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帯とけの枕草子(拾遺二十)火桶は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子(拾遺二十)火おけは
文の清げな姿
火桶は、赤色、青色。白木に作絵(彩色画)も良し。
原文
火おけは、あかいろ、あをいろ、しろきにつくりゑもよし。
心におかしきところ
火お氣は、元気色、若い色。白木で作り枝もよし。
言の戯れと言の心
「火…ほのお…情熱の火…ほ…お…おとこ」「おけ…をけ…桶…男気…おとこ気色」「あかいろ…赤色…元気色」「あをいろ…青色…若い色」「色…色彩…色情」「しろき…白き…白い…白木」「つくりゑ…作り絵(塗り絵・彩色画)…作り枝…作り物のおとこ」「よし…良し…好し」。
「つくりゑもよし」に、とんでもない意味が顕れても驚くことはない。普通には語れないことを、言の戯れを利して清げな姿にして語るのが、この文脈の話芸や文芸である。和歌はまさにそれである。言い難い人の心を物に寄せて表現する。清げな姿で生々しい心を包むのである。
人の生々しい心を物に包まずに表現できるものならば、歌など誰でも幾らでも詠めるが、それは歌ではない。
枕草子〔九十五〕五月の御精進のほどで、宮に「包むことさぶらわずは、千の歌なりとこれよりなん出でまうでこまし」と申し上げたのはこのことである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。