帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (291)霜のたて露の (292)わび人のわけて

2017-10-12 19:18:25 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあった。常識となっている国文学的解釈は、和歌のうわの空読みであることもわかった。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下291

 

題しらず                せきを

霜のたて露のぬきこそよわからし 山の錦の織ればかつ散る

題知らず                    藤原関雄

(霜のたて糸、露のよこ糸が、弱いのだろう 山のもみじの錦、織れば、すぐ散る……下部の立てっぷり、白つゆの抜き身こそ、弱いのだろう・つらい、山ばの色情の織りなした錦、おとこ・折れば散り失せる)

 

 

「霜…しも…下…下部」「たて…たて糸…立て…立てっぷり」「露…白つゆ…おとこ白つゆ」「ぬき…よこ糸…抜き…抜き身…おとこ」「からし…だろう…辛し…つらい」「山…山ば」「錦…色彩豊かな織物…色情豊かな情態」「織れば…折れば…逝けば」「かつ…同時に…すぐさま」。

 

やはり・霜のたて糸、露のよこ糸が、弱いらしい、もみじの錦、織ればすぐに散る・晩秋の情景の詩的表現――歌の清げな姿。

下部の立てっぷり、白つゆの抜き身こそ、弱いらしい・辛い、山ばの色情豊かな情態・折れ逝けば、すぐ散り失せる・厭きの果て方の和歌的表現――心におかしきところ。

藤原関雄は、古今集成立の五十年ほと前に歿。俗世を離れた、風流文人だったらしい。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下292

 

雲林院の木のかげにたゝずみて、よみける    僧正遍昭

わび人のわきてたちよる木のもとは たのむかげなくもみぢちりけり

雲林院の木の陰にたたずんで、詠んだと思われる・歌……常康親王の出家されたところの木かげにたたずんで詠んだらしい・歌)                      僧正遍昭

(われら・俗世を離れさみしい人の、とりわけ立ち寄る木の許は、頼む蔭なく・お蔭もなく、もみぢ葉散っていたことよ……ものさみしい人が、ことさら、立ち撚る此の元は、頼むおの陰なく、此の端、も見じして、散り失せていたことよ)

 

「わび…貧しい…寂しい……心細い」「木の…此の…此の」「かげ…影…蔭…おかげ…陰…いん…おとこ」


 雲林院の晩秋の風景――歌の清げな姿。

仁明天皇皇子常康親王の出家されたところに、たたずんで、我が身の此の根元を思って、わびしさを詠んだ――心におかしきところ。

僧正遍昭は、仁明天皇崩御により出家。雲林院は、仁明帝皇子常康親王の出家された所。

 

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)