今日の「歴史秘話ヒストリア」は上杉鷹山の特集でした。これは見るしかないと思い、紙とペンを用意して、参考になることを書きとめながら見ていました。鷹山が米沢藩主の時代は飢饉続きで全国的に餓死者が続出するような時期でした。不況続きで自殺してしまう中小企業経営者が多い現代に通じるかもしれません。
鷹山が婿養子として入った上杉家は上杉謙信を配した戦国時代の名門で、かつては120万石でした。しかし上杉家はその後、人材に恵まれず没落の一途をたどり、鷹山が藩主となった頃には15万石。ただ名門意識だけは抜けなくて、家臣は120万石の頃と同じ5,000人。藩財政は破綻寸前で、すでに打つ手はないと言われていたのでした。
鷹山が行ったのは大倹約令。有名な一汁一菜はこのときの鷹山の言葉で、質素倹約を実践します。また武士を農村に送り込み、農民と一緒になって農作業をやらせることにしたのでした。これに重臣7人が反発。「武士を農民とするのは、馬を鹿とするのと同じ」「しょせん婿養子で、上杉の伝統をわかっていない」と主張したのです。ここで鷹山が取った行動は。
首謀者を打ち首にしたです。気さくに農民と接する一方で、改革には毅然とした態度を示したのでした。「なせばなる なさねばならぬ 何事も」も鷹山の有名な言葉の一つ。藩建て直しにかける強い意志が伝わってきます。
その後も浅間山の大噴火があったりして、日光が遮られ、大凶作は続くのですが、「倹約だけでは民は豊かにならない」という家臣の進言を聞き入れ、子育て農家に1両与えたり、敬老を奨めたり、盆踊りを許可したり、きめ細かな民政の走りのような政策も実施していきます。農民の脱走を食い止めることはできたのですが、もともと積みあがっていた借金返済にはほど遠い状況。そこで鷹山は次の手を打ちます。
量産が可能で、米沢藩全体の利益を生み出せるものをさがす。鷹山が着目したのは絹織物でした。まず蚕のエサとなる桑の葉を大量に作るため、桑の苗木を150万本も農家に無料で配り、生糸の生産力を大幅にアップさせます。生糸を織るのは武士の家にいた女衆の仕事。京都から職人を招いて指導してもらったり、農家には「養蚕手引」というマニュアルを配ったりしたのでした。そんな活動の中から生まれたのが米沢織。全国的に大ヒットすることになり、鷹山が晩年の頃には膨大にあった借金も完済できたのでした。無借金経営です。
本当に素晴らしいリーダーだと思います。多分「みんなで国を作っていく」という意識も芽生えたことでしょう。あきらめないリーダー。覚悟を示したリーダーとして今でも人気がある理由がよくわかりました。
番組の最後に、今の米沢の小学校の様子が紹介されました。市内のほとんどの小学校には上杉鷹山の肖像画が掲げられていました。子どもたちは肖像画をみて「今の米沢を作ってくれた人」とか、口々に尊敬の言葉を話してくれました。とてもうれしくなりました。過去の歴史は本当に大切。その先輩たちの命がけの努力なくして今の自分たちはありえません。そういう伝統を大切に伝えている米沢市の人々は素晴らしいと思いました。がぜん、行ってみたくなりました。
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すごくいい本ですよ。
まさに風土改革そのものです。
トラックバックの記事、読ませていただきました。
『漆の実のみのる国』、読みごたえありそうですね。
歴史ものは大好きですし、自分も腰をすえて読んでみます。
どうもありがとうございました。