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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。
優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあった。常識となっている国文学的解釈は、和歌のうわの空読みであることもわかった。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (291)
題しらず せきを
霜のたて露のぬきこそよわからし 山の錦の織ればかつ散る
題知らず 藤原関雄
(霜のたて糸、露のよこ糸が、弱いのだろう 山のもみじの錦、織れば、すぐ散る……下部の立てっぷり、白つゆの抜き身こそ、弱いのだろう・つらい、山ばの色情の織りなした錦、おとこ・折れば散り失せる)
「霜…しも…下…下部」「たて…たて糸…立て…立てっぷり」「露…白つゆ…おとこ白つゆ」「ぬき…よこ糸…抜き…抜き身…おとこ」「からし…だろう…辛し…つらい」「山…山ば」「錦…色彩豊かな織物…色情豊かな情態」「織れば…折れば…逝けば」「かつ…同時に…すぐさま」。
やはり・霜のたて糸、露のよこ糸が、弱いらしい、もみじの錦、織ればすぐに散る・晩秋の情景の詩的表現――歌の清げな姿。
下部の立てっぷり、白つゆの抜き身こそ、弱いらしい・辛い、山ばの色情豊かな情態・折れ逝けば、すぐ散り失せる・厭きの果て方の和歌的表現――心におかしきところ。
藤原関雄は、古今集成立の五十年ほと前に歿。俗世を離れた、風流文人だったらしい。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (292)
雲林院の木のかげにたゝずみて、よみける 僧正遍昭
わび人のわきてたちよる木のもとは たのむかげなくもみぢちりけり
雲林院の木の陰にたたずんで、詠んだと思われる・歌……常康親王の出家されたところの木かげにたたずんで詠んだらしい・歌) 僧正遍昭
(われら・俗世を離れさみしい人の、とりわけ立ち寄る木の許は、頼む蔭なく・お蔭もなく、もみぢ葉散っていたことよ……ものさみしい人が、ことさら、立ち撚る此の元は、頼むおの陰なく、此の端、も見じして、散り失せていたことよ)
「わび…貧しい…寂しい……心細い」「木の…此の…此の」「かげ…影…蔭…おかげ…陰…いん…おとこ」
雲林院の晩秋の風景――歌の清げな姿。
仁明天皇皇子常康親王の出家されたところに、たたずんで、我が身の此の根元を思って、わびしさを詠んだ――心におかしきところ。
僧正遍昭は、仁明天皇崩御により出家。雲林院は、仁明帝皇子常康親王の出家された所。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)