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帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。
小町集 46
五月五日さうぶにさして人に、
(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫に挿して男に)
あやめ草人にねたゆと思ひしは わが身のうきにおふるなりけり
(あやめ草、人により、根絶えると思ったよ、それが、わが身の泥土に生えていたことよ……綺麗な女、君のために、声絶えると思ったのは、わが身の浮き泥沼に、感極まったのだったよ)。
言の戯れと言の心
「さつき…五月…さ月…さ突き」「さ…接頭語…美称」「月…月人壮士…壮士…青年男子」「いつか…五日…何時か…(待ち遠しくて)いつになったら」「さうぶ…菖蒲…草の名…名は戯れる、壮夫、壮士、青年男子」。
歌「あやめ草…綾め草…彩め草…綺麗な女」「草…女」「ねたゆ…根絶える…寝絶える…音絶える…声絶える…歓喜の声絶える」「うき…泥土…情欲の沼の泥土…浮き…浮かれた心地」「おふる…生ふる…追ふる…老ふる…極まる…感極まる」「なりけり…だったのだ…だったことよ」。
同じ詞書で十首並べられてある。歌の送り方が「さつき、いつ? 壮夫!」という意味を孕んでいる、恋歌(乞歌)。歌の内容は、前の時のことを愛で讃えている。
近代人は、草を「女」、菖蒲を「壮夫」などと聞く耳を持たなくなった。歌の言葉の戯れの意味が、鎌倉時代に秘伝となって埋もれて、文脈が異なってしまった為である。
「聞き耳異なるもの、――女の言葉(聞く耳によって『意味の』異なるもの、女の言葉)」という清少納言は、枕草子(63)に次のようなことを書いた。
草は、さうふ、こも、あうひ、いとをかし。
(草は、菖蒲、菰、葵、とっても趣がある……女は、壮夫、来も、合う日とっても趣があってかわいい)。
「も…意味を強める…(来る)だけでも」「をかし…趣きがある…すばらしい…かわいらしい…可笑しい(笑ってしまう)」。
枕草子は、小町の歌と同じ文脈にある。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。