帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 50 恋ひわびぬしばしもねばや

2014-02-12 00:01:24 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 50


    (五月五日さうぶにさして人に)、

(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫にさして、男に)、

 恋ひわびぬしばしもねばや夢のうちに 見ゆれば逢ひぬ見ねば忘れぬ

(恋しくて心細くつらくなった、しばし眠ぶろう、夢の中で見えれば逢える、見なければ、辛さ・忘れてしまえる……乞いしくて、ものたりずつらい、しばし眠ぶりたい、夢の中で見れば合って寝る、見なければ忘れてしまう)。


 言の戯れと言の心

「さつき…五月…さをとこ…さ突き」「さ…接頭語…美称」「つき…月…月人壮士…をとこ…突き」「さうぶ…菖蒲…壮夫…盛んな若者」。

歌「わびぬ…心ぼそくつらくなった…もの足りずさびしくなった」「ぬ…完了を表す」「ばや…(何々)したいものだ…しよう…希望する意を表す」「見ゆれば…(夢に)見えれば…(夢で)まぐあえば」「見…覯…媾…まぐあい」「あひぬ…合い寝る…合ってしまう」「ぬ…寝…ねる」「見ね…見ず…見ない」「忘れぬ…忘れてしまう…(わびしさを・こひしさを・君を)忘れてしまう」「ぬ…完了した意を表す」。

 

恋歌。「さつき、いつなの?」と壮夫に送り届けた乞い歌。生の心が男に伝わるように詠まれてある。


 古今集仮名序に「今の世の中、色に尽き、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出で来れば、色好みの家に、埋もれ木の、人しれぬこととなりて」とある。その時代の歌である。小町は、これをみごとに、恋(又は乞い)のなかだち(花鳥之使)としたのである。


 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。