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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。
優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあった。常識となっている国文学的解釈は、和歌のうわの空読みであることもわかった。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (295)
是貞親王家歌合の歌 敏行朝臣
わが来つる方も知られずくらぶ山 木々の木の葉の散るとまがふに
(是貞親王家歌合の歌) 藤原敏行
(わが来た方向もわからない、暗ぶ山、木々の木の葉が散ると、紛れるので……わが上り来た方向もわからない、親しい両人の山ば、男のおとこの、此の端が、散り失せると、みだれて見間違え・も見じするので)
「くらぶ…暗ぶ…暗い…比べる…親しくする…あの親密な…山の名、名は戯れる。暗部山・鞍馬山・比ぶ山」「木…言の心は男」「まがふ…紛れる…まぎれて見間違える」「見…覯…媾…まぐあい」。
くらぶ山の晩秋の風景――歌の清げな姿。
両人の親しみの山ば、男の身の端の散り失せる有り様――心におかしきところ。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (296)
(是貞親王家歌合の歌) ただみね
神奈備の三室の山を秋ゆけば 錦たちきる心地こそすれ
壬生忠岑
(神奈備の三室の山を、秋行けば、錦織を、裁ち着る心地がするよ……かみの心澄むところの、三つのなま暖かい山ばを、厭き心地で行き逝けば、おり成した色情豊かな錦織を、断ち切る心地がするのよ)
「神…かみ…うえ(上)…髪…女」「なび…奈備…所の名…名は戯れる。なびく・住む・済む・心澄む」「秋…飽き…厭き」「ゆけば…行けば…逝けば」「たちきる…裁ち着る…断ち切る」
神奈備の三室の山の晩秋の風景――歌の清げな姿。
おんなの山ばを、厭き心地のまま、行き逝く、男の心地――心におかしきところ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)