帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(十一と十二)

2012-03-25 00:38:08 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(十一と十二)


 ときはなる松のみどりも春くれば いまひとしほの色まさりけり
                                    (十一)

(常盤なる松の緑も、春来れば、いまひと染めの色彩、増したことよ……久に変わらぬ女の色も、はる繰れば、いま一しおの色情まさったことよ)


 言の戯れと言の心

 「ときはなる…常盤なる…常緑の…久に変わらぬ」「まつ…松…待つ…女」「みどり…緑…色彩の名…若々しい色…見とり」「み…見…覯…媾…まぐあい」「はる…春…春情…張る」「くれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「ひとしほ…一入…一染め…一肢お…一おとこ」「色…色彩…色艶…色情」。



 もみぢせぬときはの山は吹く風の 音にや秋をきゝわたるらむ
                                    (十二)

(紅葉しない常盤の山は、吹く風の音に、秋を聞きつづけているのだろうか……飽きの色みせない常盤の山ばは、吹く心風の音に、我が飽きをきき及んでいるのだろうか)。


 「もみぢ…秋色…飽色…も見じ…もう見ない」「見…覯…媾…まぐあい」「やま…山…山ば「風…心に吹く風…飽風…厭風」「あき…季節の秋…飽き…厭き」「ききわたる…聞き続けている…聞き及んでいる…効いている」。



 春歌の「清げな姿」は、常緑樹の松の緑の一段と鮮やかな景色。「心におかしきところ」は、常盤なる女の色情のはるくるありさま。

 対する秋歌の「清げな姿」は、紅葉せぬ山に秋風吹く風景。「心におかしきところ」は、飽きに色づかない山ばで、ゆきわずらうおとこのありさま。


 歌は「花実相兼」である。歌の生々しい情は「玄之又玄」の奥にある。古今の歌は「歌の様を知り言の心を心得た人には恋しくなる」。このように聞けば、貫之の言葉に実感がこもるでしょう。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず