文明開化、富国強兵、殖産興業という明治という時代がもっていた気分と、日本伝統の武士道精神が調和して、見事な躍進を遂げた日本。その象徴的な出来事が日露戦争の勝利だと思う。大国ロシアを打ち破るなど、奇跡に等しいことなのに、それを勇猛果敢にやってのけた先人たちの 命をかけた挑戦に頭が下がると同時に、現代の自分たちもそのくらいに凛々しくありたいと心からそう思う。
今日の放送の中で、ロシアに4年間駐在武官として赴任し、多くのロシア人から愛された広瀬少佐が戦死するが、ロシア将校に向けた「国と国が戦争になれば、武士道精神をもって正々堂々と戦おう。しかし自分は君たちの友だ」という言葉が胸を打つ。なんという高い精神性をもっていたのだろう。戦争を賛美するのか、とバッシングを受けそうだが、そういうことではなくて、それぞれの人たちには「生きた時代の価値観(美学という方が適切か)」というものがあって、あの帝国主義の時代を生きた人たちは、その時代の中で、その価値観の中で、純粋に懸命に生きた ということ。そのことに心を打たれるのだ。
いつの時代にも戦争、争いごとは形を変えて存在していて、それを嫌がっているだけでは成長はないのだ。帝国主義の時代の戦争というのは人が実際に死ぬし、深い悲しみを伴うものだったけど、ではそれ以前の時代はどうだったのか。中世、封建制という時代でも争いごとはあったし、人も死んでいる。悲しみもあったはずだ。ただ、封建制の時代では産業をあそこまで発達させることはできなかったし、ここまで物質的に便利な世の中を作りだすことはできなかったと思う。そういう意味では帝国主義の時代も、人間社会のステージをひとつ上に上げるための過程だったと思う。
現代にも形を変えて争いごとは存在している。直接的に殺しあうことは先進国の中では行われなくなっており、物質的な便利さだけが人間を幸せにするわけではない、ということもわかってきて、資源や環境のこと等もあり、「ナンバー1にはならなくてもいい」などという歌が流行ったり、価値観的には、やや複雑でわかりにくくなっているけど、今でも競争を悪とみなして、避けているだけでは成長も発展もなくなってしまうことは変わらない。そして自分が信じる価値観を掲げて、美学をもって、人生を生きていくことの大切さは変わらないのだ。格差社会反対などと言って、競争をいやがるだけでは、日本全体が世界の中で格差社会の下位に下げられてしまうのだ。
やや、話しが横道にそれたけど、2010年放送分の「坂の上の雲」が今日で終了。見ごたえ十分の内容で、来年の年末が本当に待ち遠しい。
自分も、坂の上の、さらにそのまた上の雲を目指して、志高く生きていきたい。あらためてそう思った。
| Trackback ( )
|
>金銭には潔白で私財をなすことをせず、逆に予算のつかないが必要な公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めるような有様だったため、死後は8,000円もの借金が残った。
>ただし残った借財の返済を遺族に求める商人はいなかった。(!)
この時代を生きた方々の精神性の高さに呆然としました。考えてみれば
この方が暗殺された時も(命を狙われる立場なのは火を見るより明らか
でしょうに)たいした護衛も付けていないんですよね。おそらくは西
郷隆盛が死ぬ運命になった時、自身も死を覚悟していたのではないか、
と個人的には考えてしまいました。
このこれ以上ない高貴な精神はいったいどこで生み出され、育まれた
物か...想いは尽きないです。
本当に幕末から明治にかけて、あの時代の人たちの志の高さはどこからくるのでしょうか。
ひとつには危機感。
それから明治維新後は富国強兵、殖産興業のスローガンの浸透
それから日本伝統の武士道精神
これらが融合されて、湧き出たのではないかと思ったりしますが、いずれにしてもすごいです。
今、さざまな危機が言われ、閉塞感があふれていますが、あの時代の志を100人に1人でももてれば一気に解決してしまうような気がします。
想いは尽きないですね。
坂の上の雲はは男の精神として受け入れてしまいます。高校大学と何度も読み返しました。そこがNHKの犯罪的な脚本だ。くそー見てしまう自分が悔しい
>仕事として死をうけいれ
現代にはなんともなじまない考え方ですが、日露戦争以前の歴史を見ると、武士はいざ戦いとなったときには命をなげだしてでも尽くす精神性をもっていたと思うのです。だから当時はその考えにはあまり違和感がなかったのだと思います。
彼らは、それが祖国のためであり、家族や友人を守ることにつながると信じていた思うのですが、その思いが尊いと思うのです。
現代においても、国のために、家族や友人のために、働く という意識がもう少しあってもいいと思います。さらに現代らしく視野を広げるのであれば、地球のためにという視点ももてるとさらに素晴らしいですよね。