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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(55)
山の桜を見てよめる 素性法師
見てのみや人にかたらむさくら花 手ごとにおりて家づとにせん
(山の桜を見て詠んだと思われる・歌……山寺の桜の花見する女たちを見て詠んだらしい・歌) 素性法師
(見物しただけで人に語るのだろうか、すばらしい・桜花、皆さん・手に手に折って、家への土産にしよう……見ての身や・見た憶えある身よ、花見ただけで人に語るのだろうか、おとこ端を、手毎に折って、井へのおみやげにするのだろう)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「見…見物…覯…媾…まぐあい」「のみ…だけ…限定の意を表す…の身」「や…疑問・反語・呼びかけの意を表す」「さくら花…木の花…男花…おとこ端」「おりて…折って…逝かせて」「家づと…家へのみやげ物…いへづと…井へづと…井辺へのおみやげ」「家…言の心は女」「い…ゐ…井…言の心はおんな」「せん…せむ…するだろう…しようよ…するのだろう」「む…意志を表す…勧誘の意を表す…推量を表す」。
桜の花見に仲間と遠出したとき、この美しい花の土産話だけではなく、手折ってお花を家への、おみやげにしよう。――歌の清げな姿。
桜の花を見物に山寺に来た女たちに、見ただけで人に語るのかな、そうではないだろう、すばらしいおとこはな、手折って井へのおみやげにするのだろう。――心におかしきところ。
からかい気味に、皮肉を込めて、法師として心に思う事を表現した。多情な女たちの心を和らげながら、法師の思いが伝わるはずである。
和歌は人の心を慰めたり、和ませたりするものである。「男女の仲をも和らげ、猛き、もののふの(武人の・ものが生い繁る)心を慰むるは歌なり(仮名序)」。「もののふ…夫…男…臣…文武百官…ものが生え繁っている…諸々の感情が渦巻く」「ふ…夫…生える」。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)