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帯とけの枕草子(拾遺二十五)宮仕へ所は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子(拾遺二十五)宮づかへどころは
文の清げな姿
宮仕え所は、内裏。后の宮。その御腹の一品の宮と申す斎院、(お仕えする身が)罪ふかくあっても趣がある。まして他の所は(精進潔斎不用)。ならびに東宮の女御の御方。
原文
宮づかへどころは、内。きさいの宮、その御はらの一品の宮など申たる斎院、つみふかゝなれどおかし。まいてよの所は。又春宮の女御の御かた。
心におかしきところ
伊勢物語の男の・「宮こ」仕えどころは内裏。后の宮、その御腹の一品の宮など申す伊勢の斎宮、罪深くあっても、おもしろい。まして、俗世(田舎女)のところは。また春宮の女御の御方。
言の戯れと言の心
「宮…宮中…宮処…宮こ…京…極まったところ」「宮仕え…宮中や貴人の家に仕えること…宮こ仕え…男が努めて奉仕して女を宮こへ送り届けること」「内…内裏…身の内」。
「宮」の「言の心」を「宮こ…京…絶頂」と心得る人は、「伊勢物語」を思い出すことができるでしょう。むかし、業平とおぼしき男の「なま宮づかへ」の様子が、「伊勢物語」に描かれてある。お相手は、内の女、斎院の女、田舎女ら数多。
「春宮の女御の御かたの花の賀」(伊勢物語二十九)もその一つ。その時の女の歌を聞きましょう。
花にあかぬなげきはいつもせしかども けふのこよひににる時はなし
(花に飽き足りない嘆きはいつもしていましたが、今日の今宵に似る、すばらしいひと時はかってございません……おとこ花に飽き足りない嘆きはいつもしていましたが、今日の・京の、今宵のこの酔いの、好いに似る時はかって体験ございません)。
花の賀に召された男の御礼の歌のように見せて、或る女房の御礼の歌である。
「伊勢物語」は、言の戯れを知り言の心を心得て読めば、あるおとこの、わけあっての「なま宮こ仕え」の物語であることがわかる。当伝授「帯とけの伊勢物語」で紐解いた通りである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。