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帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。
小町集 60
(四のみこのうせ給へるつとめて風ふくに)、
(四の親王が姿を消された翌朝風吹くときに……或る親王が、出家のため・姿を消された翌朝、心に風吹く時に)、
卯の花の咲ける垣根にときならでわがごとぞなく鶯のこゑ
(卯の花の咲いた垣根に、時節ではないのに、わが如く泣く、鶯の声……おとこ花の咲いていた垣根の内で、とぎならず、わがことでは無く・泣く正妻たちの声)。
言の戯れと言の心
「卯の花…うつきの花…初夏に白い花を咲かせる低木ながら木の花…男花…おとこ花」「垣ね…囲い…隔て…(身分などの)違う世界…親王の妻たちの内」「ときならで…時ならで…時節ではないのに(卯月ではないのに)…伽ならで…夜伽為らず」「わがごとぞなく…わたしと同じように泣く…わたしの事では無く…他の人が泣く」「うぐいす…鶯…春告げ鳥で夏に鳴く鳥ではない…鳥の言の心は女…正妻たち」。
人康親王が出家されたのは五月(夏)であった。雲の上の囲いの内の、その人の正妻たちの哀しみに寄せて、小町は我が哀しみを詠んだ。
「鳥」は「女」だと決めつけるようなことは、近代人の論理実証主義的な思考方法では許し難いことでしょう。しかし、言葉の意味は、その文脈の中で何となく決まるのであって、一々理屈があるわけではない。かけ(鶏)、たづ(鶴)、ほととぎす、うぐいすも、女であると、あらかじめ心得て、古事記、万葉集、伊勢物語、古今集の歌、枕草子などを読み直せば、鳥は女以外の何物でもないことがわかるでしょう。
「卯の花」は「おとこ花」であるとあらかじめ心得てみて、枕草子(九十五)を読めば、清少納言は、「ほととぎす」の声を賀茂の奥へ聞きに出かけた帰りに、「卯の花」を車の全面に挿して、供の男どもも「いみじう笑ひつつ」挿しあっているとある。その卯の花盛りの車を走らせると、侍従殿があえぎあえぎ土御門まで追って来て「この車のさまをいみじう笑ひ給ふ」とある。その供の男どもも「共に興じ笑ふ」とある。また、その話をすると、一緒に行けず機嫌の悪かった女房たちも「みな笑ひぬる」とある。これらの笑いを共に笑えるような「卯の花」の意味を探し求め心得ることが、この文脈に立ち入る方法である。小町も清少納言も、平安時代の誰もが心得て居たこの文脈での意味に辿りつければ、共に笑えるのである。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。
清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。
上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。