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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(41)
春の夜、梅花をよめる (躬恒)
春の夜の闇はあやなし梅花 色こそ見えね香やはかくるゝ
(春の夜、梅の花を詠んだと思われる・歌……張るの夜、おとこはなを詠んだらしい・歌) (躬恒)
(春の夜の闇は、不条理だ、彩のない梅の花、色が見えない、香りは隠れるか、かくれないことよ……春情の・張るの、夜の止みは不条理だ、おとこ端、形と色情が見えない、香りはなくなったか、なくならないのだなあ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「春…季節の春…春情…張る」「闇…やみ…止み…中止…夭折」「あやなし…彩無し…色彩・彩度が無い…綾紋様が無い…条理が無い…益がない…役立たず」「梅花…男花…おとこ花…おとこ端」「色…色彩…有形のもの…色情…色欲」「見…目で見ること…思うこと…覯…媾…まぐあい」「やは…反語の意を表す…疑問の意を表す」「(やは)かくるる…隠れるものか、かくれはしない」「隠る…失せる…無くなる…亡くなる…逝く」「るる…可能の意を表す『る』の連体形止め、余韻・余情がある」。
春の夜の闇は不条理だ、梅の花の色彩を見えなくして、香は隠しも消しもできないのだな。――歌の清げな姿。これも、一見すると普段着での雑談のようにみえる。
張るものの、夜中の止みは不条理だ、役立たないおとこ端、かたちも色情も見得ない・お隠れになったか、白々しい・香りを後に残して。――心におかしきところ。
鴨長明(平安時代末期の人)の『無名抄』に、歌の師の俊恵法師曰くとして「真、躬恒のこと、よみ口深く思入りたる方は、又類なきものなり」とある。これは、躬恒の歌の特長を言い表した言葉に違いないが、歌の「清げな姿」しか見えない人には、意味不明である。少しであるけれども、躬恒の歌の「心におかしきところ」に触れたので、今のところ、次のように読みとる事が出来る、「ほんとうに、躬恒の歌は、(エロスの)詠み口深く、思いのこもった表現方法は、ほかに類例の無い(特異な)ものである」。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)