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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(35)
(題しらず) (よみ人しらず)
梅花立よるばかりありしより 人のとがむる香にぞそ染みぬる
(梅の花の近くに立ち寄ることがあってより、人のみとがめる香りによ、染まってしまったわ……おとこはな、絶ち、よれることがあってより、人の咎める、彼によ・色香によ、染み、濡れてしまったわ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「梅花…木の花…男花…おとこ花…おの先端」「立ち…たち…絶ち」「よる…寄る…よれる…よれよれになる」「とがめる…見とがめる…注目して尋ねる…咎める…非難する」「香…色香…彼…あの香…あれ」「染みぬる…染まってしまった」「ぬる…ぬ…完了した意を表す…濡る…濡れる」「ぬる(連体形)止めは余韻がある」。
ほのかに香る梅花に立ち寄ることがあってより、人に、あらどうしたのと尋ねられるほど、衣の袖に移り香となって・染み込んでしまったわ。――歌の清げな姿。
香るお花、咲き果てるばかりのことがあってより、人の咎める、あれの・香によ、染まって、濡れてしまった。――心におかしきところ。
女の歌として聞いた。
ここ数首の梅花の歌は、梅花が「男花」として、この時代の和歌の文脈で通用していた実例で、確認でもある。其れを見失って久しい今の人々にも、そろそろ納得してもらえるだろうか。先ず、梅の「言の心」を心得え、その他の戯れの意味をも知れば、歌の「清げな姿」だけではなく、「心におかしきところ」が聞こえるのである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)