帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第一 春 (三十九)(四十)

2015-02-07 00:10:46 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の「心根」である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。


 

拾遺抄 巻第一 春 五十五首


            天暦御時御屏風                   藤原清正

三十九 ちりぬべき花見るときはすがのねの ながき春ひもみじかかりける
          
天暦(村上天皇)の御時、御屏風に         (藤原清正・中納言兼輔の子)
 
(散ってしまいそうな花見る時は、菅の根のように長い春の日も、短かったことよ……散ってしまうにちがいないお花、見るときは、素彼の根の・す彼の声のながき春情の火も、短いかりだったなあ)
   
   歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「花…木の花…桜…男花」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「すがのね…菅の根…素が弾きの音…素の声…すの声…素彼の根…おとこ」「す…素…巣…棲…女」「根…おとこ」「の…所属を表す」「の…(枕詞に付く)…比喩を表す」「ながき…長い…永い」「春ひ…春の日…春火…張る火…春情の炎」「かりける…(短)かったことよ…(短い)狩りだったことよ」「かり…あり…狩り…猟…漁り…めとり…まぐあい」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、花見しているよ時の経つのが早いこと。

心におかしきところは、あわただしい散りざま、おとこのさが。

 

 

  あれはてて人も侍らざりける家にさくら花さきて侍りけるを見侍りて 恵京法師

四十  あさぢはらぬしなきやどのさくら花 心やすくや風にちるらん

  荒れ果てて人も居ない家に桜花が咲いていたのを見て        恵慶法師

 (浅茅原、主人なき家の桜花、安心してかな、風に散っているのだろう……荒れはてた、あるじのいない屋門のおとこ花、気遣いも遠慮もなく、心風のままに、散っているにちがいないなあ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「あさぢはら…浅茅原…荒廃したところ…「ぬしなき…主人の居ない…主な亡き…男が亡くなった…男の来ない」「やど…宿…家…屋門…言の心は女」」「さくら花…桜花…木の花…男花…おとこはな」「心やすく…気兼ねなく…安心して」「や…疑問を表す…感動・詠嘆を表す」「風…春風…心に吹く風」「らん…らむ…推定する意を表す」

 

歌の清げな姿は、荒れた空家の桜花の安らかな散りざま。

心におかしきところは、はかないおとこ花の常々のうしろめたさを思う。

 

ぬしなきやどでは「心やすくおとこ花が散るにちがいない」という推定は、屋門のぬし即ち女性の貪欲なさまを前提にした法師の思い。   恵慶(えきょう)法師は、氏、生歿年など不詳ながら、清原元輔、大中臣能宣らと同時代の人。勅撰集に計五十五首入集するという。『恵慶法師集』に、次のような歌がある。


   山寺に人々のぼりて桜の散るを見て       

桜散る春の山辺は憂かりけり 世をのがれにと来しかひもなく

  山寺に、男も女たちも登って来て、桜花の散るのを見ているのを見て・詠んだ歌

桜散る春の山辺は憂欝だったなあ、憂き・現世を遁れにと来たかいもなく……お花果てる春情の山ば辺りは憂きものだったなあ、憂き世逃れにと、浮き夜に・来たかいもなく)


 歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「さくら…桜…木の花…男花…おとこはな」「春…四季の春…春情…張る」「山…山ば」「うかり…憂かり…浮かり」「かり…あり…かり…猟…あさり…まぐあい」「世…夜」


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。