけど、ここは作詞者である森繁さんの言葉どおり「白いかもめを」ということで、自分は解釈しました。だから、3番だけ語り手が代わっているということになります。

ここまでもしお読みいただいた方がいましたら、本当に感謝いたします  ( ´ ▽ ` )ノ 。どうもありがとうございます。この記事は長いし、極めて趣味的な文なので、ビジネスの役には立ちません。普段なら自分も、こういうことを思ったとしても、一瞬で頭を整理して、もしよくわからないところがあったとしても「ま、いいか」で流しているところ。ましてやこのように文章にすることはありません。

夏の長期休暇の最中で、昨日、右わき腹の粉瘤(ふんりゅう)切除を行い、楽しみにしていたゴルフをドタキャンさせていただくことになり、自宅で静養を言われている状況だからこそ、書く気分になったのかもしれません。でも、それは違うかも。

やっぱり書きたかったんだろうと思います。このこと。知床が本当に素敵なところで、宇登呂(ウトロ)も羅臼も魅力的なまちで、「知床旅情」が、ゆったりとした美しい旋律と言葉をもっていて、自分の波長とよく合ったから。書きたいって、心が動いていたんだと思います。お読みいただきありがとうございました。また知床に行きたいです。



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