帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (七と八)

2012-03-23 05:58:04 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (七と八)


 とふ人もなきやどなれどくる春は 八重むぐらにもさはらざりけり
                                                     (七)

 (訪う人もない家だけれど、来る季節の春は、門の八重葎にも、さし障らなかったことよ……訪う人もない屋門だけどやはり、暮る春、果てる張るは、かどの八重むぐらにも、触れないことよ)。


 言の戯れ、貫之の言う「言の心」
 「やど…宿…女…やと」「や…屋…女」「と…門…女」「ど…けれども…だけど(やはり)」「くるはる…来る春…暮る春…晩春…春情の果て…張る物の果て」「はる…春…張る…張るもの…おとこ」「やへむぐら…八重葎…生い茂る雑草…荒廃したさま…井辺のくさむら」「さわらざりけり…差し障らないことよ…触らないことよ…触れもしないことよ」。



 をぎの葉のそよぐおとこそ秋風の 人にしらるゝはじめなりけり
                                    (八)

(荻の葉のそよぐ音こそ、秋風が、人々に知られる、初めだったなあ……お木の端の揺らぐおとこぞ、わが厭き風が、女に感知される初めだったなあ)。


 「をぎ…すすき(薄)に似た草…お木…男…薄(薄情)なもの」「そよぐ…揺れる…頼りない様になる」「おとこそ…音こそ…おとこぞ」「秋風…飽風…厭風」「風…心に吹く風」「人…人々…女」「しらるる…知られる…(季節の訪れなど)感じられる…(厭き来たかと)気付かれる」。


 
見(覯)捨て去るおとこを嘆息する女の艶情、対するは、密かにものの厭きを迎え嘆息する男の艶情。この煩悩ゆえの嘆息に、時には、人間の奥深い心が顕れる。

 これらこそ、「人の心の種」が言葉になったものに違いないでしょう。「やまと歌は、人の心を種としてよろづの言の葉と成れりける」という古今集仮名序冒頭の言葉の意味がよみがえるでしょう。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず