帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (五十一)  花こそ散らめ根さへかれめや

2016-06-06 19:16:19 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。


 

 伊勢物語(五十一)花こそ散らめ根さへかれめや


 
むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、人のせんざいに(人が前栽に…女の前庭に)、きく(菊・長寿の秋の草花…貴具)、うへけるに(植えていたので…植え付けたときに)、

 植へしうへは秋なき時や咲かざらん 花こそ散らめ根さへかれめや

 (植えたならば、秋来ない時は咲かないだろうな、秋には・花咲き散るだろう、根さえ枯れるだろうか、枯れはしない……植えたからには、飽き満ち足りない時は咲かないだろうな、お花は散るだろう、根、さ枝、涸れるだろうか、涸れはしないぞ・女の声は嗄れるだろうなあ)

 


 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう「言の戯れ」を知る

「人…他人…女」「せんざい…前栽…前庭」「庭…には…ものごとが行われるところ」「きく…菊…草花…長寿の花(菊の露を綿に付けて身を拭えば若返るとか、俗信あり、紫式部も、『紫式部日記』によれば、道長の妻に勧められ拭ったようである)…言の心は女…きぐ…木具…木づくりの調度品…貴具…貴いものの具」。

「うへ…植え…種まく…うえつける」「うへは…上は…からには…以上は」「秋…飽き」「花…草花…女花…木の花…男花」「め…む…推量の意を表す」「根…おとこ…ね…音…声…感嘆の声」「かれ…枯れ…涸れ…嗄れ」「めや…推量・反語の意を表す」。

 

これは、おとこ自慢(おとこ誇り)の強烈な誘い歌である。男と女は、その性情の違いによって和合し難いが、その主な原因は、おとこの性(さが)のはかなさにある。武樫おとこは、その弱点を克服したかのように、「流れても、終に、頼るべき背ほねはあるぞ」とか、ここでは「女の歓喜の声は嗄れても、わが根は涸れないぞ」というのである。

 
 在原業平は、人が不快に思い貶し腐すような言い難いことを、言の戯れを踏まえて言葉少なく表現する。そこには、おとこの匂いが今も残っているだろう。

 

後の人の作の「大和物語(163)」では、「在中将に、二条の后より菊を召しければ、奉りけるついでに」、この歌を詠んで、書きつけて奉ったとある。物語らしく、そのように語りたくなる気持ちはよくわかる。主人公は、あれから何年経っても、東の五条に住んでいて、他所に隠れたあの女人への愛憎を消すことはできないのだから。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)