自分の母親の実家は静岡県の西伊豆町。10人兄弟の末っ子で焼津にお嫁にきた。そういうこともあって西伊豆には母方の親戚が大勢いる。自分は小学校から高校くらいにかけて、夏休みの伊豆滞在を繰り返していたのでとても懐かしい場所だ。小学校の頃の自分はわがまま放題に育ってしまい、伊豆のおばあさんは自分のことを「お代官さん」とあだ名をつけて呼んでいた。お殿様になると人物だったりするんだけど、代官クラスがいちばんいばるのは「水戸黄門」でもおなじみだよね (^_^;) 。ある台風の夜、自分が「しゃけ茶漬けを食べたい」と言い出し、おばあさんがかっぱを着て魚屋さんまでしゃけを買いに行ってくれた。戻ってきたおばあさんに「やっぱり食べたくない」と言ったのでさすがに周囲の人が怒り出し「お前はもう来るな」と言われたことがあった。さぞ鼻持ちならない子どもだったと思う。本当におばあさんはいい人だった。今頃反省してもどうにもならないんだけど、何のお礼もできないまま逝ってしまわれたことは残念でならない。
中学校くらいになると友人と3人くらいで親戚の家の一室に泊めてもらい、毎日泳いでいた。今思うと夏休み中は伊豆の人たちにとって「かき入れ時」だし、なんとも無神経な客人だったことだろう。母親が事前に電話を入れて「よろしくお願いします」と言ってくれてあったと思うし、お礼もしてくれていたと思うけど、自分たちはそういうことは気にもしないで、来る日も来る日も泳いでいたような気がする。
先日、伊豆の伯父さんが亡くなり、4日に葬儀があった。仕事が忙しい日だったけど、予定をキャンセルして葬儀に出席してきた。伊豆もずいぶん変わっているし、当時子どもだったいとこたちもみんな大人になっている。自分も大人になっているから当然だけど、すっかりご無沙汰してしまっているから正確に顔と名前が一致しなかったりして、声をかけられずにいた。でも最後の方で「久しぶり~」とか「そうかなぁと思っていただんだけど」みたいな感じで談笑することができてよかった。
昔の大人の男たちは総じて無口で、自分が子どもの頃も伯父さんとはそんなに話しをした記憶がない。いつも陽に焼けていて、真っ黒で、話しをするにしても「(夕飯を)食ってかっしゃい」(「食べていきないさい」という意味)だけだったり。伯母さんたちは総じてチャキチャキしていて、明るくて、働き者って感じだった。
男も女もとにかく人がよくて、のどかで、存分に自然があって、子どもの頃、そういう人たちや自然に囲まれて夏を過ごしてきたことはとても幸せなことだったと思う。久しぶりに顔を見せることができて、顔をみることができて、本当によかったと思った。
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