藤枝のシネマコンプレックスVIBIで宮崎アニメ「風立ちぬ」を観てきた。
リアリズムとファンタジーが織りなされて、不思議な、あっと言う間の2時間
だった。
とても共感したセリフがあって、正確じゃないかもしれないけど書き出してみる。
飛行機作りにあこがれる主人公 堀越少年が、夢の中でイタリアの飛行機設計者カプローニ
から言われた言葉。
→ 設計は夢に形を与えるものだ
→ 設計はセンスだ。センスは時代をさきがける。技術はあとからついてくる
名古屋で仕事に没頭する堀越二郎が東京にいる病身の婚約者菜穂子の吐血の電報を受け
日帰りで駆けつけ、最終電車で帰るシーンで、一瞬、帰るのをためらう二郎に菜穂子の父が
言った言葉。
→ 君は男だ。男は仕事をしてこそだ
名古屋で、上司黒川の家の離れに居候していた二郎のところに、病をおして菜穂子が山間の
病院を抜け出してくる。その場で結婚式を挙げ、生活がスタートするが二郎は仕事に追われ、
菜穂子は寝たきり。そこに二郎の妹で医者である加世が訪ねてくる。菜穂子の病状の重さに驚き、
それでも帰りの遅い二郎に加世が詰め寄ったときに二郎が放った一言。
→ 俺たちは今、一日一日を大切に生きているんだ
二郎は戦闘機の設計主任を任されいよいよ忙しく、菜穂子の病気はいよいよ重い。そんなある日、
菜穂子は黒川夫人に「今日は気分がいいので散歩してきます」と行って外出する。実は、そのまま
山間の病院に帰るための外出だった。住んでいた離れがきれいに清掃されているのをみて、
黒川夫人は すべてを悟り、こうつぶやく。
→ 好きな人に自分のきれいなところだけをみてほしかったのね
宮崎監督は「昔の人は生き方が潔い。必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を
精一杯生きている、そんなイメージ」と菜穂子のことを語っていたそうなのですが、これから
壮絶な死期に臨むのに、爽やかささえ感じさせるような凛とした、女性らしい強さが素晴らしく
描かれていた瞬間。
映画の中で再三登場する喫煙シーンは、昔の大人の男たちにとってみれば日常だった。
自分も大学入学から東芝勤務時代は喫煙者だったけど、当時は、喫煙には大人の男になる
憧れみたいな感覚が含まれていたような気がする。父も若い頃は吸っていたし、
義父は最後まで愛煙家だった。時代を考えれば違和感はない。
図面を引くための製図台と計算尺も再三登場するが、これは自分が少年時代、自宅にもあった。
エンジニアだった父は、夜遅く帰宅した後も、製図台に向かうことが少なくなかった。
そんなありし日の父を思い出したりした。おそらく家庭のことを省みることはない人だった。
自分はエンジニアではないけど、自宅でも、移動中でも、パソコンやiPadに向かうことは
日常になっている。自分が家庭的な人間とはとても言えないのは、父の影響だ。などと言ったら
父は怒るかもしれないが、ま、これはご愛嬌。
昔の人たちは、忍耐強く、礼儀正しく、堂々としていて、それでいてやさしい人が多かったのでは
ないだろうか。父親たちの世代がもっていた「雰囲気」「空気」みたいなものを自分は好きだ。
「時代じゃない」とか「古い」とか言われても、日本的な良さがたくさん残っていて、心ひかれる。
少なくとも、その時代の大人たちが成し遂げた高度経済成長により、今の豊かな日本があることは
忘れず、守るべき伝統は引き継ぎ、その人たちに納得してもらえるような、今の時代にふさわしい
「成長」を成し遂げるべく自分たちは努力しなければいけない。
映画を観おわったあと、喫茶店でいろいろなことを考えていた。
男女問わず本当に大切で大事なものって
改めて 自身に問い 謙虚に心強くありたいと
亦楽しみに拝見したく思います。
有り難うございました。
ぼくも本当にそう思います。もともと日本人がもっていた
素晴らしい素養を思い出しました。
日本人らしくありたいですよね。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました!