帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (295)わが来つる方も (296)神奈備の三室の

2017-10-14 18:04:21 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあった。常識となっている国文学的解釈は、和歌のうわの空読みであることもわかった。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下295

 

是貞親王家歌合の歌             敏行朝臣

わが来つる方も知られずくらぶ山 木々の木の葉の散るとまがふに 

(是貞親王家歌合の歌)               藤原敏行

(わが来た方向もわからない、暗ぶ山、木々の木の葉が散ると、紛れるので……わが上り来た方向もわからない、親しい両人の山ば、男のおとこの、此の端が、散り失せると、みだれて見間違え・も見じするので)

 

「くらぶ…暗ぶ…暗い…比べる…親しくする…あの親密な…山の名、名は戯れる。暗部山・鞍馬山・比ぶ山」「木…言の心は男」「まがふ…紛れる…まぎれて見間違える」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

くらぶ山の晩秋の風景――歌の清げな姿。

両人の親しみの山ば、男の身の端の散り失せる有り様――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下296

 

(是貞親王家歌合の歌)        ただみね

神奈備の三室の山を秋ゆけば 錦たちきる心地こそすれ

壬生忠岑

(神奈備の三室の山を、秋行けば、錦織を、裁ち着る心地がするよ……かみの心澄むところの、三つのなま暖かい山ばを、厭き心地で行き逝けば、おり成した色情豊かな錦織を、断ち切る心地がするのよ)

 

「神…かみ…うえ(上)…髪…女」「なび…奈備…所の名…名は戯れる。なびく・住む・済む・心澄む」「秋…飽き…厭き」「ゆけば…行けば…逝けば」「たちきる…裁ち着る…断ち切る」

 

神奈備の三室の山の晩秋の風景――歌の清げな姿。

おんなの山ばを、厭き心地のまま、行き逝く、男の心地――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)