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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(38)
梅の花を折りて人に贈りける 友 則
きみならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をもしる人ぞしる
梅の花を折って、ひとに贈った歌 紀友則
(きみでなくて、誰に見せようか、だれにも見せない、梅の花、色彩も香りも、情趣を・知る人ぞ知る……あなたの他に、誰に見せようか、見せはしない、わが・おとこはな、色情も香りも、見知る人ぞ、汁)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「きみ…君…男女ともに用いる、あなた」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「梅の花…男花…おとこ花…おとこ端」「はな…花…端…先端」「色…色彩…有形のもの…色情」「か…香…香り…彼…あれ」「しる…知る…見知る…体験あり…汁…液…滲み出る液」。
情趣のわかる人に、梅の花を贈るとて、詠んで添えた歌。――歌の清げな姿。
他の誰に見せようか見せはしない、わが、お花の色香は、見しるあなただけが、しる。――心におかしきところ。
変わらぬ愛情を告げる歌と思われる。この「心におかしきところ」は、妻女の身と心を「あはれ」と振るわせたに違いない。仮名序に言うように「目に見えぬ鬼神(鬼が身)をも、あはれと思わせる」かどうかはともかくとして、「男女の仲をも和らげる」力がある事は、納得できるだろう。
紀友則は、貫之の年上の従兄弟。古今集撰者の一人、「古今和歌集」の奏上を前に亡くなったようである。大内記(正六位・中務省で、詔勅、宣命を作り、辞令を書くなど宮中の記録をつかさどる役人の上官)。言わば、言葉のプロである。「言の心」と「言の戯れ」の用い方に顕れている歌言葉の意味を、この人と同じように心得てもいいだろう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)