■■■■■
帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。
小町集 42
(とあるかえし)
いつはとは時はわかねど秋のよぞ もの思ふ事のかぎりなりける
「貴女のそでに溜まらない白玉は、合い見ても飽き足りることのない、をんなの涙だったのだなあ」などと言われた返し、
(何時はとは、時は分けられないけれど、秋の夜ぞ、人が・もの思う事の極みだことよ……いつになればとは、時はわからないけれど、男の・厭きの夜ぞ、わたしの・もの思う事の極致なのよ)。
言の戯れと言の心
「あき…秋…厭き…飽き満ち足り」「もの思ふ…(紅葉の移ろいを見ても、虫の音を聞いても、月を見ても、なぜかわが身もかなしくなり)諸々のことを思う…男と女の和合の極致を思う」「かぎり…限り…極み…極致…山ばの絶頂…限度」。
古今集 秋歌上に、是貞親王家歌合の歌、よみ人しらず、としてある。
歌の「清げな姿」は、季節の秋を迎えた人々の一般的情況。歌の「心にをかしきところ」は、自らの心の飽きを詠んだところ。女の生の本性の顕れた歌は、匿名とすべきでしょう。
同じ時の歌合の歌と思われる男の歌を聞きましょう。古今集 秋歌上 大江千里、
是貞親王家歌合によめる
月見れば千々にものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
(月見れば、千々にもの悲しいことよ、我が身ひとつに迎えた秋ではないけれど……尽きてみれば、縮にものこそ悲しいことよ、我が身ひとつだけの厭きではないけれど)。
「月…月人壮士…男…おとこ…尽き」「ちぢ…千々…諸々…ちぢ…縮々…縮む…ちじ…致仕…退官…辞退」「もの…はっきりさせず漠然と言う…物…身の一つの物…おとこ」「秋…飽き…厭き」。
題は「秋」だったのだろう。この歌は、「あき」のおとこのさがを一般的なものとして詠んでいる。
伝統ある学問的解釈は、上のような歌の「清げな姿」のみを捉える。それだけでは心に伝わるものがないのは明らかである。よって注釈は有っても解釈は不在である。平安時代の歌の様(表現様式)を知らず、貫之、公任、俊成のいう「言の心」「心にをかしきところ」「浮言綺語の戯れ」などを無視するか曲解してきた結果である。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。